9月16日(土)に石岡でお祭りがあることを知るところから始まる。
なんでも、石岡の祭りは、関東三大祭りの1つらしい・・・。
「それはすごいのか?!」などと一瞬思ったが、次の疑問により打ち消されてしまう、
「残りの2つは?」
川越祭、佐原の大祭り らしい。
初めて知った・・・・、無知な関東人だ・・・。
関東の祭りは全国区としては、あまりにも目立たない・・と思う。
私が無知なだけなのか?
何はともあれ、でも実際に目で見なければ始まらない。
でも横浜から直線で石岡へ行くのでは芸がない。
中学生で「旅行計画クラブ」に入っていた私の出番だ!(笑)
では、石岡の祭りに行こう! スタート。
最初は小山で観光?をする。
JR小山駅である。
栃木県第2の規模級を誇る都市である。
しかしライバルとの決定的な違いは、新幹線が停まるという事だ。
小山駅から伸びる大通りを真っ直ぐに進む。
小山御殿広場に到着。
小山御殿とは、徳川将軍家が日光社参の際の休憩場としての役割がもつ場所だ。
さらに昔には、この近くには小山城というお城があり、上杉氏・北条氏が度々攻めてきたという。
ここは、北関東の要衝・小山である。
小山御殿の隣には、小山市役所があり、その一角にそれはある。
小山に来た最大の目的である。
小山評定跡である。
1600年、徳川家康は、上杉討伐の為、ここ小山に来た。
大坂で石田光成が挙兵したことを知り、軍議を開いた地がここなのだ。
その軍議を「小山評定」と呼んでいる。
歴史のターニングポイントである「小山評定」
越後の上杉、大阪の石田は徳川家康を挟撃しようとする、
小山の軍議では、
「このまま上杉を征伐するか」
「引き返して石田光成を征伐するか」
「光成の味方につくか」
各武将に判断をゆだねた、
豊臣秀吉恩顧の大名である福島正則らが、石田光成との対決を高らかに主張する、
これで軍議の趨勢が決まった。
これとは反対に「小田原評定」という言葉がある。
豊臣秀頼の小田原・北条征伐のおり、北条方で開かれた軍議が言葉の由来だ。
結論ができない会議・話し合いという意味で使う。
次に、須賀神社に寄ってみる。
思いのほか、立派で驚いた。
徳川家康が関ケ原の戦いの前に、戦勝祈願で参拝したと言われている。
評定所から近いし、ついでに来たのかも・・・(スイマセン)
境内はそれなりに賑わっていた。
拝殿の後ろには、末社が広がっている。
そして気になるスポットがあった、
七ッ石(夜泣き石)である。
石が、小山城、落城を悲しみ、泣いていたため、ここ須賀神社に移したという。
※決して主語は間違っていませんよ・・。
参道がはるかかなたに続く。
1時間弱の散策を終え、小山駅に戻る。
そして、水戸線のホームに向かう、たしか4両編成の車両だったと思う、
水戸線制覇の旅へ!GO!
小山駅を出発して、8分ほどで結城駅に到着。
折角、ベストポジションに座れたのに、すぐに降りるとはもったいないと
思ったとか、思わなかったとか・・。
結城の町、1時間ばかり散策をしてみよう。
結城といえば、昔の城下町であり、今では蔵の町として知られており、
町には多くの寺院があるのことで有名だ。
そして、伝統産業である結城紬は特に有名である。
コモディ・イイダがあるが、元気がなかった、
1Fに多くのインド系料理屋が幅をきかせていた。
「みかもの月」気になるお店を発見。
中身はカスタードか・・・、萩の月に似ているが味はどうか・・・、
買わずにスルー。
静かな結城の町を歩く。
時折、風情のある建物が目に入る。
健田須賀神社に到着。
※たけだすがじんじゃ と読む。
あまり聞かない感じの名前だが、
もともと健田神社と須賀神社が合祀されたものだという。
地元に親しまれている神社のようだ。
御朱印を頂くが、時同じくしてもう一人の方も御朱印をもらっていた。
毘沙門天堂。
称名寺に到着。
閉まっている・・・と思いきや、横から迂回して入る。
何か忙しそうなので、ここで戻ることにする。
では、電車の時間が近づいているため、結城駅に向かう。
次に向かうのは、笠間駅である。
目的は笠間稲荷神社である。
次の列車まで、1時間ほどである。
久しぶりのタクシー移動を実施!
5分ほどで到着、この20分がとても大事、本日の最終目的の石岡の祭りは14:00から始まる、できる限り、近い時間に石岡に入りたい。
行き方は簡単、ひたすら真っ直ぐに歩くだけだ。
笠間稲荷神社に到着。
日本3大稲荷を制覇したが、誰からも賞賛は無い(笑)
この狐様は、夜になると光るのだろうか、これは見てみたい気がする。
参道の両脇には、お店が並ぶ。
お土産屋から仏壇まで多岐にわたる、なかなか良い参道だ。
参道に入る大通りにもお店が広がっており、笠間稲荷神社は良いところだ。
仲見世がある神社は、参拝と買い物と食事をとることができる、このような規模の神社は果たして全国でいくつあるのだろうか。
調べているブログはないかな~。(基本は他力・・・)
楼門を行く。
台風接近と天候のせいだろうか、今日は空いているほうだと思われる、
それでも三大稲荷の一角、参拝客が絶えることはない。
年間参拝数は約350万人にもなる、初詣数は全国15位となり、81万人という。
この笠間稲荷の紋は何というのだろうか。
拝殿。
力強い印象を受ける、赤より来い赤だ。
この扉が開いている横からの絵が好きだ。
境内には、大型の藤がある、5月はとても混みそうだ。
樹齢は400年を超えるとか・・・。
やはり境内のいたるところに狐様がいる。
豊川に比べたら少ないほうだが。
こちらは武闘派の狐様だろうか、
門番狐、なかなかの鋭い眼光だ。
帰る際、鳥居の向かいに、胡桃饅頭(吉田屋)の看板が!!
重力のように引き付けられ、店先に・・・(笑)
もちろん、購入した、ここの饅頭は本物だからだ、
帰ってから食したが、皮が蒸しパンのようだった、これはこれで美味しい。
買って正解、お土産としても喜ばれました。
帰りは歩きで戻る、所要時間は約18分であった。
この駅舎も笠間稲荷神社を意識している。
これから向かう!!
果たしてどのような祭りなのか。
実にのどかな駅だ、ホームの先には、草原と山が広がる。
心なしか、車内は人が多くなってきていた。
改札を出ると、とても混雑していた。
14:30、すでに石岡は祭りモードだ。
にぎやかな音が聞こえてくる。
石岡の祭りは、シルバーウィーク(?)の3日間行われる、今日は第1日目だ。
「神幸祭」という。
ひょっとこが躍る、実におもしろい動きをする。
見ていて飽きない、まだ見ていたいが奥に進もう。
隣りには人形山車があった。
大通りを上っていく。
人は多いが、適度な混雑だ、
歩くこともできるし、山車をみることもできる。
※このあたりはまでは・・・。
こちらもひょっとこか、石岡ばやしにのり軽快に踊る。
摺り鉦と太鼓と笛が奏でる祭囃子。
人形にひょっとこと・・全く飽きない。
先ほどの大通りを左折すると、この状態。
両脇には露天商が並び、人が溢れかえっている。
良い子ちゃんでは前にすすむことができない、
時には強引に!、時にはおしとやかに・・・・(笑)、バランスよく進む。
そして撮影ポジションを探す。
幌獅子(ほろじし)の舞が始まっている、
建物の角から出てきて、先の角へ消えていく・・、
本当にこれでもか!!というほど、幌獅子が来るのだ。
目の前で移動が停まる場合、獅子が躍り出す。
獅子の後ろには車体(小屋)があり、人(子供かな?)が多く乗っている、そこで太鼓などをたたいている、小屋には布がかぶせてあり、横からちらりと伺うことができる(笑)
このような形は全国でも珍しいという。
各町内により、色が異なり、獅子の大きさも違うという。
今のところ、獅子は皆同じ顔に見える・・・・、黒い獅子もいたがそれはかわった。
獅子の頭はおおよそ20kgだそうだ、これはきつい・・・。
かなり激しい動きをする。
結局すべての町内を見て、移動をすることになった。
常陸國總社宮が目的地である。
また、裏から来てしまった・・・。
暗い道を抜け、階段を上がると・・・、そこには。
拝殿でお参りをする。
だからここに来て、参拝そして御朱印をもらわなければならない。
手塚治虫とのコラボかな、境内でひときわ目立っていた。
正面の参道を通り、石岡駅に戻ろう。
なんだか不思議な感じ、住宅街の間に入口がある、
日常と非日常は隣合わせということか。
大通りを歩いて駅へ向かう、
いろいろな誘惑がありすぎる・・・。
これは狐の翁か?
またもや足止めをされる・・。
こちらは桃太郎かな・・。
この祭りは夜まで続く、これから人がさらに押し寄せてくる、
夜はキレイだろうな・・、しかしながら夜間撮影は苦手の為、良いものが撮れるはずはない。
JR石岡駅に到着。
その前に、先ほどの通りにある高野菓子店で釣鐘最中を購入、
お土産は買わないといけない、「観光先を潤す!」 そしてこれも美味しい。
まぁ、まずい最中はあまりないのだが・・・、でもこの最中は形といい、餡といい、
洗練されている。
駅のエレベーターに乗り、2階改札階にあがる、
2階の広場にからくり時計台があり、この踊りが見納めとなった。
16:15発のときわ号を待つ、
この時間は空いており、指定席をとることができた。
なぜか、軽井沢の地ビールを買い、特急に乗り込む。
来年も来て見たいと思えるお祭りであった、
石岡の祭りはこれからが本番だ、夜も見てないし、2日目・3日目も見ていない、
お楽しみはとっておくのも大人の余裕だ。
柏駅に着く頃には、疲れた体にアルコールがまわっていた、
睡魔と戦いながら、上野に向かう。
「石岡の祭り」、私の年間スケジュールに入ってしまった。
来年の9月も忙しくなるな~と思いながら・・・。
石岡の祭りに行こう! 完