「上有知湊に行こう」と題しているが、この読み方を知っている人はどれほどいるのだろうか。
これは「こうづちみなと」と読む。
岐阜県美濃市にある川湊である、金森長近により物資運搬の要衝として築かれ、
江戸時代から列車が開通するまで活躍したという。
前日から出発、早朝には現地・美濃に到着した。
上有知湊の対岸から。
一応、川湊見学者用の駐車場も完備されている。
雪の積もった光景など、どれほど素晴らしいものか。
長良川と上有知湊、風情があります、撮影の技術が皆無なのが残念ではあるが。
ここより近くに「うがつの上がる町並み」というものがある。
行ってみよう。
うだつとは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた
防火壁である。
「うだつ」は裕福な家にしか造ることができなかった為、「うだつを上げる・うだつが上がらない」の言葉が生まれたそうだ。
時間も早朝である為、人の気配はない、軒先を掃除している方が数人いた。
次に1時間20分ほど、車を走らせ、次の目的地に向かう。
岩村城は日本三大山城の1つである、残り2つは奈良県の高取城、岡山県の備中松山城である。城好きで知らない人はいない、でも一般の人は知らない人が多いかも。
駐車場に停め登城開始、道は整備がされております。
ところどころに看板があり、楽しい散策にさせる工夫がある。
しばらくすると、石垣が見えてくる。
そして空が開け、石垣群がお目見えする。
心の中で「おお~!!」と唸る。
この城は、別名「霧ケ城」と呼ばれている。
霧が発生しやすい場所なのだろう、井戸も山城では多く17つあったという。
この城は歴史が長く、1185年・源頼朝の重臣・加藤景廉が築城してから、明治時代の廃城令で廃城されるまで存続したのである、700年間という城の歴史は、日本の城でも珍しいという。
古代の遺跡のようで散策がとても楽しい、兵庫県の竹田城に似ているかもしれない、雰囲気が。
また東洋のマチュピチュと呼んでいる人もいるとか。
たしかに城跡が好きな人にとっては、興奮する光景である!!
岩村城跡の駐車場である、博物館も完備していたが、入ることはなかった。
次の目的地である苗木城も岩村城に負けてはいない。
僕個人としては苗木城に軍配があがる。
苗木城に登城する場合は、苗木遠山資料館の駐車場に停めることになる。
資料館で事前勉強を行い登城する。
城主は遠山氏である、第12代まで続いたという。
資料館の右奥から登る道がある。
この遺跡感、素晴らしい。
巨大な櫓跡である、三段の石垣がそのまま現存している。
木組みの展望台もある。
この苗木城は山城として圧巻である、100名城に入っていないことが不思議である。
なぜなんだ??
古代遺跡のようだ。
石垣もそうだが、天守から見える景色も素晴らしい。
こちら側も、うーん素晴らしい、
日本の4大山城にしてもいいかも。
時刻は14:00前である、
横浜に戻るか・・・。
上有知湊に行こう 完。