ここまでの一般道路も至って順調だった。
これから向かうのは『重要文化財・江川邸』だ!!
12時20分、江川邸の駐車場に到着した。
近くには江川家菩提寺の本立寺があるという。
駐車場には、想像以上にクルマが止まっていた、それでも7・8台だけど。
観光MAPを見ると、蛭ヶ島公園が近くにある、少し行けば韮山反射炉もある。
反射炉は以前訪問済み、蛭ヶ島も一度行ったことがあるが近いので行ってみることにした。
この江川邸はNHK大河ドラマ「西郷どん」の島津家屋敷のロケ地として使用されたという。
また同じくNHK大河ドラマ「篤姫」でも使われたとも書かれていた、
色褪せた写真が年月を物語るな〜。
それ以外の映画でも使用されているらしいよ。
入館料を支払い中に入ろう!
◆開館時間
①9:00~16:30 ②水曜日のみ:9:00~15:00
◆入館料
500円/大人1人
『江川邸』といって、あまり馴染みがない人が多いかもしれない、
歴史の教科書には大きくは載っていない、もしくは片隅に小さく書いてある程度だろう
か。
(そもそもKITが憶えていない・・・・・。)
しかし近代日本の始まりを語る上で、ここは外せない。
その建造の中心的人物が江川家36代当主・江川英龍(ひでたつ)なのだ。
残念なことに、英龍が亡くなった2年後に反射炉は完成した。
ここがロケで使われた場所だろう、大変立派な主屋でございます。
(入口に向かう道にひっそりと・・)韮山役所跡があった。
江川邸のお隣りにある、いや同じ場所にあったというべきか。
江川家は戦国時代は北条家に仕え、江戸時代は徳川家に仕えた、長きに渡りこの地を納
めていたことは驚きだ。
江川家は伊豆・駿河・相模・武蔵を支配していたという。
(長い! 広い!)
順路に従い中に入ると土間がある、土間はいい!!
田舎の家を思いだす、こんなに広くはないが雰囲気は同じ(に感じる。)
夏はここで昼寝するのがいいんだよね。
パン窯は端に展示されていた、ここの売りの一つ、パン祖だ。
『パン祖って、なんだ?!』
江川家は初めてパンを焼き、実用化に成功したという。
今のようなパンでなく、硬めのパンだ。
いわゆる堅パン、兵隊の遂行食料として作られたという。
パン業界からはパン祖と呼ばれている。
このパンは、こちらで販売されているので、興味がある人は買って食べて下さい、
とっても硬いよ。
頭上を見上げると、天井がとても高い!!
けっこう、人が来ているよ!
またはイチゴ狩りのついでとか、いまはシーズン外か・・。
ついで、ついで、と連呼してしてスイマセン。
本当の歴史好きならここを目的として来るよね。
昔の資料はいい。
『全く読めないが雰囲気で感じろ!』 つまりそういうことだ。
そんなに展示スペースは広くはない、隅に『西郷どん』のポスターが貼ってある、
いつまでも大事に貼っておいてほしいものです。
こちらがお偉い方です!
善政を行い、民からは大変慕われたという。
江川家は質素倹約をモットーとした、上杉鷹山公のようだ。
この時代(江戸時代後期)、日本近海には多数の異国船が姿をあらわすようになる、
その危機感から江川英龍は海防に関心を持ち独自の研究を始めた、
また渡辺崋山からは砲術を学んだという。
少し進むと、先ほどの主屋正面だ。
ドラマでは、篤姫はここから旅立ったのだろうか。
敵からの襲撃に備えて、真っ直ぐになっていない、
門と主屋の出入口がずれているのがわかるだろうか、銃などで直線上に狙われないようにつくられている。
ボランティアガイドさんによる説明だ。
やはり、生の説明があると知識の蓄積率が全く異なる。
こちらは東京のお台場だ。
まさかお台場と伊豆韮山が関係するとは、思わなかった。
1853年ペリー来航により、江川英龍は老中・阿部正弘の命を受け、東京湾に砲台・品川
台場を築造した。
今のお台場の地名の由来だ、それが江川家と関係があるという、これは面白い。
当初は下田に造られる予定が、ある事件により、ここ韮山に変更されたという。
江川英龍が建造をはじめ、子の英敏が完成させた。
反射炉とは・・・
熔解室の内部がドーム状になっており、そこに炎や熱を反射させて、千数百度を超える
高温を発生させ銑鉄を溶かし優良な鉄を生成させる。
熱などを反射させる為、「反射炉」と呼ばれた。
江川邸から韮山反射炉までは車で7分の距離、徒歩でも30分ほどで行くことができる
(距離:3.2km)
最寄り駅は伊豆長岡駅であり徒歩20分ほどの距離だ。
周遊バスも出ているのでチェックしてほしい(歴バスのる~ら)
10分ほどで見学を終える、では外の散策に行こう。
変な形をしている建物、こちらは肥料蔵。
2つ並ぶこちらは、米蔵だ。
中には展示品が置かれている。
お馬さんが展示されている、変なことには使わないよ。
想像した人、あなたは病気です(笑)
出口近くに、こんなモニュメントがあった。
なかなか濃い江川邸・・・。
パン祖、台場築造、反射炉建造と、
新しいことに取り組んだ先進的な人物と言えるだろう。
出口の目の前は駐車場だ。
では、次の場所へ!
江川邸⇒蛭ヶ小島へ(距離 1.3km・車4分)
5分もかからず、蛭ヶ島に到着した、しかし以前と雰囲気が全く異なっていた。
多くの観光客がいるのだ、ありえるのか!?
大変失礼だが、このような場所に!
(ごめんなさい!)
頼朝の目線の先には、富士山が見えるはずだが、今日は見ることができなかった。
隣りにいるのは、若かりし頃の北条政子である。
頼朝の流刑の地、伊豆の蛭ヶ島(当時14歳)
頼朝は20年の間、この地で暮らしたといわれている。
この地で再起をはかり、平家を打倒していく。
名所なので、お店もありますよ。
先程多くの観光客がいるといったが・・・
ここにいる人、ほとんどがスマートフォンを見ている、
これは『ポケモンしかない!!』とすぐにわかった。
この流刑の地、この像を見に来たのは、我々だけだ。
ここに来るまでの道のりには、頼朝や北条氏のことなど、パネルにより説明がされている、着く頃には基礎知識が身に付いているのだ。
山の上に見えるのは韮山城だろう、いつか行く日もあるだろう。
この近くには他にも見どころがある。
運慶作の五体の尊像が祀られている、ここは必見だ。
源頼朝の初恋の相手・八重姫の供養塔がある。
以前の旅日記 ↓
是非セットで行って欲しい!
車ならさらに範囲を広げることができる、海岸線ドライブもいいかも。
伊豆っていいところだ!
韮山・江川邸に行こう! 完