今週の中ごろ、天気予報によると土曜日は雨であった・・・。
しかし、それが晴れに変わった!!
これは「旅に行け!」という天命である!!(おいおい・・・)
埼玉県・丸山駅周辺 新幹線高架・晴天。
大宮駅のエスカレーターを上がるとデパ地下の風景が広がっていた、
いわゆる駅ナカである、噂では聞いていたが改札内とは思えないほどのデパ地下であった。
人波を追い抜き、改札を抜け、ニューシャトルの発着港に向かう。
「あった!!」
鶴見線(笑)を思い出す、
改札の先にホームが見える構造となっている、
やはり大宮だ、乗客数は多い!!
颯爽と行儀よく列にならぶ、線路を見ると単線にように見えるが・・・、
そして事件は起こった!!!(笑)
ホーム内に「銀河鉄道999(ゴタイゴ)」のテーマが流れる!!!
そしてニューシャトルが入線してきた!!!
右方向から曲線を描き、入ってくる。
車両は・・・・ちゃちい・・・・。
※さすがに写真をとる雰囲気ではなかったので、撮っていない・・・。
そして、
埼玉新都市交通伊奈線(通称ニューシャトル)の丸山駅に着いた。
そもそもニューシャトルとは?
皆は知っているだろうか?
私は良く知っていなかった、なんとなく存在を知っていたぐらいだ。
東北新幹線・上越新幹線の高架に取りついた路線である(おいおい・・・)
大宮駅を始発として運行しており、丸山駅はその途中駅である、終点駅は内宿駅という。
大宮駅から約15分ほどで着く。
この駅に何があるのか?
伊奈氏の拠点がかつてはこの地にあったのだ。
1590年、関東郡代・伊奈忠次は周辺が湿地帯で囲まれたこの地に陣屋を構え、
幕府直轄地として、関東地方を支配する拠点とした。
伊奈氏は、清和源氏の流れを組み、信濃伊奈郡に住み着き、姓を伊奈とした。
その後、信濃を去り東海地方に移り、松平広忠(家康の父)と家康に仕えた、
その後、伊奈忠次は徳川家康の関東入国後、家康の側近として関東地方の支配に尽力した。
と事前知識を得て、散策開始である。
この土地が気になった最初の理由は、この分岐である。
そこに(分岐に)を見出そうとしたのだが、その時に知ったのが伊奈氏であった。
名こそ知れ、ここに陣屋があるとは知らなかった、
南長野の伊那を好きな私としては運命を感じたのだ。
「これは行くしかない!!」
分岐の間にはニューシャトルの基地がある。
ここにはニューシャトルの車両基地があり、まずは見学をしよう。
おもちゃのような車両がならぶ、カワ(・∀・)イイ!!でしょ。
陸橋が見えてきた、
あれを渡ると逆側に行くことができる、そして良いものを見ることができる。
陸橋には金網がはられている。
ここから車両基地が見えるのだが・・・・、見ずらい。
隙間から撮ってみるが今度は角度が悪い、奥に見えるのは新型??
本日、車両基地で何かのイベントが開催されており、女性が多いように感じた、
最後までなんのイベントかはわからなかった。
新幹線の高架横に張り付くようにニューシャトルの線路が曲線を描き上がっている。
陸橋から、伊奈氏屋敷の裏門跡が見える、そして説明板がある。
堀を移動しずらくする為に掘の底に障子堀と呼ばれる畝を作った、その発掘跡がこの辺りと言うが・・・。
では伊奈ゲート(KIT命名)を抜けていこう。
先ほど橋からみた説明板を見る。
曲線を描いた道を進む。
これらも戦略をもって造られた痕跡だろう。
この先の角を曲がっていくと・・。
左側に看板があった、
頭殿社と散策路の分岐らしい、まずは頭殿社を見ようと思って歩いてきたが、
メインでデッシュは後にしようと考え、散策路に入っていく。
このような道を歩いていく、すこし不安だ、
この史跡発掘は一部の住民に反対されていると書いてあった、その先入観がそのように感じさせるのだ。
歩く度にガサッ、ガサッと音がする、霜である、昨夜は相当寒かったのだろう。
散策路に入った、木で整地されており新しさを感じる。
今は枯れ葉を踏む音だけが響く、
静寂の森に枯れ葉を踏む音だけが聞こえる、侵入者が来たとばれてしまう・・・、
ネットで見たのだ、一部の反対者がいると・・・・(またか・・・)
これは堀跡である、堀跡に散策路を作ったのだ。
道路へ出た、出口には志位委員長が待っていた。
伊奈氏屋敷跡の発掘現場説明会の駐車場の看板があった。
このように、要所に案内があるので迷うことはない。
そして、伊奈氏屋敷跡にでた。
陣屋と言われているが、城郭規模と言われ、伊奈城を言ってもよい大きさであった、
関東地方を治めるのであれば、その規模は推測に難しくないだろう。
人が数名きている、
おかしい、おかしいぞ 私の予想では、人はいないはずであった。
そして、机が置かれ、案内係のようなスタッフが2名いる。
そこで、パンフレットと資料を数枚頂く、
今日は発掘の中間報告会にようなことを行うという。
なるほど、だから先ほどから1人、2人・・・と人が集まってきているのか。
普段は、この発掘跡にはブルーシートがかけられているのか・・・。
とても幸運な日であると言えよう。
これほど、時間をかけて発掘現場を見るのは始めてだ。
地層が分かれている。
出土品のかけらが置かれている。
4か所ほど、このような発掘中の場所があった。
説明会まで時間があるので、少しばかり散策してみる。
少し歩いていくと伊奈氏屋敷跡の説明板がある。
伊奈氏の変遷を簡単に知っておこう。
後ろには沼のような場所がある、これはかつての堀であろうか。
音がするので顔を向けると、北陸新幹線が通過していく、
この距離感ぐらいがいいかも、近いとうるさいし、この距離だとそれほど気にならない。
先ほどの発掘場所を見ると、人がさっきより集結してきている。
そして10:30から説明会が始まった。
地層の説明、
土塁のように見えていたものが近年の業者によるものであったり・・・、
まだまだ発掘半ばの為、目論見を違っていたり、
かつての位置関係など、またわからない事がわかったという。
これからである。
歴史を辿る為には時には長い時間が必要となる。
あとは時間と人とお金だな・・。
とてもわかりやすく、親切な説明であった、今回は中間発表であったが、
最終発表はいつになるだろうか、楽しみだ。
来年の2月にも、何かイベントをやるようなことを言っていた。
発掘現場での説明は終わり、次に関連史跡の見学ツアーを行うという、
予定時間はとっくに過ぎているが、最後まで参加しよう。
見えずらいが堀があり水が沈殿している。
ここにはかつて山門があったという、
その山門はあるお寺に移築された、しかしながら今は建て替えされ現存はしていないという、掲げている写真は参加者が持ってきたものであり、それを説明している。
大勢でぞろぞろついて行く、
マップを見ながら説明を聞くという感じだ。
この道の盛り上がったところ、これが陣屋のあった境であるという、
そう言われれば納得である。
来た時最初に通った散策路に入る、
これは今年10月に整備を終えたものであると説明があった、まだ未完成でありこれからも整備が進められるという。
この場所には、かつての堀があったと説明を聞く、
この中は木々が茂り晴れていても暗い、
そしてこの大きさをみると、やはり伊奈陣屋の大きさを実感することができる。
頭殿社に向かう、先には新幹線の高架が見える、
まさに景勝地!!
そして新幹線が通過していく、
そうか、新幹線からもこの社が見えるのか・・・、
意識をすれば高速移動中でも見ることができそうだ。
ニューシャトルも走っていく、
条件がそろえば、東北新幹線・上越新幹線・ニューシャトルが同時に見ることができるという。
最後の説明が始まる、
この社も伊奈氏の頃から存在しており、この地を見守ってきた、
周りには土塁があったと思われる場所もある、
説明を聞かないとわからないことも多い、土塁と思ったものが盛り土であったり・・、
とても楽しく、勉強になる説明会であった。
これからも伊奈氏の史跡の研究・発掘作業を続けて欲しいものだ。
最後のアンケートを書き、解散となった。
最後に頭殿社に寄ってみた。
普段は人がこない場所、さっきは50人近くが集まった、
さぞかしびっくりしたに違いない。
新幹線は通過しなかった、
林を抜けたときに轟音が聞こえた・・・、そんなものだ。
では伊奈ゲートを抜け、伊奈氏の歴史散策の旅を終えよう。
陸橋を渡り反対側に出てみる、
丁度、大宮駅行のニューシャトルが通過していく。
丸山駅は右の高架下である。
駅前には案内図があった。
ここが丸山駅の改札である、
売店があり、改札はスイカ対応である、しかも有人の駅だ。
12:11発の大宮駅に乗り、これから志木駅に向かう、
さぁ第2部の始まりである。
伊奈氏の史跡を見に行こう!! 完