「鵜原理想郷(うばらりそうきょう)」
なんとも不思議であり、うさんくさい名前だな・・と思っていた。
なぜ、このような名称となったのか、知っている人はいるのだろうか・・・。
鵜原理想郷は、千葉県勝浦市鵜原にある半島の一部のことをいうのだが・・・、
理想郷とは理想として書かれた幻想の世界と言われている、
それは大言壮語ではないのか?!
たしかに写真などを見ると、とても素晴らしい景勝地であることがわかる、
考えていても仕方がない、まずは自ら行ってみてから考えよう。
鵜原理想郷に行くのなら、晴天の時であるべきだ、
今までそのような機会が巡ってこなかった。
10/7の夜、鵜原地域の天気予報をなにげなくチェックをした、
朝からすべて晴れであった!!
この日しかない!!
そうして、鵜原理想郷のプチプランが決まったのだ。
◆ 鵜原理想郷の場所を確認しよう。
横浜もしくは東京から電車で行く場合はどうか。
東京駅から京葉線で蘇我駅まで行き、外房線で鵜原駅に向かうのが一般的だ。
※もちろん、千葉駅経由で外房線の乗り換えでも良い。
また房総・特急わかしお号で快適に行くことができる、
その際は、鵜原駅は通過するので、1つ前の勝浦駅で下車して、外房線で行く。
※気を付けて欲しいのが、
ちなみに、銚子に行くしおさい号は、総武快速・横須賀ホームとなる。
私も恥ずかしながら、当日まで総武快速ホームと思っていた・・・。
あぶない、あぶない・・・。
◆ 東京駅から鵜原駅への移動時間は、
2時間15分から2時間30分ほどである。
特急を効率よく使うことにより、1時間50分前後まで短縮することができる、
是非考えて頂きたい、特急券は1,340円である。
◆装備・持ち物について
・ハイキングシューズまたは登山靴。
すべりやすい場所が多く、雨降り後はぬかるみなどがあり、グリップが効く靴が好ましい、堆積岩がすべりやすい。
・リュックなどを使い、両手は確実に空けよう。
・食べるもの、飲み物を用意しておこう。
鵜原駅に飲み物の自動販売機はあるが、コンビニおよびお店は無い、
鵜原駅に行く前に、食べ物を買っおこう、いい景色を見ながら食事をしよう。
では実際に旅日記スタート!!
久しぶりに京葉線ホームに来た、「いつぶりだろうか・・・、」などと考えず、
乗車する。
わかしお1号
東京駅7:15発・勝浦行。
当日、東京駅券売機で指定席券を購入する。
房総特急のカラーリング、房総の海の青・白い雲・白い砂浜の白・菜の花・ひまわりの黄色をイメージしているのだろうか。(適当な想像)
良いカラーリングだ。
比較的乗客が多かった、団体客がおり、朝からビールで乾杯していた、
大人の良い休日の過ごし方だ。
京葉線は、高速湾岸線・東関東自動車道の横を走っていく、車窓からはディズニーランド渋滞がおきていた。
「世間の大多数はディズニーランドに行く(超偏見)、鵜原理想郷に行く人はどれほどいるのだろうか・・、」などとは考えず、流れる景色を眺めていた。
天気予報では、晴天となっていたが、車窓から見える空模様は曇り。
「天気予報、どうなっているんだ!?」と不安に思い、
これでは理想郷の真実を求めることはできない。
上総一ノ宮駅から外房・太平洋に近いエリアを走行していく(海は見えない)
それでも、まだ曇りであった。
大原駅・御宿駅を通過しても、まだ空模様に変化はない。
曇りの勝浦駅に8:46定刻通りに到着した。
隣りのホームに停車している外房各駅線に乗り換える、
8:48発と完璧な乗り継ぎダイヤである。
隣りの鵜原駅には8:52に到着した。
鵜原駅に降りる人はいないだろうと思っていたが、
いい意味で私の期待を裏切ってくれた。
鵜原駅に降り立つ。
ロッジ風の待ち合い室があり、そして景観を台無しにする発電設備が無機質にあった。
空はというと、白に水色が交り、回復の兆しを見せ始めていた。
ホームから陸橋をあがり、改札口に向かうスタイルの駅舎である。
それでもスイカ設備が備え付けられており、スイカ対応駅だった。
駅を出ると鵜原観光案内図がある。
これをみると鵜原理想郷の入口に向かうルートがだいたいわかる・・・。
その隣りには観光案内所があるのだが、まだご就寝中であった。
観光案内所には、代わりにネコがお出迎え。
「なぜ、鵜原理想郷と呼ばれているか? その謎は君自身の目で見なさい」
と猫が語りかける。
※かけていない。
「では行ってきます、名もない猫よ」
駅を背にして右方向に歩いていく、地元のお婆さんとすれ違う、
3・4分ほどで左折ポイントが現れる、「鵜原館」を目指して進んで行く。
トンネルを2つ過ぎると、分岐ポイントが出現する、
Y字の分岐を右方向に進んでいく。
ここまでのルートには、看板が設置されており、迷う余地は全くないと言ってもいい。
Y字分岐。
2つ目のトンネルを過ぎると分岐があるが、「鵜原館」を目指していく。
ちなみに左に行くと勝浦海中公園に行くことができる。
後藤杉久の碑がある。
鵜原理想郷を知る上で最重要人物である。
この案内板にすべてが書かれていた、
大正期、後藤はこの地で別荘地の分譲を始めた、
後藤は東京の大臣らを鵜原に招き、大園遊会を開催していた、その席上で
「鵜原を理想郷と名付けた」
石碑からすぐの所に鵜原理想郷・無料駐車場が見えてきた。
無料駐車場を過ぎると、鵜原館の入口があるので、それを躊躇なく入って行く。
真っ直ぐ行くと、勝場港に行くことができる。
素掘りのトンネルを抜けていく、その先は異世界ではなく、理想郷か。
2つの素掘りトンネルを行く。
※素掘りとはわかならい。
横に目を向けると、勝場港が見える、テンションが上がってきた!
理想郷展望台ハイキングコースの方向看板がある。
昨日の雨で少しだけぬかるんでいる、ほんの少しテンションが下がった。
またもや、トンネルが現れた。
これが最後のトンネルとなる。
トンネルを抜けると、下に降りる階段がある。
これを無視して先に進む選択肢は俺には無い。
あと気を付けて欲しい、
全ルートを通して、クモの巣が張られているので頭には気をつけて欲しい。
道には水が流れており、川のようになっていた。
その川の行きつく先には、静かな入り江が待っていた。
「ごとがえり海岸」という。
まだ空には雲がかかっている、
しかしながら、この入り江は素晴らしい。
岩場に道があるので辿ってみる、この奥には船着き場があり、作業をされていた。
このあたりは堆積岩でできており、崩れやすい地層である、そのため海により浸食されている場所が多くあり、それが芸術的な造形をつくりだしている。
振り向くと、陽が差し始めていた・・・。
最初からこのような光景に出会えるとは、幸先がいい、
これは楽しい散策になると確信する、では元のルートに戻ろう。
先に進もう、まだ先は長い。
たのしいルートだ。
私有地であり先には崖である、「右を上がれ」と謎の石板がある。
※ただの看板です。
お手洗いの標識が多数ある、これはトイレを探す旅でもある。
手弱女平270米という石板がある、
「とれも見ずらい、しかし、これはまだ見やすいほうだ」
少しだけ小高い場所に出た、ここで初めてこの看板が現れた。
海が見え、先には白い円形状の構造物が海に刺さっていた。
※ただの勝浦海中公園だ。
この階段、この地層がとても滑りやすい。
木々のトンネルを通る、
先ほどトンネルが最後と言ったが、前言撤回しよう。
トンネルを抜けると、本当の石碑がある。
篠田悌三郎の歌碑
「崎山に 千原の平ら 虫の原」と刻まれていた。
※篠田とは、大正から昭和にかけて活躍した俳人である。
石碑はこの浸食の地層の上に立っている、
「これには一体、どのような意味があるのだろうか。」
※意味なんてない。
ここからは外洋が見える、
休憩所が見え。その先には天に向く謎の構造物がかすかに見える。
四柱の中に木製の構造物が置かれている、この配置はなんだろうか。
※ただの東屋だ。
海が綺麗だ、空が晴れてきたことにより、海が艶やかになってきた。
危険看板がでた、少しだけ気が引き締まる。
御地蔵様が見守っていた。
ススキが風にそよぎ、手招きをしているようだ。
「この上に登れということか・・・。」 ※そんなわけない。
御地蔵様を振り返る、先に進もう。
右奥には先ほどの石碑には、追手の姿が見える。
※ただのハイキング客。
手弱女平(たおやめだいら)に到達した。
女性の手のような繊細な丘ということか・・・、わからなくもない。
ここが鵜原理想郷の最大の景勝スポットである。
この光景が見たかった。
この形と鐘にどんな意味があるか、わからないが・・・。
※ちなみにこれはベンチであり、それに鐘がついているモニュメントだ。
この大自然の中、この構造物との対比が面白いと思う。
奥には「ひとつやま」が見える。
ここにも危険看板がある、この先は崖である。
強風であれば、ここに来ることはできない。
最先端まで来た、左には木々が生い茂り人の侵入を拒む、そして右は崖である。
2歩ずれれば、崖から落ちてしまう、少しだけ足がすくんだ。
この先には道はない、
引き返して次のルートに行くことになる。
「はやく、戻りたい」と心から思った。
絶景は時には危険と隣合わせだ、そんなことを再確認させられた。
これまでのモニュメントをおさらいのように見て行く、そして分岐ポイントまで戻ってきた。
崖?、森?に鉄製の門が設置されている、中々面白い演出だ。
※演出ではない。
次の分岐ポイントがきた。
もちろん、降りていく。
くもの巣と悪戦苦闘しながら、進む。
使われていない家のようなものがあった。
一応、道は整備されている。
静かな浜に出会う、
しかしながら、ごみなどが散乱しており、とても残念だ。
名も無き浜である。
ここの波は穏やかであるが、あの岩と岩の間では、かなりの波が上がっていた。
ではメインルートに戻ろう、青空が雲に勝っていた。
毛戸岬(けどみさき)に着いた。
相変わらず見ずらい・・、これは残念なつくりだ。
大空と大海原を楽しむことができる毛戸岬、この先には小笠原諸島がある。
ひとつやまと手弱女平が見える。
そして最後の景勝地「黄昏の丘」に到達した。
ここからは一望できる、静かなる青だ。
黄昏の丘から振り返ると白鳳岬が見える。
続々と黄昏の丘に人が集まってきた。
白鳳岬からの眺め。
坂を下っていく、これですべての景勝地を見ることができた。
ここで問題が発生、
「大杉神社」の看板がルート分岐地点にある、しかしながら、どこにあるのかわからなかった・・、もう少し時間をかけみれば、大杉神社のルートが分かったのだろう、
この時は諦めてしまった・・・。
ようやく、看板のあったトイレに出会う、
思いのほか近代的で新しいトイレであった。
最後の坂を下る。
もう終わりが近い、なんだか寂しい気持ちだ。
最も新しいと思われるガイドマップがある。
ここが反対の鵜原理想郷の入口であり、出口でもある。
どちらからアクセスするかは、自由である。
岩を切り抜かれたルートを抜けると・・・、
静かな入り江、船着き場、そして奥には砂浜が広がる。
千葉県にしてこの透明度、さすがに「関東の沖縄」を呼ばれるだけはある・・・。
夏が終わり、海はしばしの眠りにつく・・・。
そして砂浜に鳥居が見えてくる。
八坂神社とかかれている石柱がある。
絵になる光景であり、少しだけ不思議な構図に思える。
海水浴場を抜け、鵜原駅に向かう、標識もしっかりと置かれており、ぬかりはない。
朝に左折した分岐に到着する、一周まわったのかと、感慨にひたる。
駅に着くと、ネコがお出迎え。
鵜原駅が猫たちの休憩所になっているのだろう。
「答えは見つかったのか?」と問いかける。
※問いかけてない。
いい猫だ!
ホームにおり、勝浦駅に向かう。
すこしだけ勝浦を散策して、しおさい号で東京駅に向かう。
鵜原は決して「理想郷」ではなかった、
「理想郷を目指した場所であった」というのが正しい見方だ。
しかしこの地上に理想郷などありはしない、
だから「理想」なのだ。
リアス式海岸の景勝地・最高のハイキングコースであった鵜原理想郷、
是非、ここに来てほしいと思う。
しかしながら、崖など危険な場所もあるので、細心の注意も必要である。
しっかりと準備をしてハイキングを楽しんでほしい。
この日は、
約1時間30分の散策であった、もっとゆっくりとしても良い素晴らしい場所であった。
また、帰りの鵜原駅では、
電車が来るまで、約1時間待つことになった。
このような贅沢な時間の使い方をしても、時にはよいだろう。
仕事では、日頃から時間に追われており、心に余裕がなくなる、
このように、1時間も何もない駅でのんびりと過ごす・・・、こんな贅沢はない、
まさに現代の理想郷である。
鵜原とは、土地が理想郷ではなく、時に過ごし方が理想なのだ。
鵜原理想郷に行こう! 完