岡山に行こう! 2日目スタート。
写真:ベンガラの町
2泊3日の旅行の場合、
2日目はレンタカーによる観光が多い、地方に行けば行くほど、絶景またはマニアックな観光地ほど交通便がとても悪いのである。
今日行く、「吹矢ふるさと村」もそんな観光地の1つである。
バスは1日に3便ほどであり、とても公共交通機関による観光は無理だ。
吹矢ふるさと村は倉敷駅から車で約1時間30分ほどかかる。
倉敷駅至近のタイムズカーで軽自動車を借りる。
最近ではほとんど、タイムズカーを借りている、(タイムズカーかトヨタレンタカー)
そして今日のような山奥の場合、離合困難な道を走らされることが多い、そのため軽自動車で動くほうが吉なのだ。
タイムズカー倉敷店:8:20頃スタートである。
倉敷市内から郊外に出るまでかなりの交通量があり、思うように距離を稼ぐことができない、岡山なら道は空いているかな などと安易に考えていたが、やはり都市部以外では車社会なのだ。
馴れないカーナビをセットしてスタート、
最初は一般道によるルートを表示していた、そのため所要時間は2時間近くとなっていた為、有料道路推奨で再設定をした、そうしたら30分ほど時間短縮となった、
どのルートが正しいかわからないが、今回は岡山自動車道・中国自動車道を通り、新見ICで降り、県道33号線で向かった。
あとから地図を見るとかなり迂回をしていたことがわかった、
しかし初めての一般道を走るよりリスクは少ないし、酷道・険道を走るリスクも減るだろう。
ここまで狭い道はほぼ無く、快適に移動することができた、
村に入る道を間違え、町中を走ってしまった為、
車1台分の道幅の道路を少し走ることになった。
村内には無料駐車場がある、先客は1名のみだった。
御覧の通り駐車場はガラガラです。
「吹矢ふるさと村」とはなんなのか?
備中の山奥にある銅とベンガラの町である。
赤い石州瓦、ベンガラ格子、白壁の土蔵があり、江戸時代末期から大正末期に繁栄した町並みが昔のままに残っている。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
さぁ、ベンガラの町並みへGO。
10時は過ぎているが、町はひっそりとしている、
カメラのシャッター音だけが場違いに響き続けている。
ベンガラとは陶磁器の絵付けなどに使われる顔料であり防腐剤として家屋の材木にも使われるものだ。
郵便局もベンガラの町並みに溶け込んでいる。
町並みの中間あたりに左に曲がれる道がある、
その先には吹矢小学校があるのだが、今は工事中でみることができなかった。
左の赤土がベンガラなのだろうか、校舎は全く見えない。
時間が停まったようなゆっくりとした時が流れる。
本当に静かだ。
お土産屋も営業しているのか、していないのかよくわからん。
安易に壁を触ってしまうと顔料がついてしまう。
それぞれの家がある程度統一されており、とてもキレイな町並みを形成している。
町全体で取り組みがなされており、とても大変なことだと思う。
是非観光客で賑わって頂きたいものだ。
都市部の電車から見える街並みはすべてが不ぞろいで見た目が悪い(仕方がないのだが)外国にも町全体が整えられ1つの共同体を形成している町もある、それを見たときと同じような感動をこの吹矢地区から受けることができる。
郷土館に入る。
この地区には見学できる施設が点在しており、お得な周遊券が850円で売られているのでとりあえず購入する。
この郷土館は宮大工が5年をかけて作った吹矢商人の家である。
隠し部屋や隠し扉などがあり、歩いていて楽しい。
昔のおばあちゃんの家を思い出してしまう。(こんな仕掛けはなかったが)
館内を周っていると説明のアナウンスが流れる。
こちらの道も離合困難だ(笑)
全てに味があり、なつかしさを感じる、
このような土間の家にあこがれてしまう。歩くとキシキシと木板がなる感じが良い。
親戚の家にも昔土間があったが、夏は涼しいんだよな~。
郷土館の向かいには旧片山住宅がある、同じチケットで入ることができる。
入ってみよう。
用途が不明との事だ。
昔の本の表紙は見ていてたのしい。
昔は卵が大変貴重であった、そのため卵の為の部屋もあるのだ。
この廊下のつくり、たまらない!
一見障子のように見えるが、2階への階段となっている。
どこかしこも遊び心を感じてしまう、面白く不思議な造りだ。
先ほどのメインストリートから少し離れた道に行く。
この道は吹矢地区に入る際、車で迷い込んだ道だ。
神社があるので参拝をしてなくてはなるまい。
昔は子供の遊び場としてにぎわっていたのだろうか、
そんな想像をさせてしまう神社である。
名も無き神社から見える景色がサイコー、春・夏は青々としてまた違った印象を抱かせるのだろう。
ではそろそろ、名残惜しい気もするが吹矢地区をでることにしよう。
そして車に乗り込み、移動する。
周遊券の1つにある笹畝坑道に向かう。
駐車場に到着、観光マップが見やすく、感覚的に場所を把握しやすい、
しかも看板が新しいので見やすい、たまに寂れずぎて見えない観光地もあるのだ。
もちろん駐車場はガラガラである、先ほどの町並みから約5kmほどの距離にある
目の前の建物のおじいさんにチケットを切ってもらう。
こちらは出口です。
こちらが入口。
当時はここから銅を採掘したのだ。
規模としては小さいと思っていたが、中はかなり深い。
水の滴る音が聞こえてくる。
地下迷宮である、怖えな。
よくこんなところを掘ったものだよ。
等身大の人形がおり、それぞれの持ち場で仕事をしている。
どんどん階段を登っていき高度を上げる。
やっと安心、出口だ、閉鎖空間は心の余裕がない。
やっぱり地上っていいよね、などと思う。
出口はこんなに高いところにある、向こうに見えるのだ駐車場だ。
おじいさんに挨拶をして出発。
次に向かうには広兼邸である。
この家はベンガラと銅の経営で財を築いた御家である。
石垣の高さが15mもあるのだ、
当時はなんど30mはあったという・・・、まさに権威・そして要塞である。
ここは映画の八墓村の撮影で使われた場所だ。
ここでも受付はおじいさん。
金田一耕助のふるさと 岡山。
金田一のゆかりの場所MAPもある。
これで吹矢ふるさと地区の観光は終了、
次に備中松山城に向かうことにする、JR高梁駅方面に向かう。
吹矢地区から高梁市街への道がひどかった、
離合ができない道を走らせされて、ひやひやしながら走ってきた、
軽自動車でよかったと思える瞬間だ。
備中松山城に車で行く為には、城見橋公園駐車場に停める。
ここからマイクロバスに乗り換えることになるのだ。
ここまでは車で来ることができる、離合ができない道幅の道路を登ってきたが、対向車とは一切合わなかった、ラッキーと思っていたが違ったのだ。
行きと帰りのルートが違うのだ、良いつくりだ。
駐車場の近くには売店があり、お土産も若干販売していた、欲しいものは無かったが。
この売店前がマイクロバスの停留所となっており、売店でチケットを購入しなくてはならない、歩いて登ることもできるが時間がないのでバスでいくことにする。
城見橋公園駐車場からふいご峠駐車場まではマイクロバスか徒歩となる。
バスであれば5分ほどで到着する、ここは正真正銘の一本道である。
ふいご峠には簡単な休憩所と販売機もある。
ここでドリンクを補給しておこう、夏はかなりの体力を使うことになる。
700Mしかないが、山道の700は疲れる。
年配の方も多いのでペースは遅めでスタート。
道幅が広くなると抜いていくようになる。
さすが名城である観光客も多い。
突然、石垣が見えてくる。
こんな山奥にお城が!!という感じだ。
真田丸のOPでも使われたところだそうだ。
たしかに見た憶えがあった。
ついに見えた、備中松山城。
日本一標高が高い天守閣をもつ城である。
まさに天空の城、天空の城と言えば、日本に3つある、
兵庫県の竹田城、福井県の越前大野城、そして備中松山城である、雲海の中に浮かぶ城跡が天空と言わせしめるのだ。
これで私は3つを制覇することができた。
※実際に雲海に包まれた光景を見たわけではない。
また日本には三大山城というものがある、
岐阜県の岩村城、奈良県の大和高取城、そして備中松山城である。
この石垣の風格がスゴイ、三大山城の名に恥じないつくりだ。
そして唯一天守閣を持つ城でもある。
中は木造となっており、昔のつくりが生かされている、
その為、階段が急な箇所もあり、上下で譲り合って上り下りしなければならない。
本当に城!!と思えるお城である。
高梁川が見える。
次に向かうには、高梁の町である。
高梁は高梁川・JR沿線に伸びるような形成されている町である。
高梁市観光バスセンターの駐車場に停める。
駐車チケットを受け、帰る際に時間に応じてお金を払う方式である。
さっそく散策に向かいます。
まずは美観地区に行く。
ここは、高梁の美観地区に指定されている紺屋町筋である、春は桜で美しいのだろう。
良い雰囲気のたたずまいである。春は市民の憩いの場となるのだろう。
特急やくもが通過する、松江方面に向かう列車である。
以前、松江旅行に行った際、やくもに乗ったが、とてもレトロな車内であった。
線路沿いに少し歩くと頼久寺というお寺がある。
ここには小堀遠州作の庭がある。
奥の愛宕山を借景とした枯山水庭園である、そしてサツキの大刈込みで海の波を表しているという。
頼久寺の北に少し進むと石火矢町ふるさと村というものがある、
こじんまりとしているが昔は武家屋敷があったところで当時の雰囲気を残している。
駐車場まで戻ってきた、
その一角には高瀬舟が展示されている。
高梁は大正15年までは交通手段として高瀬舟を使っていた、
高梁はその中継地として機能しており、上流に行くにしても、下流に行くにしても、高梁で必ず荷を下ろし、乗せ直しをしていた。
これを継ぎ舟制というらしい。
そのため高梁の町は大いに繁栄したという。
岡山に帰る途中、高梁の町を見る、縦長の町である。
その町を見下ろすように備中松山城が山上にある。
備中松山城の遠景。
本日最後の目的地、備中高松城に向かう、
そこは、羽柴秀吉が毛利氏配下の清水宗治の備中国高松城を攻めた古戦場であると同時に城跡である。
秀吉は高松城を水攻めによって包囲した、
しかしその最中に本能寺の変がおき秀吉は毛利方と和睦を結び、明智光秀を討つ為に
姫路に引き返した。
資料館は15:00で閉館していた。
ここが本丸跡である。
城跡という感じの場所ではない、ただの公園のようにしか見えない。
公園は広く、今は殺風景である、そして高松城城攻めの看板もしっかり完備されている。
陣地・布陣図もある、それなりに力を入れていることがわかる。
岡山駅に向かう、道路は渋滞しており、結構な時間がかかった。
岡山の町はとても賑わっていた、でも今日は疲れて歩き回る体力はなかった。
明日の為に体力を回復しよう!!
岡山に行こう! 第2日目 完