思いがけず、素晴らしい場所(観光地)を発見したとき、
なんとも言えず、うれしい気持ちになる。
これが旅の醍醐味と言っても良いかもしれない。
今日、そんな場所に行くことができた。
それでは「清水に行こう!」スタート。
その前に、昨日はマイカーの買い替えを行い、新たな車が納車された、
そのための試運転として、静岡・清水を選択した。
東名高速の混雑を恐れ、遅くとも7:30には出発したいと考えていた、
しかしなんだかんだで、8:00の出発となる。
それも取り越し苦労に終わり、東名は終始順調に進むことができた、
御殿場を過ぎ、第二東名で清水に向かう、
清水ジャンクションで旧東名に入り、すぐさま清水インターチェンジで降りる、
一般道で走ること15分ほどで第1の目的地に到着した。
国道1号・旧東海道沿いにそれはある。
「東海名區」と書かれた総門である。
駐車場は総門の両側にある、本日は3・4台停まっていた。
このお寺の名前は「清見寺」である。
清見寺の始まりは古く、7世紀後半と言われている、今から1300年前にもなる。
階段を上がり総門をくぐると、踏切の鳴る音がする、
その刹那、目の前を東海道本線が通過していく。
後ろを振り向くと、総門がある。
先に見えるは旧東海道である。
先を見ると、線路向こうに、山門と大方丈などの建造物が見える。
清見寺は、JR線で分断されている、なかなか興味深い立地である。
橋の上から清水駅方面を見る。
たしかに、列車の線路がこのように土地を分断している、
それは、全ての場所に言えるのであるが、特に今日そのような感想をもった。
「JR跨線橋」
このようにお寺の中に線路があるのは、とても珍しいと思う。
下に降りることができる、このレンガ造りの塀にも歴史を感じる。
それでは、清見寺の中に入りましょう。
山門をくぐります。
ここの境内はとても広い、約6,000坪はあるという。
庭園は丁寧に管理されていることがわかる、草木が青々としている。
藤棚があり、今は青々としている。
5月の頃はどのような姿を見せてくれるのか。
盛り土のようになっており、展望台となっているのだろう。
遠方には三保の松原の一部が見える。
天気は雲が多く、快晴とはいかないのが残念であるが。
臥竜梅も青々としている。
鐘楼。
こちらは豊臣秀吉が韮山征伐の際に使用したという歴史あるものだ。
良い庭だ、静かな時間を過ごすことができる。
庫裏に入る、ここは見学することを強くお勧めする。
御朱印を頂くのも、こことなる。
中に入ると土間のような形になっている、拝観料300円を払う。
こちらでガイドの女性に御朱印手帳を渡し、御朱印をお願いをする。
拝観者は2組ほどしかおらず、
そのガイドさんにいつの間にか、案内して頂くことになった・・。
それが今回、吉となった。
まずは赤色が目に飛び込んでくる。
まさに赤の間である。
中はとても広い、
この広間には朝鮮通信使の関連した資料などが多くある。
ここは江戸幕府へ向かう途中、朝鮮通信使の休憩地となっていた、
また琉球使節団も来たという歴史をもつ。
これらも朝鮮通信使のものである、書を木板に写したものという。
窓から明るい陽射しが差し込んでくる、とても開放的な空間だ。
奥にいきしょう。
突き当り、ここは土間であろうか、
下馬とあったので、ここで馬の乗り降りをしていたのだろうか。
奥に進みます、
この建物、とても広い、まずそれらに驚く。
そして、この中に貴重な書が保管されている。
そのうちの1つをあけて頂き、見せて頂いた、引き出しのような造りになっており、
一目で大変古いとわかる書物が入っていた。
感動の対面である。
さらに、それらの上には、このような木箱があり、
中には豊臣秀吉の関係する書物もあるという、歴史ある貴重な資料が目の前にあるという驚き感、たまらんな~。
突き当りの先には、庭園がある。
「名勝庭園」という。
徳川家康の意向により、山本道斎によって作られたという。
庭に沿って廊下を歩くのだが、そこに家康の手習いの間がある。
ここで今川家の人質となっていたころ、太原雪斎に師事しており、
こちらで学んでいたのだろう。
とても狭い、竹千代時代のことであろうが、
このお寺で何を学んだのだろうか、それらが天下統一に結びついたのかもしれない。
と想像すると楽しさ倍増だ。
この廊下である!
すれ違いが困難なほど、細い廊下である、これは漢詩なのだろうか、私にはわからない・・・。
廊下の終わりには、家康が使用したという御輿がある、
これは人ではなく、モノを運んだのだろう。
素晴らしい奥行き、素晴らしい空間である。
奥の建物まで歩き、先ほどの細い廊下を見る。
建物と建物との間にある、庭である。
中庭といって良いのだろうか、こちらもキレイだ。
玉座の間という場所に出た。
たたみの装飾部(?)も他と比較して、幅が広い。
全てが特別ということであろうか。
玉座の間の部屋の注目すべきところは、
天上部が曲線を描いているという事だ。
襖にもこのような紋様が、とても細かい装飾である。
葵の御紋の装飾がある、
このお寺には大正・明治天皇も来られたのだが、この部屋はどのように使われたのか。
外から水音するので廊下にでてみると、滝があることに気づく。
これは人為的に流しているという。
この館の入り口上の階段を登った先に、この広間はある。
休憩所のようになっている。
ここから庭園を見る、とてもきれいな庭だ。
他方では、
眼下にJR東海道本線の線路が見える、3、4分待ち、東海道本線を撮影する。
庫裏から出て、先ほどの藤棚の展望台から、東海道本線をさらに撮影。
庭にはいろいろな石碑などがある。
奥には五百羅漢像が鎮座、
ここは島崎藤村の小説に一説に登場するという。
階段の上にも羅漢像が並ぶ。
仏殿を参拝。
駐車場に戻る途中、またもや東海道本線が通過する。
この先は清見潟と言われており、
かつては岩礁多い海岸線が広がっており、市民の憩いの場であったという、
そして海の先には景勝地・三保の松原があり、さぞかし素晴らしい海水浴場であったのだろう。
今や見る影もないといったところだろうか・・・・。
近くには坐漁荘という西園寺公望の別荘があり、こららの景色を愛でたのだろうか。
次に、
御穂神社に向かう。
漢字は違うが、三保の松原の近くにそれはある。
三保の松原には何度か来たことはある、その際には奥の専用駐車場に停めていた。
たしかに参道があったのは記憶していたが、その先に神社があるとは、知らなかった。
清見寺から車で20分ほどかかる。
御穂神社の専用駐車場は、道路に面してある。
ほんの数台、参拝客も数人だけである。
さあ、いきましょう。
鳥居を通り、中へ進む、人が少ない静かな参拝となる。
神馬がいる。
いろいろな社、建物がある。
全て周りましょう。
手水屋。
拝殿に向かう、こじんまりとしていて良い。
参拝も終わり、御朱印を頂きに社務所に向かう。
誰もいない、声をかけても気配がない、食事にはまだ早いはず。
隣のお手洗いに入り、時間を潰す、、。
ようやく奥に人影が見え、すかさず声をかける。
ここは、書き置きの御朱印となる、あとで、手帳に貼ろう。
御穂神社は、三保の松原の羽衣伝説に関係する神社である。
羽衣の一部が奉納されているという。
この直線の先は駿河湾である。
ここが、三保の松原の入り口となる、この道は、神の道と呼ばれている。
ここを数分歩けば、羽衣の松に行くことができる、また羽車神社といわれる社があり、
晴れていれば、駿河湾に松原に、その先には富士山を見ることができる、静岡の一大景勝地である。
ほとんどの車は三保の松原の駐車場へ向かう、
巨大な駐車場があり、売店もある。
行ったことが無い人は是非、行って頂きたい。
三保の松原には3回来たが、3回とも曇りであった・・・。
次に向う先は、
清水次郎長である、関連する場所(史跡・観光地)は3つある。
まずは、 梅蔭禅寺(ばいいんぜんじ)に行きます。
御穂神社から16分ほどで行くことができる。
梅蔭禅寺の駐車場、かなり広いが、車が停まっていない・・・。
観光客・参拝客も私たちのみであった。
ここが埋まることがあるのだろうか。
入りやすくて、停めやすくて。良い場所であった・・・。
奥の売店で拝観料を払い、入場する。
300円である・・・、その価値があるかは観光客の人数に比例するかな・・。
まずは遺物館にはいる。
その前に次郎長の像を見ましょう。
次郎長親分が座っておりやす。
遺物館の中はこのような感じ、拝観時間5分・・・。
奥には次郎長とその子分のお墓がある。
最後に御朱印を頂く、隣のお寺となるのだが、自宅の玄関よりお呼びをするかたちとなる。
次に向かうのは、次郎長の生家であったが、今は改装中であると売店の方に聞いた・・・、ショックであるが仕方がない。
船宿もあるし、そっちに行こう!
梅蔭禅寺から船宿・末廣まで、徒歩で10分ほどかかる。
閑散とした清水の町を歩く、
サイゼリアを右に曲がろう、次郎長通りを横目に見て、橋を渡るとその先に船宿がある。
海の近くということがわかる、潮の匂いもする。
見えた!!
奥に見える観覧車は、エスパルドリームプラザである、
そこのすし屋横丁(名前が違っていたらスイマセン)には何回か行っている、
お土産屋も充実しており、おすすめな場所だ。
清水ということもあり、サッカーボールである。
清水港船宿記念館「末廣」
清水次郎長が清水波止場に開業した船宿を再現したものだ。
ここは無料だ、
次郎長の生涯を知ることができるDVDを閲覧できる。
おなじみの記念撮影パネルと石碑たち。
2階に上がると勉学にいそしんでおりやした。
巴川を見る。
1階の売店で次郎長のまんじゅうを購入。
先ほどの道に戻り、次郎長通り商店街を通る。
この通りには次郎長の生家がある。
しかし改装中である、1か月後のお披露目となる。
近くに臨時店舗があるらしいのだが、気が付かなかった。
まあ、見れたので良しとしよう。
梅蔭禅寺に戻り、本日の最終目的に向かう。
車で走ること約30分、静岡駅周辺で渋滞にはまりながら到着。
先に見えるのは、安倍川橋である、そこに流れるのは、もちろん安倍川である。
その手前にあるのは・・・・、そう安倍川もち屋である!!
元祖・安倍川もち 「石部屋(せきべや)」である。
有名人のサインも多くあり、先日もテレビに出ていた。
こちらが駐車場、
店舗の隣にあるのだが、これが狭い!!
切り返しを行い停車をするので、新車で来る人は注意!!(笑)
不安な人は、すこし離れたところにコインパーキングがあるので、そちらを使用するのも良い。
石部屋(せきべやと読みます)の創業は文化元年1804年という。
見るからに風格がある、こういうお店っていいね。
ここで食べることができるので、是非旅人気分を味わって安倍川もちを頂きたい。
今日は¥1,200のお土産用の安倍川もち(あんときなこ)を購入、
こちらの賞味期限は翌日までである、もちろん鮮度命である。
きなこは甘くなく、付属する砂糖をかけて食す、
またはあんこと絡めて食べると丁度良い甘さとなり絶品である。
特筆すべきは、「からみもち」、
わさび醤油で食べるのだが、これは持ち帰りは無し、その場で食べるしかない。
お店の隣にこのような石碑もある。
もう、14時過ぎ、そろそろ帰りましょうか・・・。
静岡ICから乗り横浜へ帰ろう、
2時間ほどで帰ると考えていたが・・・、そうはうまくいかなかった。
旧東名高速の由比PAで休憩。
まずは展望台に行こう。
食堂でさくらエビを食べることができるのだが、今はおなかがいっぱいだ。
展望台から蒲原方面を見る。
山を見上げる、
あそこのガードレール・・、先週あそこ歩いたかな。
いつの間にか、青空になっていた。
清々しい景色に変わっていた、伊豆半島もみることができる、しかしながら富士山とは縁がなかった。
由比と言えば、さくらエビ!!
次の富士川SAでさくらエビの寿司と釜揚げを購入した。
その後、
事故渋滞で横浜町田まで120分以上とのこと・・・、西湘バイパスを使い渋滞を避けようとしたが、結局20時に自宅に到着・・・となった、今日はかなり疲れた。
清水に行こう! 完