昨日までの東北旅行の疲れをとるために、プチトリップに行くことにした、
4.・5時間のコースで生麦・神奈川地区周辺で気になっているスポットを周ることにした。
本当なら、雲1つ無い晴天なので、
海でも見たい気持ちがあったが、それは次回以降にした。
鶴見駅からは鶴見線が走っている、神奈川に住んでいてもあまりなじみのない路線である。
鶴見線は13駅しかないのだが、3路線に分かれている、
本線・海芝浦支線・大川支線である、しかもほとんどの駅が無人駅である。
そして海芝浦駅は、知る人ぞ知る名所ともなっている、
しかしながら、本数が少ないため、何も考えなしに行っても往復するのは難しいのだ。
これは今度、行ってみようと思う。
今日は、京浜急行沿線の旅を銘打っているが、
『だって、国道駅に行きたかったんもだもん。』
この国道駅も一部の人には人気の駅であり、雰囲気を楽しむ駅である。
特段変な駅ではなく、雰囲気が良いのだ。
ではスタート!!
鶴見線乗り場に行くと、意外にも乗客が多いこに驚く(ごめんなさい)
降りる人がいないのではと不安に思っていると、1名だけ降りた。
なぜかちょっぴり安心した・・・。
降りてきた階段を見上げる。
トンネルにいるような暗さだ・・・。
階段の中間には上下線に移動できる連絡通路がある。
連絡通路から覗いてみる、
なんとも怪しい雰囲気ではないか。
逆側を見てみると、改札が見える、
連絡通路が見える、なんか湿っていそうな雰囲気だ。
こちらは15号線沿いだ、国道駅の看板がかかっている。
こちらは鶴見川側の口である。
(つるみがわがわ、なんか変だ・・・・・)
鶴見川側の口から左右に伸びている道路を右方向に歩いていく。
横浜駅方面に向かっている。
8分ほど、生麦の日曜朝のおだやかな時間帯を歩いていくと、
道念稲荷神社に着く。
まず最初の目的地である。
道念稲荷神社。
国道駅からすぐに着く、道念稲荷神社。(3回書きました)
石板で作った道念稲荷が素晴らしい。
そして説明板に目が行く。
説明板に目が行く前に、鳥居の行列に目が奪われる。
しかしこの神社は鳥居が珍しいとか、良いとかではなく!!
『蛇も蚊も』である。
『じゃもかも』という、口に出して言うとなんとも不思議な感じがする。
普通の人なら『ジャモカモ』と思うだろう。
これは生麦で古くから行われている民俗行事である。
江戸時代から始まり、300年以上の歴史があるという。
旧暦の端午の節句の行事であったが、近年では6月の第1日曜日に行われている。
萱でつくった蛇体を若者・子供がかつぎ、
『蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ』と大きな声で唱えながら町を周る。
そして最後には蛇体の首を落とすか燃やして終わりとなる。
疫病が流行った時、蛇体に封じ込めて、海に流したという、これがこの祭りの起源と言われている。
ある時より、2つの地区に分かれて行われるようになった、
この本宮地区の道念稲荷神社と原地区の神明社である。
現在も2つの地区で行われているという、
そして、『本家 対 元祖 』のような対立があるとう。
鳥居は結構新しい、しっかりと修繕を行いながら大切にされているのだろう。
石像が二体ならぶ。
では鳥居をくぐり参拝をしよう。
拝殿である、
隣りに『蛇も蚊も』発祥の地とかかれている石碑がある。
原地区と切磋琢磨して、より高めていってもらいたい。
両脇には、民家が並び、その間にひっそりと長年鎮座してきた。
100年前までは、そこまで海であり、うなぎに、しじみと漁が盛んであった、
先ほど歩いてきた道が昔からの生麦のメインストリートであったという。
ここで写真を撮っていたら、自転車に乗ったおじさんから、昔の生麦の事など
いろいろと教えて頂いた、30分は話しただろうか。
『蛇も蚊も』これは来るしかないだろ!!
年間スケジュールに組みこもう、おじさんにも『来ます』と言ったしな。
400mほど離れたところに『御社母子稲荷神社』がある。
『おしゃもじ いなりじんじゃ』を読む。
もちろん、狐様がいますが。
さらに近づいてみよう。
『!?』
目を見開いて、何を咥えているのか???
こっちは・・・、いいや。
御社母子稲荷神社は、偶然見つけたのだが、いい発見であった。
不思議な響き『おしゃもじ いなりじんじゃ』
そして、何を咥えているのか、わからない狐様。
御社母子稲荷神社から100mほどで着く。
生麦事件の発生現場である。
民家の塀に案内板が掛けられているのみである。
歴史を学ぶ上で、必ず出てくる生麦事件である、
私も横浜に住みながら、初めての訪問である。
1862年、薩摩志士によるイギリス人殺傷事件である。
これが薩英戦争のきっかけとなり、その後倒幕への流れとなっていく。
首都高・横浜北線の横を歩いていく。
生麦事件現場から徒歩11分ほどのところにある、
生麦事件碑である。
少し迷ったが、キリン横浜工場の前にあった。
この場所はイギリス人・リチャードソンが絶命した場所とされている。
最近直したのだろうか、やけに真新しい。
次に向かうには才兵衛稲荷である。
第一京浜を歩いていく、それほど時間はかからない。
マップのルートとは異なり、生麦事件碑から直線で行くことができる。
普通の地図では載っていないため、横浜石油企業を目印に行こう。
その脇道から入っていくことになる。
駐車場に入ると、奥に稲荷社がポツンとあった。
私有地ではないかと、ひやひやするが・・・、
そして案内板がないかと探す。
『あった!!』
この壁面に貼ってあるとは!?
村人から預かったお金を茶店で無くしてしまう、お金を見るけることができずに、それに責任を感じた僧侶は、海に身を投げてしまう、
しかし人の執念からか、その亡骸は何度流しても茶店の裏の浜に流れついたという、
それを不憫に思った村人が稲荷神社に祀ったという。
そんな悲哀のお話しが書かれていた。
これも地図とは異なるが、第一京浜からアクセスすることができる。
遍照院。
通称『踏切寺』と言われているそうな・・・。
ここの特徴は参道に京急線が走っているということだ。
中も見せてもらったが、落ち着いた良い境内であった。
遍照院の境内をまた京急線が通り抜けていく。
本数が多いため、バンバン列車が通過していく。
ひっそりと佇む、石像。
またもや京急線がハイスピードで通過していく。
時速は120kmを超えることもある、東海道線すら凌駕するスピードで住宅街を駆け抜ける。
新子安駅に行き、京急線に乗車、神奈川新町駅で降りる、短時間の乗車である。
神奈川新町駅から徒歩で5分ほどの距離にある。
笠のぎ稲荷神社に到着、こちらは裏口である。
境内に入っていく、人がいない静かな参拝だ。
正面には、鳥居の向こうに京急線が走る、
拝殿、木々に囲まれ良い感じ。
社前を通る時、通る人の笠が自然と脱げたことから、『笠脱稲荷大明神』と呼ばれるようになり、その後に『笠のぎ稲荷神社』と変わっていった。
ここにも神奈川宿歴史の道があった。
仲木戸駅から徒歩5分ほどである。仲木戸駅に降りたのは初めてかもしれない。
京急線沿いを歩いていく。
運慶寺、『浦島寺』に到着する。
神奈川県に浦島太郎伝説があるという情報を得た、これは行くしかない。
入口にはさっそく亀がいる。
奥には『フランス領事館跡』の石柱がひっそりとある。
開港当時は、フランスの領事館として使われていたことがあった。
手水屋も亀を模している。
本堂に合掌。
こちらは浦島観世音堂である、
12年に1度しか開帳されないという。
この中には、浦島太郎が乙姫からもらったとされる菩薩像が安置されているという。
この向こうにはJR線の線路があり、しきりなしに列車が通過していく、
このお寺は電車から見ていた、まさか浦島伝説を持ったお寺とは思わなかった。
隣りには石碑が建てられている。
第二京浜に沿い、ゆるやかな坂を上っていく。
道路の向こうにはJR線と京急線が走っている。
本覚寺は高台にある、
ここからは第二京浜と線路を見下ろすことができる。
こちらはアメリカの領事館として使用されていたことがある、
高台にあり、周りをよく見渡すことができる場所であるからだろう。
いいところを選ぶ!
生麦事件にて、薩摩志士斬りつけられたマーシャルとクラークはこの寺に逃げ込み、
手当を受けたという。
良い眺めであった、昔は海が見えていたのだろう。
大網金刀比羅神社に向かう予定だったが、道を間違えてしまう。
三宝寺に辿り着く、
ここも神奈川宿歴史の道であった。
写真の御仁は、21代住職・弁玉である。
よくみると、亀の甲羅の形をしている。
やはり浦島伝説に起因しているのだろうか。
三宝寺をさらに登っていく。
高島山公園に行きあたる。
こちらも神奈川宿歴史の道の1つであった。
望欣台の碑がたっており、先には景色が開けている。
※ぼうきんだいと読む。
下を見ると鳥居が見える、
『下だった!!』
大網金刀比羅神社の入口に到着。
東海道と海を見守り、旅行者や船舶の安全を祈願してきたという。
石舞台に乗った狛犬。
なかなかカッコいい!
かわいらしい丸い手水屋。
そして社殿が見えてきた、中は灯りが灯っている。
「!!」
天狗である!!
巨大な天狗が祀られている。
横浜にも天狗伝説があったとは!
池があり鯉が優雅に泳ぐ、
そして奥には祠がある!! 行ってみよう!!
池を渡っていく、鯉も逃げることなく泳いでいる。
大網金刀比羅神社龍神社。
これは楽しく、趣きがある。
そして渡り終えたら、ネコを発見!!
こちらに近寄ってきて、すぐに興味を無くして、草を食べだした。
天狗と猫の図。
こじんまりとしていたが、気持ちの良い、楽しい神社であった。
横浜のビル街が見える、
ここから13分ほど歩けば、横浜駅である。
近くにこんな良い場所があるとは思わなかった、
「灯台下暗し」か・・・。
まだまだ横浜には知らないところが多くありそうだ、
そんなことを考え、満足して帰った日曜日の昼下がりであった。
京急沿線・神奈川を歩こう! 完