勿来駅に来た。(注:なこそ と読む)
ここはもう関東ではない、東北である。
その違いにはあまり意味がないのだが、人によっては考え深いものになる。
人が勝手に引いた線なのにね。
福島県南端の駅・勿来である。
勿来駅。
計画では大津港駅からタクシーで勿来関所まで一気に移動するつもりだったのだが、
タクシー代を惜しみ、より近い勿来駅から乗るつもりであった。
タクシーがいなければ、大津港駅まで戻ろうと考えていたが、隣りのホームには
上りの列車が停まっている。
これで選択肢は無くなった。
跨線橋から、これから向かう勿来の関方面を見る。
まだ、時刻は12時少し過ぎだ。
乗降客がいないのが気になるが、
特急はなぜか数本停車するのだ、なぜ大津港駅には停車しない!!
調べたら、勿来駅の1日平均乗降客数は、900人前後らしい。
駅前広場にさっそく関所がある、
正確には関所をイメージさせるモニュメントだが。
吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな
これは源義家が勿来の関所で詠んだ和歌である。
銅像の出来栄えも素晴らしく、義家の乗りこなしも実に優雅である、
そして武士としても大変立派な活躍をした、
そして人としても大変できた人物であったと伝わっている。
勿来駅舎である。
いまさらながら、この地名は読めない、「なこそ」という。
※2回目の説明。
駅舎もそうだが、駅周りもキレイでコンパクトにまとまっている。
しかし!!
な・ん・だ・こ・れ・は??
なんでこれは、ここにあるんだ?!
物事にはすべて理由があるのだ?
だからこの銅像がここにあるのには理由があるのだ。
教えてくれ!!
写真を撮っている最中に、タクシーが客を乗せてきた、
一瞬乗ろうかどうか迷ったのだが、ハザードを点灯させていたので歩くことにした。
でも、この徒歩が、あとで響いてくるのだ。
勿来観光マップ。
昭和臭漂う古さだな、好きだよ・・・こういうの。
歩道橋で駅の反対側に行く。
よく見ると、ホーム左右非対称だ。
ホームに「勿来の関跡」の柱がある。
階段を降りると、看板が設置されていた。
勿来の関 あと2.2km・47分 とある。
「けっこう、かかるな・・・。」
でも俺なら!!30分で行けるはずだ!!
ここが勿来の関跡の登口である。
グーグルタイムでは徒歩31分。
残り1.9km
勿来関跡2km、増えてない?!(車と徒歩ルートの差か?!)
道路を渡りさらに直進する、そして、ある石碑を見つける。
風船爆弾基地図の看板がある。
勿来には、風船爆弾の基地があったという。
太平洋戦争末期に、和紙を用い気球をつくり、15kgの爆弾をつけるというものだ。
偏西風を利用して、アメリカ本土への、直接攻撃を目的としていた。
この町に、このような側面があったとは・・、想像していなかった、
歩きで来て良かった。
そろそろ平坦が終わりそうだな。
斜度が上がっていく、これからは坂だ。
それなりに車が往来する、かなり疲れてきた。
看板が朽ち果てている・・・。
私の体力も朽ち果てようとしていた・・・。
あと13分だ!!
そして、ここにきて女性・白拍子万寿が登場。
すこしだけ、ライブゲージが貯まる!
何かが見えてきた。
筆塚。
和歌のはじまりであり、終わりだな(なんのこっちゃ・・)
もう少しで着きそうだ。
残り6分まで来た、そして絶世の美人・萌登場。
分岐は右へ進む。
写真撮影スポットがある!
なんだ、この看板は?!(笑)
最後はやはり、源義家であった。
あと3分。
登口から22分で到達した。
コースレコードを更新だ!!(笑)
その代わり、ふくろはぎがパンパンだ。
さぁ、関所への入口だ。
ここでも源義家と会った、
25分前にも見た記憶が・・・、しかし今度は完全・武者姿である。
勿来関・石碑。
その向こうには、太平洋がぼやけて見える、空気は澄んでいないということだな。
奥州勿来関跡。
柱、石碑、門、銅像とオンパレードでお出迎えだ。
関所を通る前に、少しだけ寄り道をする。
迷路にようになっているが、ここはなんだろうか。
弓弭の清水(ゆはずのしみず)と呼ばれる場所がある。
義家が弓で掘ったところ、清水が湧き出たという。
今は水が湧き出ている感じはない。
季節的なもの?なのか?
詩歌の古道、これから先は様々な歌碑がでてくる。
勿来関跡・石碑がある。
その隣には・・・。
勿来関跡の石碑を挟み、関東の宮・奥州の宮がある、
ここは、関東・東北の境・すなわち関所である。
源頼家の和歌の石碑がある。
石畳みの坂を上っていく、左右には様々な歌碑がある。
まさに右往左往することになるのだ。
小野小町も勿来の和歌を詠んでいる。
この周辺は勿来の関公園として整備されている。
こちらは古地図風だ。
最後に源義家の歌碑がある。
歌碑を読み、海を見ながら、歴史館に到着。
最初は閉館していると思うほどの雰囲気であった・・・。
どうみても閉館でしょ?!
けっこうしっかりとした造りをしている。
「来ること勿れ」
これは、ここには来るな という意味である。
外敵に対しての関、蝦夷よ、これ以上来るな ということだ。
だけど、この館は、「ウェルカム」である。
入館料を払い、係の人に勿来海岸への最短ルートを教えてもらう。
※これポイント。
この文学館、あなどることなかれ!
とてもよい施設であった。
この先は真っ暗である、しかし・・・。
「なこそ」という言葉は歌枕に使われるようになる、
「歌枕の地・勿来」いい響きだ。
勿来・和歌・・・と、
イメージに合わないこの先端的なオシャレな作りは?
ミスマッチを通り越し、最高の融合を果たしている。
和歌とは、センスが必要であり、この見せ方にもセンスを感じる、
だから、会うんだな・・・と勝手に理解する。
よく、わからんが、綺麗な作りだ。
この空間には19首の和歌を映像と音と、そして雰囲気で楽しませてくれる。
1Fへ移動する、先ほどの展示室は2Fである。
中は回遊式となっている、楽しめる施設ではあるが、人はいない・・・。
「不思議タウンなこそ」あと二里である。
なんか、語りだしたぞ、演出にぬかりなし。
ここが入口である。
しかも犬が吠える!!
宿場町体験である。
適度に暗く落ち着く空間だ、そして照明だ。
細かい演出もいい。
「じゃ、たんごと茶でも頂こうか・・・」と言いたくなる。
画像も流れている。
なかなか力が入っている。
二八そばだ、一杯もらっていこう。
ここは頭で考えずに、体で感じる、雰囲気を楽しむ空間だ。
実に不思議な人たちであった、不思議な宿場町・なこそ であった。
出口には、なこそ地蔵がある。
「道に迷いませんように」と願う。
期待を裏切られた・・・、
てっきり、がっかり施設と思っていたのに・・・・。
車で来ると、こちらが側が正面となる。
隣りの一段下った所に、吹風殿(すいふうでん)という施設がある。
コンセプトは平安時代を感じよう! ということだ。
勿来八景の歌碑。
みなさん、八景が好きですな・・・、百景は多すぎだが・・・。
では、教えてもらった勿来海岸への最短ルートを行こう!
これから海へ向かってGO!!
時刻は13時18分、かなりの時間を使っている。
勿来の関へ行こう! 完
第3部は消化試合だ!!