横浜から掛川市へは遠い、車で約2時間30分ほど、
サービスエリアなどの休憩時間を含めれば、3時間以上となる。
今日は掛川を皮切りに、磐田・浜松と刻んでいく。
帰りの渋滞を考えた場合、7時間以上の車移動となる、
最後は睡魔との戦いとなるだろう。
では始めよう、掛川城へ行こう!
ネオパーサ駿河湾沼津SA
駿河湾と伊豆半島は霞んでいる、天気予報は晴れであるが、曇りへ下っていきそうな予感を感じさせる光景だ。
東名町田ICから海老名SAまでは、いつも通りの渋滞につかまる、
それ以降は、快調に進むことができた。
行楽日和ではあるが、まだまだ寒く、動きはまだ鈍いのだろう、桜が咲く頃からが
一気に本番を迎える。
掛川への訪問はこれで2回目である、
以前は新幹線で来た、その時も最終的には浜松に行った。
新幹線で掛川駅を通過する時、掛川城が見える、ついついいつも見てしまう。
そんな掛川城に実際に行ってみよう。
まずは駐車場を探す、
大手門の近くに「大手門駐車場」がある、ここに停めることにする。
掛川城から徒歩5分ほどのところだ。
駐車場の対角線の先には、大手門がある。
大手門の目の前には、「すいのや」があるのだが、開店は10:30の為、帰りに寄ることにする。
すいのやの軒下には、ネコがいた、
かなりのお年のネコであることがわかる、反応も鈍い、でも人の話しは聞いていそうだ。
大手門。
平成7年に復元されたものである、
掛川市の本気度を感じる、それにここだけではない。
大手門の左前方には、掛川城が見える、
「城だ!!」
海がみえると・・、「海だ!!」 リアクションは同じだな。
では大手門を抜け、掛川城に向かおう。
大手門は二層式櫓門であり、建造においては工夫が凝らされている。
それが「礎石根固め石」である。
その裏には大手門番所がある、これは復元されたものではなく、江戸時代後期に作られてたものである。主に、城内への入出に関する監視・警備の為の詰所である。
大手門番屋の裏には三光稲荷大明神がある、伏見稲荷から勧請された。
紙が貼られており、よく見てみると・・、
「泥棒に進言・毎日お賽銭を管理してます、開錠しても無駄です。」
?!?
逆川が流れている、川沿いには掛川桜並木がある。
青空の下、掛川城が丘に構えている。
かけがわさくら。
まだまだ、つぼみである。
川沿いを歩き、登城するのも掛川城の醍醐味、逆川は天然の堀としても機能していたという。
ここからも城見学の一部である。
駐車場から、大手門・番屋と続き、川沿いの景色を楽しみながら歩き、10分ほどの散策である。
右へ曲れば、掛川城へ続く。
正面は、二の丸御殿に続く、左の階段を上がれば掛川城・四足門である。
入館案内があり、
掛川城(天守閣)・二の丸御殿のチケット:410円/大人である。
オーソドックスな選択をする。
それ以外には、
・二の丸茶屋
・竹の丸
・ニの丸美術館
・ステンドグラス美術館
がある、お好みでどうぞ!ということだな。
四足門。
正保城絵図を参考にして復元されたものである。
入場券売場の向こうには、時を知らせる太鼓櫓が見える。
威風堂々、東海の名城の再現である。
では登っていこう。
かなりの急な階段をあがる、年配者にはやさしくない階段だ。
掛川城の美しさはここにある、
この見せ方である。
今は手すりがあるが、当時はあるはずもなく・・・。
登っているとわかるのだが、曲線を描き、曲がり角も多い、敵が侵入しずらい形となっている。
掛川城は遠江の拠点として、駿河守護大名・今川義忠が重臣・朝比奈泰熈に築城させた城である。
桶狭間の戦い後、今川氏真は武田氏により駿河を追われ、掛川城に立てこもることになる。
その後、徳川家康の攻めにより、和睦の上、開城となった。
豊臣政権下では、山内一豊が掛川城に入り、城下の整備を進めていった。
この時に天守閣が造られたという。
天守閣は平成6年に木造にて再現された。
これが、掛川市の本気だ。
武者返しも見える。
門をくぐると、一豊と千代がお出迎え・・・ではなく、等身大撮影パネルがある。
千代は、「内助の功」として知られ、良妻賢母の見本とされ、一豊の出世に尽くしたというエピソードが数々ある。
では入ろう。
靴は下駄箱に置き、裸足で見学をする、取り間違いには注意である。
城の内部に入り、写真撮影は可とかかれている。
ではガンガン撮っていこう!!
まずは山内一豊の像がある。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、最初は小大名であったが、着実に戦果を挙げていき、家康時代・関ケ原の戦いの小山評定では、真っ先に領地献上を申し出て、徳川支持のきっかけを作ったという。
そして山内容堂公へ続く・・・・。
城内には狭間が複数ある、これは外敵に備え、銃や弓などで攻撃する為のものである。
武者隠し、その名の通り、武者を忍ばせていた場所だ。
これは石落とし、石を落として外敵を撃退する。
その上の布は、NHK大河ドラマ「功名が辻」で使用したノボリであり、仲間由紀恵の手縫いのものと書かれている・・・・・。
天守閣・最上層からの眺めである、
ここはガラス張ではない箇所が2か所あり、爽快な景色を楽しむことができる、
これがとっても大事なポイントである。
大手町駐車場が見える、正面の白い建物「P」である(笑)
もちろん、大手門も見える。
東海道新幹線が通過していく、正面が掛川駅であるが、全速で通過していった。
こちら側からは名前がわからない山々が見える。
ガラスと柱がないだけで、この開放感!!
眼下には二の丸御殿が見える。
そして正面には、富士山が見える。
かすかではあるが、あれは富士山である!!
平成23年に二の丸御殿に金運を呼ぶといわれる白蛇が出現したという。
こんなに階段は急である、足の悪い人には苦行である。気をつけてください。
斜度は何度であろうか・・、難度である!
この辺りも再現されているのか。
木造はいい、
変に鉄筋コンクリートにされても意味がないしね。
床が軋む感じもいい感じ・・。
城の外に出てきた、
やはり青空の下、白い城は映える。
※決してダジャレではない。
霧吹き井戸という、
徳川軍侵攻の際、ここから霧が噴出し、侵攻を防いだという。
二の丸御殿には、ここから入る。
城門よ、開け!!
言葉では伝えきれないが、結構良い光景。
正面が二の丸御殿である。
梅が咲いている。
少し寒々しいな。
十露盤堀(そろばんぼり)
そろばんに似ているからそのように呼ばれているのだろう。
御殿入口に到着、
ここでチケットを切ってもらい入場する。
書院造りという建築様式である、中は広大で幾つもの部屋が連なっている。
御殿では、儀式などの公式行事を執り行う場、藩の政事を執り行う場、そして藩主の公邸でもある。
縁側がとっても良い感じだ、日向ぼっこが気持ちよさそうだ。
玄関正面には、甲冑と刀が展示されている。
入ると、まず大太鼓がある、時を知らせる太鼓である。
三の間・壁には打掛が掛けてある。
広い!!
しかし部屋は横断しないで、廊下を歩く!!
では奥の間に進もう!
でもここから絶景が見えるのだ。
絶景・掛川城である!
パネルで歴史を学ぶ部屋。
掛川の祭りを学ぶ部屋。
大名行列の廊下、さらに直角に曲がり続きます。
武器の展示。
カタログの間、奥にお土産の間(笑)
御殿の見学時間は約20分ほど、
二の丸御殿は復元ではなく、当時から現存するものである、
歴史はそれほどではないが、明治からこれまで、役場・学校などなど、様々なものに使われてきた、そして最終的に観光施設に落ち着いた。
御殿の現存は、貴重であり、川越・二条城・高知・掛川だけである。
では、駐車場に戻ろう。
ちなみに、後ろに見える堀が、三日月堀である。
掛川桜の案内板。
そのような品種があるとは、知らなかった。
城から正面の橋を渡り、お土産屋を発見、寄ってみよう。
観光案内所もあるので、是非お寄り下さい。
逆川には多くの鯉が泳いでいる、
掛川桜は、まだ咲いていない。
では、すいのやへGO!!
では、すいのやに寄りましょう。
もう11時を回っているので、開店してます。
ネコがエサを待っているのか?
ようやくこっちを見てくれた。
野良猫ということだ、すいのやさんでエサをあげているのだ。
このあと、水を飲みに一旦席を外した(笑)
昔なつかしの駄菓子屋であるが、ここで食べるのは静岡おでんである。
奥には、席があり、7~8人は入れるスペースがあり、そこで食べることができる。
ビールを飲みながら、おでん!!
これ最高である(今日は、車なのでおでんだけにするが・・・)
おでんを食べ終わったら、駄菓子の時間である!!
買いまくって、200円ほどである。
名物はおでんよりも、おでんをつくるおばあちゃんである。
話好きで心が和む・・・、掛川城に来たら、絶対にくるべき場所である。
ちなみに、「勇しぶ」というアニメは、掛川の風景がでており、すいのやさんもでているという。
大手門駐車場に戻ってきた。
では次の場所へ移動だ。
掛川城へ行こう! 完