8月16日(金)、今日は「無生野の大念仏」の日だ。
これを楽しみにお盆休みを過ごしてきた(笑)
台風10号も日本海に抜け、影響こそ残っているが関東での大きな天候崩れは無くなった。
そもそも、無生野の大念仏は室内で行う為、あまり天候には左右されない。
立地は山梨県上野原、関東からすれば比較的行きやすい場所だと思う。
では旅日記スタート!
大念仏の開始時刻は20時頃と聞いていたので、
遅くとも18時30分には着きたいと考えていた。
だが、今回は違った・・・、それは後程。
目的地:秋山地区公民館
関東から行くと、最寄りの高速出口は上野原ICとなるが、今回は大月ICから向かった。
理由としてはくだらないが、談合坂SAに寄ることとセブンイレブンに寄ることがその
理由だ、まだあるのだがそれは旅日記で。
(私にとってはくだらなくない)
中央高速道・談合坂SA(下り)
なんて清々しい景色だろうか!
でもこんな時間に下り中央道の談合坂にいるのは、あまり無い体験かもしれない。
普段なら横浜に帰ってくる時間だ。
そして、時刻は17時10分だ。
ここまでは渋滞もなく、とても順調に来た。
想定通り、この時期に下りが混むわけがない。
セブンイレブン都留井倉店にて、夕飯を調達する。
時刻は17時40分、ここから一般道を走る、距離にして約11km。
(県道35号・四日市場上野原線)
中は全く見えないが停まってみる・・・。
一応、見ようかなと、、。
ここをリニア新幹線が通過するのか・・・。
相当頑丈な造りになっている。
もう陽が沈んでしまう、次に行こうか。
「雛鶴神社」に到着した。
地図を見ると、この辺りに別の雛鶴神社もある。
雛鶴神社の看板前には1台ほど停められるスペースがあり、そちらに停車する。
赤い橋を渡れば境内だ、行ってみよう。
自然の中にひっそりと佇む雛鶴神社。
護良親王の側室の雛鶴姫を祀っている。
1334年、護良親王は鎌倉で悲運の死を遂げた、
雛鶴姫は葬らねばと考え、御首級を抱き、従者とともに鎌倉を脱出した。
雛鶴姫が無生野の里に辿り着いたのは、その年の暮れ頃であったという。
姫は親王の御子を身籠っていたが、母子ともに命を落としてしまう。
それを不憫に思った村人たちは手厚く葬り、冥福を祈ったという。
それから数年後、護良親王の王子・葛城宮綴連王が諸国を周り、この地に落居する。
村民の話を聞きき、不思議な縁を感じた葛城宮綴王はこの地に落居することを決めたという、
そして子孫を残し天寿を全うしたという。
「無生野の大念仏」は護良親王・雛鶴姫・綴連王の追福のため、初められたものであり、念仏踊りの原型を留めるものとして、今でも続けられている。
神社横には雛鶴姫のお墓がある。
雛鶴姫の像が無生野の村を見守っている。
では目的地の集会所に行ってみよう!
秋山村無生野集会所前を通過すると提灯に灯がともっていた、
まずは駐車場を探さないと!
少し走ると大きなスペースがあった、私有地とは思えなかったが、ここに停めるのは
一瞬ためらいがあった。
(ここはやめておこう)
再び集会所前を通過して、少しするとバスの回転場があり、
その一角には祠と案内板があった。
意外なのが、この県道はそれなりに交通量がある、
感覚的には5分1台ぐらいのペースで通過していく。
これが一角にあった看板だ。
「秋山の民話41 ひなづる姫」
これを読むと無生野の大念仏の歴史の一端を知ることができる。
※大方わかるかな・・。
(41ということは少なとも1~40もあるのか?! と驚きだ。)
無生野の里の夕暮れ。
駐車場は無いので、
「集会所前の県道に停めるほかない」ということになる。
ここでは「無上野大念佛」と書かれた提灯が下がっている。
時刻は18時42分だ、もうじき外は暗くなる。
中では地元の人が円座で話し合いをしていた、
そしてやけにカメラが多い、そして人も多い、とても違和感を感じた。
中に入ると集会所の中は舞台にようになっている、
これは大念仏の為に作られた集会所のようにも思える。
鏡のように思えるが奥に一段高い部屋がある、ここは「道場」と呼ばれている。
額には雛鶴姫と御首級を持つ従者が甲州秋山に着いた場面が描かれている。
お隣りには、重要無形民俗文化財に指定された証書があった。
道場には3枚の掛け軸が掛けられており、
中央には大太鼓、そこには青竹が立てかけられている。
こちらの札は最後に配って頂けるのだ。
「無上野大念佛」と書かれている。
時刻は19時19分、開始まで11分だ。
20時開始と思っていたが、19時30分開始と聞いた。
とてもラッキーだ、30分早く始まり、早く帰れる。
責任者・進行役かはわからないが、大念仏開始の挨拶が行われる。
とうとう、始まるのだ!
塩を撒き、道場を一周して場を清めていく。
(ということだろう)
道場には10人入り経文が 唱えられていく。
踊る前に独特の所作をする二人。
踊りが始まった。
隅で鉦を叩く人、中央で大太鼓を叩く2人、
では左から・・・
小太鼓を持つ人(太鼓ふり)・太刀を振る人(一本太刀ふり)・青竹を回す人(棒ふ
り)だ、その3人は右回りで大太鼓の周りをまわる。
太鼓は『護良親王の御首級』太刀は「雛鶴姫の追手」をあらわしている。
※速度が上がってきている。
よく見ると道場の隅2カ所には鉦を持った演者がいる。
次に立っている演者が変わる。
太刀も二本持ちとなり、緊迫感が増していく。
太鼓ふりは変わりはない、
しかし先程までにいた棒ふりはいなくなった。
万事休すか?!
途中から太鼓の叩く速度が速くなっていく、
それが、つらそうにも見える。
三度、演者が変わる、今度は棒ふりが参加した。
そもそも棒ふりの役割は何だろうか・・・。
19時58分、お布団が敷かれる。
これから「ぶっぱらい」が始まる。
病人に扮した演者が布団に入る。
一方、道場を見ると多くの演者が集まってきている。
教主が病人の枕元に座り、お祓いをしている。
教主が祈祷文を唱えている中、道場では太鼓ふり・太刀ふり・棒ふりが舞っている。
先程と変わらないと思っていたが、次の瞬間
全く異なることに気づく。
道場から演者が出てきた!
まるで画面から出てきたような錯覚をおぼえる。
病人の上で舞う3人の演者たち。
青竹でバシッと!!
見たことない光景に目が奪われる、そして次の瞬間、さらに驚く光景が!!
棒ふりが青竹を使い病人の上を飛ぶ!!
太鼓ふりも飛ぶ!
太刀ふりも飛ぶ!
この跳躍だ。
そして棒ふりが青竹を掛け布団に差し込む。
あとはみてほしい。
持ち上げて!!
「起きろー!!」
放り投げる。
病人は起き上り、病気が治る。
「ぶっぱらい」は終わる。
道場に全員が集まり、経文を唱える。
最後の締めということだろう。
飾りを取り外していく。
全てを束ねて外へ運び出す。
まさか、外に行くとは思わなかった・・・ストロボを持ってくるべきだった。
少し坂を上がったところにある大念佛供養塔へ奉納される。
これをもって無生野の大念仏は終わる。
時刻は20時17分だ。
机がセットされていく、
本日はダイドードリンコの取材があり、吉村作治先生、ダイドードリンコの会長・社長、苦田さんのオールスター参加とのこと。
これから直会が始まる。
普段の大念仏であれば、もう少し落ち着いたものになっているのだろう。
無生野の大念仏は年二回行われる、一月と八月だ。
一月は雪深くなるのだろうか・・・どうなのだろうか・・。
また来年も来てみたい・・そう思える大念仏であった。
では横浜に帰ろう!!
お盆の帰省ラッシュなどはなく、中央道・圏央道・東名道と全ての高速道路で
渋滞はなかった・・なんで?!
おかげ様で予定よりも早い時間に自宅に着いた。
なんとも言えず、心が満足していた。
無生野の大念仏に行こう!! 完