今回は小説「伊豆の踊子」をめぐる旅として、修善寺から南下、ついに終着地・湯ケ野
に到着した。
そして旅館・福田家に宿泊することがこの旅・最大の目的だ。
◆これまでの道程・・・・。
では、VOL.3スタート!!
福田家といえば「伊豆の踊子」の宿として有名だ、
あらゆる旅のガイドブックにおいて紹介されるほど超有名な旅館といっていい。
この鄙びた温泉宿は、小説「伊豆の踊子」の舞台であり、物語の最大の見せ場にもなっ
ている。
学生である「私」が福田家に泊まり、翌朝、風呂に入っていると、向かいの共同湯から
踊子が真裸で手を振ってきた・・・というシーンがある、まさにそれがこの場所なの
だ。
それ以外にも、様々な描写が福田家を舞台として書かれている。
公共交通機関では、東海バス・湯ケ野バス停で降りて徒歩5分ほどの距離にある。
眼下に見えているのが福田家だ、小説の舞台に足を踏み入れた瞬間だ。
坂を下っていくと次第に川のせせらぎが聞こえてくる、
もうすでに物語を取り込まれてしまっている、そんな心地良さがある。
ここでは、左右に遊歩道が伸びていた、
おそらくは河津七滝方面に続いているものと思われる、
この散策路は楽しいに決まっている、瞬間私はいつしか必ず行くだろうと心が決めた。
さらに少しだけ階段を下ると、足湯があるのだが、今は休止中と思われる、
そこから見た河津川は静かではあるが、とても力強く流れているようにも感じた。
この橋の正面に立てば、あの光景が広がっているのだ、それは数秒後の約束された感動
だ。
初めて見るが、初めてとは思えないほどに何度も本などで見た光景だ。
※実際には本日14時頃に来ているのだが・・。
橋の先に見えるのは伊豆の踊子の宿・福田家
実際、白壁にはそのようにかかれていた。
正面の部屋は「伊豆の踊子」という名の部屋であり、ここには既に先約があった。
この部屋こそ、その名の通り、小説伊豆の踊子で「私」が泊まった部屋、
この部屋から、これで柿でもおあがりなさいと金包みを投げた場所なのだ。
橋上からの景色も素晴らしく、自然と足が止まってしまう、
そしてせせらぎに耳を傾けてみる。
こちらの景色も伊豆の踊子にはかかせない場所だ、
あの踊子が入浴した共同湯がある川向の光景。
橋を渡ると川沿いには散策道がのび、自然と足が向いてしまう、
私はいつ宿にチェックインできるのか・・・。
小説では、このように表現がされていた・・・・。
私達は街道から石ころ路や石段を一町ばかり下りて、小川のほとりにある共同湯の横の
橋を渡った。
橋の向こうは温泉宿の庭だった。
(伊豆の踊子より)
伊豆の踊子の石碑と案内板
これの除幕式には川端康成ご本人が来られている、
この石碑は川端康成が認めたただ一つの石碑だという、これは福田家の女将に教えて頂
いた、旧天城トンネルにある石碑は非公式ということになる。
時刻は16時45分、日が傾きかけ、やさしい色になってくる。
そしてようやくチェックインができそうだ。
今思えば、しばらくした後の灯りがともった福田家も撮りたかった・・・と後悔した。
そうだな、次の訪問への布石としよう・・・とても自然な考えだった。
福田家
入口にかかる提灯には「日本秘湯を守る会」とかかれている。
(このような会があり、福田家さんはその会員らしい)
今年の4月上旬にはロイヤルエクスプレスにて優雅に伊豆急下田に行き、
福田家の「伊豆の踊子」と「思い出」という客室に泊まるという旅行を計画していた、
しかしコロナ禍、非常事態宣言の発出により、列車の運行中止・宿泊営業自粛となり、
旅は中止となった。
かなり形は異なるが、今日ようやく福田家に来ることができた。
チェックインを済ませて、御主人に部屋へ案内される。
やっぱり白浜は混みました・・・などと会話をしながら・・・・・。
とても気さくな御主人だった。
ここは10畳の部屋、来るまでは狭いのでは・・と心配していたが、そんなことはなかっ
た、この広さで十分だった。
お茶受けは温泉まんじゅう(港月堂)、疲れた体に甘さが染み渡る。
美味しさにうなづきながら食べる私・・・。
正面には松の木、この部屋は河津川に面しているお部屋。
景色はこのような感じで木々の隙間から、辛うじて川を見ることができる、
画像ではアレだが、実際にはより川を見ることができる(気がする)
いわゆる、自然のブラインドとなっている。
広縁の机の上には三冊の本が置かれている、
伊豆の踊子(川端康成)、日本秘湯を守る会の本、地熱発電の隠された真実
小説・伊豆の踊子は全く同じものを自宅から持ってきていた。
冷蔵庫は少しというか、かなり古いタイプ、なんか音がしていた・・・。
とてもなつかしいタイプ、こんな冷蔵庫を見るのは何年ぶりだろうか。
ビールを一本だけ飲んだ。
テレビと電話、
受話器をとるとフロントにつながる電話、それに金庫。
浴衣とバスタオルと足袋
小タオルと歯ブラシとビニール袋
たまにこの袋が無い宿があるのだが、地味に困る・・。
こちらは水周り、まずは洗面所、現代風であるが今風ではない。
こちらは洗浄機付きトイレ。
古い宿ではあるが、こういうところには不便はない、旧館においてもおそらくは同じだ
ろう。
私が泊まったのは新館となり、
見ての通り新しさを感じることができる、この棟には2部屋あると思われる。
どちらかはわからないが川端康成も新館に泊まったことがあるという。
しかし、お隣りにあるこの部屋はなんだろうか・・・。
階段を下りていくと踊り子の絵が迎えてくれる。
1階廊下、秘湯に関する掛物が並ぶ、左に曲がると内風呂+露天風呂にいける。
この旅館にはお風呂が2つあり、榧風呂は男性は入れない時間帯となっている。
こちらは露天風呂+内風呂
看板が掛けられており、「今あいてます」など、これを確認してから入る必要がある。
今は男性の時間帯、では入ろう!
一旦、少しだけ外に出る、下駄に履き替えてカランコロンと・・・。
たしか「私」も下駄を履いていたと書かれていた。
脱衣場には空調が付いており、快適な空間となっている。
歴史ある宿ながらも、今風に適応しており、とても快適だ。
ドアをガラっを開けると・・次の感動!!
とってもいい感じの造りではないか!!
湯舟に入ってからも、お湯は熱くて、とても気持ちがいい、最高だ!
この大ドアの向こうには露天風呂へと続く。
露天風呂の周りは木々で覆われており、森の中で温泉に入っている感じだ。
ここは中に比べて、熱がこもっていない分、さっぱりと入ることができる。
この露天風呂も気持ちよかった~。
木々の向こうには祠らしきものが見える、私気になります!!
シャワーも水圧はばっちり、旅館あるあるではしょぼい水圧はよくある事なのだ。
こちらが注目すべきアイテム
秘湯シャンプー・リンスと秘湯ボディーソープだ。
これはフロントで売っていた、ちょっと重いのであきらめることにした。
オレンジシャンプーなら買っていた自信はある。
こちらがロビーだ、丸柱二つと鹿の頭がまず目に飛び込んでくる・・・。
フロントの隣りには自動販売機もあるので冷蔵庫以外にも選択肢はある。
常に玄関は開かれている、お風呂上りに浴衣で夕涼みも乙なモノ。
そんなことをしてみたいと思わせる旅であり、旅館だ。
村枝賢一「光路郎」 私は全く知らない作品だ・・・。
多くの著名人も伊豆の踊子を愛し、その世界を味わったのだろう。
色紙の数は物凄い。
福田家と川端先生の写真が額に入り、飾られている。
ロビーで寛ぐ川端康成
隣りの女性は女優と書いてある本もあったのだが、実際には福田家の女将だ、
これは実際に教えて頂いた。
「川端康成文学碑」の直筆原稿
(福田家の横にある文学碑)
「伊豆の踊子」では福田家の名前が一切出てこない、
それを証明してもらうために川端本人に書いてもらった、それは先代の女将が頼んだと
いう、面白いエピソードを教えてもらった。
色々なものがありすぎる、何を見ていいのかわからなくなるほどに!!
うれしい悲鳴とは、どのような悲鳴だろうか?!
伊豆の踊子博物館、
まさにそう言っていいほどに多くの貴重なモノが展示されている。
全て、伊豆の踊子に関連する品々。
『伊豆の踊子』
変だが、素晴らしい人形、いいね!!
八方にはないが四方に展示物が所狭しと置かれている。
そして丸机の上はコレだ!!
福田家が紹介されている本・雑誌などが山のように置かれている。
何冊が読ませてもらったが、多すぎて切りがない・・・。
これいいな!!
こういうのを自宅に飾りたい、どこで売っているのだろうか・・・。
(非売品、特注品だろうか・・・女将にお聞きすればよかったな。)
かつての河津温泉郷のポスターだ。
下にはリゾート21αが映っている、今ではロイヤルエクスプレスへとグレードアップし
ている、時代を感じさせる。
そして、ついに榧風呂(かやぶろ)に入湯だ。
ここに入らずして、伊豆の踊子は語れない。
フロント近くにこの榧風呂はあり、右のガラス戸(入口)の向こうはすぐに通路だ。
鍵を閉めることができないので、不測の事態もあるかも??!(笑)
今は男性の時間に変わった。
先ほど内風呂に入ったばかりだが、その衝動を抑えきれずに来てしまった。
ここは脱衣場であるが、とても狭く、たたみ二畳分ほどの広さだ。
そしてお風呂へのドアを開けると・・・。
大きな階段へとつながっており、その下には湯舟が見えた。
地下に下りていくような感覚だろうか・・・。
突然の半地下空間に度肝を抜かれると同時に高揚感が沸き上がる。
「ここだよ!!」
榧でつくられた湯舟、これが気持ちいい、壁の周りにはタイルが貼られており、
その模様がそれぞれに異なり、楽しさと共になんともノスタルジックな気分にさせ
る。
上側が窓になっており、外をわずかに見ることができる、
ここに「私(川端康成)」が入り、川向うの共同湯に入っている踊子を見た場所なの
だ、当時とは形が少し異なるのだろう、今では川向うの共同湯を見ることはできない。
この高さを考えると湯舟は本当に地下にあり、川面と同じぐらいの高さなのかもしれな
い、こんな温泉初めて入った。
実際に知っているのと実際に入ったのでは、その認識は全く異なる。
川端康成が落ち着くと言った理由もよくわかる気がする。
このようなお風呂、ここだけではなかろうか。
ただ温泉に入るだけなのに、このワクワク感はなんだろうか?
たしかに温泉に浸かるのは楽しいこと、しかしそれ以上の「何か」がここにはある。
シャワーも完備されており、今風の進化はされている。
決して昔のままではない、昔の良さを残し、現代の需要にも応えている・・・といっ
たところだろうか。
シャンプーとボディーソープはもちろん「秘湯くまささ」だ。
湯の升からお湯が絶えず注ぎこまれてくる、
言うまでもないが源泉かけ流し、それに適度に熱く、私好みである。
深さもあり、1人で入るには広く、しかし適度ともいえる。
この湯舟に入っていると、全てこれでいいという感想・考えしか生まれてこない。
私・kitはニ時に目が覚めてしまった、
小説「伊豆の踊子」を知っている者なら二時といえば、私が踊子の純潔を気にするあま
り、榧風呂で荒々しく掻きまわしていた時刻であると理解するだろう。
これは榧風呂にいくしかない!
真夜中の二時に榧風呂に行き、眠い目の中、湯舟を荒々しく掻いてみた。
たびたび小説をひらき、黙読してみる。
何か新しい発見がありそうな、そんな予感がする・・・。
このように小説を片手に温泉宿に泊まることなど、他にあるはずもなく、
福田家と伊豆の踊子が唯一無二のものであることに気づかされる。
そして18時30分、お楽しみのお食事の時間がきた。
ご主人が1人で下の階から運んできたものと思われる。
続々とテーブルに並ぶ、おいしい食事たち。
割り箸の包みもオリジナル
伊豆の踊子ゆかりの宿 福田家
コースターも大変に凝った造り、
もうビールはいくしかないでしょ!!!
これも上品で美味しい、
なんだか榧風呂を思い出す半地下な器とその模様。
かさごの唐揚げ
かさごってこんなにも美味しい食べものだったなんて初めて知った。
夕食の目玉の1つだ。
全てが美味しい、
偏食で有名な私ではあるが・・・全てを食べることができた。
自然と箸が進んでしまうのだ・・・。
まさに雰囲気に流れている、たまには流されてしまうのも心地よいものだ。
刺身も当然ながら美味しい、
見た目も美味しそうなのだから、食べても美味しいに決まっている。
度肝を抜かれたのがキンメダイの煮付けだ。
金目鯛好きのKITとしては幾度となく食べてきたのだが、こんな美味しい金目鯛は
初めて食べたと自信をもって言える。
確かに味は濃い、しかし味付けでごまかしてはいない、ただものすごく美味しい、
それだけなのだ。
食べ終えてしまうのが、悲しくなるほどに・・・。
御主人がキレイに食べましたね・・というほどに夢中に食べた。
そして最後にいのしし鍋、伊豆は意外にも「いのしし料理」が有名だ、
私は、いのししの肉は好きでない、 100回連続で牛肉や豚肉や鳥肉を選ぶ自信がある、
絶対にいのししの肉は選ばない。
しかしどうしてしまったのか?!
これまでのいのししのイメージをこの瞬間、払拭してしまった、
そんな力強い美味しさがそこにはあった、汁も味がよく出ており、身体に染み渡る。
しかし、これが最後ではなかった!
一旦食器や器は片付けられて、次の食べ物たちが並ぶ。
わさびおかか御飯、これもまた美味しい!!
ただ御飯の上におかかとわさびが乗っているだけなのに、
なんでこんなにも美味しいの??
いやわさびとおかかが乗っているから美味しいのだと・・・と数秒後に理解した。
料理だけでも再訪したい、
心からそう思ってしまった、思ってしまったのだから、仕方がない。
しばらしくすると御主人がお布団を敷きにきてくれた、
その動作には無駄がなく、手早く終えてしまった、まるでテーブルクロス引きを見てい
るかのようだった。
今日の旅の行程はかなりの駆け足ではあったが、一切妥協もなかった、
見るべきものは見てきた、一つ指摘するとすればそれは湯ヶ島を飛ばしたことだろう
か・・・。
しかしそれは別の日にかならずや行ってみせる。
そして・・・
身体にアルコールも回っており、いつしか眠りについてしまった。
しかし深夜2時に目が覚めてしまい、榧風呂に入りにいった、
朝起きるとそれが夢の中であったかのように記憶が曖昧になったいた。
朝7時、朝食前の散歩に出てみよう。
朝からすでに暑いのだが、汗をかいたら温泉に入ればいい、
榧風呂でも、露天風呂でも、どちらでもいい!
玄関を出ると踊子の像が出迎えてくれる、14歳とは思えない大人びた表情だ。
橋の中央から河津川を眺めてみる。
天気もよく、それに呼応するかのように川の流れも素晴らしく思える。
こちらは共同湯があるほうだ、家屋が川沿いに建ち並び、背後には山々がそびえ立つ。
当時とは異なっているのだろうが、想像はできる、その面影を感じることができる光景
だ。
たしかにここには伊豆の踊子のロマンがある、
あるというか、ロマンで溢れていると言い換えておこう!
川下に下りられる階段を見つけてしまった、これは降りる以外の選択肢はないだろう。
下からの景色もとても素晴らしい、川を身近に感じることができる。
常に開かれている、福田家の玄関。
今気づいたのだが大きい甕はなんだろうか、何に使うものなのだろうか。
もう、うっすらと汗がにじんできている、しかしそれは温泉に入る為の布石に他ならな
い。
昨夜に引き続き、朝も福田家内の伊豆の踊子の展示品を見させて頂く。
客室内に戻ってきた。
机には伊豆の踊子の文庫本が二つ並ぶ、
一つは客室に備え付けのもの、もう一つは私が自宅から持ち込んだものだ、
それを知っていれば持ってこなかった、いや持ってきたな。
7時15分頃、朝食となる。
普段であれば、トーストとコーヒーとヨーグルトの三点セットなのだが・・・。
今日は全く異なる。
一つ一つの量は多くはないが種類が多い、
仕事がある朝では絶対に食べることができない量(笑)
しかし今は旅行中、とても美味しく頂くことができた、食事は「気持ち」でするもの
だ。
チェックアウトは10時が上限となっているが、
帰りの特急列車の時刻もあり、9時に出発することにした。
また来てくださいと常套句をいわれ、私はまた来ます・・と言葉を返した、
これは社交辞令の言葉ではなく、真の心からの言葉だった。
それに私は「有言実行」の人だ。
対面の川沿いを歩く、なんとも良い雰囲気を感じる。
こちらが共同湯、
川端康成が旅した頃とは異なっている、しかしその場所は全く変わったわけではないの
だろう。
川を挟みお互いに見ることができた造り、それはどのようなものだったのだろう。
この共同湯は地元の方専用であり旅行者は利用できない、
しかし福田家の浴衣を着ていれば利用することができる、なぜなら福田家もその維持費
に関しては出資しているからだ、そのように前日、女将から聞いた。
でも今の御時世、賛否がでているとのこと、お客様に不快な思いはさせたくないと
利用できる旨の説明はしていないという。
理解はできるが、なんとも残念なことだ。
共同湯と福田家は真向いというより、少し斜めの位置にあたる。
坂をゆるやかに上り、一段先に上っていく。
ここで一旦折り返してみよう、
またバスには時間があるので、しっかりとまではいかないが、周辺を散策してみようと
いう気持ちになってきた。
木々に囲まれた福田家が見える。
川を挟み、橋の先にある鄙びた温泉宿・福田家。
ゆるやかに曲がっている手すりに、作り手のセンスを感じることができる。
「伊豆の踊子ハイキングコース」
行ってみたい!!
「伊豆の踊子」・・・・・しかしこのブランド力、すごいものだ・・・。
いい感じの散策道、天候にも恵まれ、何もいうことはない!
ここから先は普通の道路に変わっていた、あの曲がった先はどうなっているのだろう
か、それは次回以降のお楽しみとしよう。
実際に河津から歩いてきて、ここに到達した時、どのような気持ちになのだろうか?
想像ができるだけに、やってみたいという思いが強くなる。
『秋、いっちゃう??!』
JA 伊豆太陽 上河津支店前を通過。
ここがメイン道路と福田家へ続く道への分岐点である、そして気になる看板がある。
「 おにぎり大好き踊子ちゃん 」
(勝手に命名)
湯ケ野温泉・伊豆の踊り子文学碑入口
車に乗っていても、分かり易い目印だ。
個人経営のコンビニ前(塩田屋本家)にある東海バス・湯ケ野バス停
時刻表を遠目で見ただけでも本数が少ないことがわかる、事前計画が大事ということ!
塩田屋本家の踊子看板
周りには桜が咲き、楽しそうな絵だ、JR特急踊り子の悲し気な表情の踊子とは対極
だ、要するにどっちもいい!
湯ケ野から河津への所要時間は15分ほどであり、とても近い(バスにて)
歩いたら1時間以上かかるけど。
河津駅・ホームに着いた。
この先には湯ケ野があり、河津七滝方面だ、山が折り重なっており、中伊豆の山深さを
感じることができる。
これより特急踊り子号で横浜に帰るのだが、これから来る踊り子は新型踊り子号、
最後まで185系の踊り子号とは縁がない旅だった。
下りホームには185系踊り子号が入線してきた。
やっぱりこのグリーンストライプが素晴らしい、
これは伊豆の木々をイメージしたものといわれている。
下田方面から257系リニューアル踊り子号が入線してきた、
こちらは打って変わって、真っ白な白地に濃い青の太いストライプの車体、
これは伊豆の海をイメージしたものだろう。
以前、下田プリンスホテルでみたヒリゾ浜の紹介パンフレットの海の色に似ている。
自宅で写真を見ていると、こんなものが映っていた・・・。
これは何の撮影??
熱海を過ぎた相模灘の景色も趣きがあって好きな光景。
テレカを福田家で購入したが、実際に使う機会は無さそう、
でも公衆電話はまだ撲滅されていないので、使う機会が消滅したわけではない。
そして、車窓には平沼橋のガスタンク群が見えてきた、もう横浜駅に到着する。
ようやく伊豆の踊子の旅を終えることができる、
旅は無事に終わることが至上命題だ、それは・・・・・・。
「ケガはしなかったか? 」
「忘れものはなかったか?」
「お金は使いすぎなかったか?」
ということだ。
最後のものは、とても微妙ではあるが、全てクリアしたといえるだろう。
心には満足だけが残り、次の旅への期待が生まれた。
夏の「伊豆の踊子」をめぐる旅 全行程 完
■■福田家・特別編■■
チェックイン前に福田家さんに寄らせていただいた、
その時の事を記そうと思う、では特別編スタート!!
チェックインする前に福田家さんに寄らせていただいた、
どうしても客室「伊豆の踊子」を見たかったからだ。
階段を上がり一番奥の部屋です・・と御主人に教えて頂いた。
なんとステンレスの洗い場があった、時代を感じるな・・・。
その前には「ある部屋」があった。
太宰治「東京八景」を執筆した部屋
(ここは立入禁止)
太宰治はその中で「Fの宿屋」と呼び、福田家のことをよく書いていない。
川端康成へのあてつけだろうか。
小説「伊豆の踊子」
では入ってみよう!
狭い!! 入口は一人用、すれ違いができない?!
おもしろい、造りとなっている。
正面には橋が見える、全面的にガラス張、そして廊下のようになっている。
曲がったところには、広縁にようになっており、3冊の本が置かれている。
ここから栄吉に金包を投げたのだろう。
クーラーが効いており、とても涼しい・・・。
じゃなく、広い部屋だ、さすが踊り子の部屋だ!
二つの部屋ほどの広さを持っている。
床の間も立派、それに年季が入っている。
これは踊子が背負っていた太鼓・・模したもの
そして「私」と踊子が遊んだ五目並べだろうか・・。
これは小説の一説か・・・。
これはキジ?!
なぜ、キジなのだ!!(笑)
いい部屋だった!!
いつかは泊まりたい!!!
では今度こそ・・・完