10/14、川越祭りに行ってきた、半日とは言えとても充実したものだった、
夜に行けば、また違った感動を得ることができるだろう。
翌日の10/15(日)は一日中雨という予報である、これに関しては雨の合間という言葉は通用しそうになかった。
晴れていれば、千葉県佐原市の佐原大祭に行くつもりであった。
※関東三大山車祭りの1つ。
そのプランもたてていたのだが・・、
横浜から佐原への移動となると、移動時間と交通費が半端ない、
金と時間と労力を使った上で、雨の大祭に行く理由があるのか・・・、意味はあるかもしれないが、それに釣り合うかどうかである、
これでは、「佐原の大祭」ではなく「お金の散財」となってしまう。
それに今月末には、東北旅行も計画しているのだ。
とは言え、このままでは引き下がれない(おいおい、引き下がれよ・・)
「そうだ、伊勢原の道灌祭りに行こう!」
伊勢原市とは、神奈川県の中央に位置している都市である、
とは言え、神奈川の中心ではない。(横浜市民の主張)
横浜からアクセスする場合、相鉄線に乗り、海老名駅で小田急線に乗り換えることになる。
伊勢原駅は何もない駅ではない、大山国定公園そして大山阿夫利神社の最寄り駅である。
神奈川県では、大山は「おおやま」と読む、「だいせん」とは読みません、
関東の屋根ともいわれ、登山客が多い地域である。
今日は、そんな伊勢原で開催される伊勢原道灌祭りを見ることにした。
伊勢原観光道灌まつり というのが正式な名称らしい。
道灌とは、もちろん太田道灌のことであるが、皆さんは太田道灌をどれほど知っているだろうか。
Q:江戸城を最初に築城したのは誰でしょうか。
A:大工でもなければ、徳川家康でもない、もちろん太田道灌である。
その道灌である。
太田道灌は、戦国武将であると同時に、築城の名手であり、川越・岩槻・江戸に城をたてている、
当時は、土地の高い場所にたてる山城が常であったが、あえて敵から攻めやすい平城を築城したのだ、平城の先駆けが道灌なのである。
道灌は伊勢原で生まれたと言わており、この地には様々な道灌ゆかりの史跡があるのだ。
この祭りも、今年で50周年という、それなりに歴史を踏んでいる祭りである、
川越祭りは360年の歴史がある、伊勢原祭りもあと310年は続けなければならない、
そしてその後も祭りを続け、千年経過すれば、
川越祭り、1360年
伊勢原祭り、1050年
となり、長い歴史を持った祭りとして、ひとくくりになれるのだ、
伊勢原市の野望は始まったばかりだ(笑)
今回は50年の記念祭と銘打っているが、49回までの知識が0の為、違いはわからない、
それは「まぁ、いいか」。
伊勢原駅を降りると、
普段の伊勢原を知らないが、普段より活気があると感じることができた、
相変わらず、雨が降っているが、人出は多い、
雨が降ろうと、祭りには人がでてくるのだ、メインストリート県道61号線は歩行者天国になっており、両脇には出店が出ていた。
伊勢原のお祭りは、
2日間行われるのだが、本日は最終日の2日目である、
今日の目玉は2つあった、
・御柱里曳き行
である。
太田道灌役には、俳優の北村有起哉さん、政子役には高野志穂さんが扮する。
御柱については、茅野市と伊勢原市は姉妹都市の為、行われていると思われる。
まずは場所取りである、雨の為かどうかはわからないが、12:00の段階では、
沿道はガラガラであった、
それもそうだな・・・、おわら風の盆、石岡の祭り、川越の祭りとは規模の桁が違うのである、だからと言って、満足度もそれに比例するものではないのだが。
県道61号線を歩いていくと、すでに茅野市の御柱が道路におかれており、記念撮影などが行われていた、場所は伊勢原大神宮の前であり、ここで待機することにした。
定刻通りに行列は行われたが、ここまでの道のりは長い、スピードは牛歩であり、
スタートしてから30分後の到着である。
ここで想定外が発生、
行列は御柱手前で終わり、Uターンするのだ。
望遠で撮り、このザマである、なんとなく表情が見えるレベルであった・・・。
テレビに疎い私は、お二人のことを本日知ったので、それほどガッカリはしなかったのが、唯一の救いである。
また、この行列の道灌役と政子役は毎年変わるらしいので、来年が楽しみではある。
まずは梯子乗りが始まる、
よく消防署の出初式でみるあれである、
まじかに見るのは初めての為、目が離せない。
素晴らしい技だ、常人にはできないものを持った人を私は尊敬する。
そして大きな掛け声とともに、黄色い何かが左右に振られ、進軍ラッパとともに、
進んでいく。
これは毎年行われていると思われる・・・。
これは見ているより乗っているほうが楽しいやつだ!!
目の前を通り過ぎた後に追いかけていく、
違うな、伊勢原駅に向かう為、方向が同じなのだ!
人を入れ替え、入れ替え、進んで行く。
地元に愛されている祭り、それを見させてもらった。
雨の日であれば、見るより、参加するほうがいいな~などと思いながら、見ていた。
太田道灌も夢にも思っていないだろう、
何百年後に自分の名前が付いた祭りが行われているなどと・・。
今の人で、531年後に自分の名前の付いた祭りをしてもらえるような人物がいるだろうか・・・・。
大山は、江戸時代よりお土産品として、独楽をつくっている、
その独楽の形をした「こま最中」を購入して、帰ることにした。
伊勢原道灌祭りに行こう! 完