磐田市イメージキャラクター「しっぺい」を知っているだろうか?
しっぺいとは、霊犬伝説・悉平太郎(しっぺいたろう)をモチーフにしたキャラクターである。
今回の旅土産として、しっぺい饅頭を購入した。
これから、向かう場所は、しっぺいたろうのゆかりの神社である、見付天神・矢奈比賣神社(やなひめじんじゃ)である。
掛川城に登城した後、次は磐田に向かう。
掛川から磐田・見付天神まで30分弱で行くことができる。
道を間違い、つつじ公園のほうから上がってきてしまった。
神社の裏である、うちのナビは曲者である。
見付天神裸祭とある、
平成30年は9月15日の開催とのことだ。
では拝殿に行こう!!
売店がある、しかし営業はしてない。
しかも神社の裏って・・・、立地が悪いのでは。
太郎最中とある、これは欲しかった。
御朱印は3種類あり、専用紙に欲しい御朱印に〇を入れる方式だ。
順番は逆になってしまったが、参拝を済まそう。
横から撮影、重厚な拝殿である。
創建は定かではないが、歴史はかなり古い。
願かけ牛(雄)
願かけ牛(雌)
そして中心に「見付天神」である。
手水舎、赤の存在感。
境内図、駐車場は第1~第3まであり、第3駐車場に行ってしまった。
第1・第2であれば、正面から参拝ができたのだ。
遠景。
梅と天神社。
主祭神は矢奈比賣命(やなひめのみこと)であり、安産・子育て・縁結びなどの御利益がある、相殿の菅原道真公は、学問と合格祈願にご利益がある、
そして、霊犬・悉平太郎も祀られており、厄除け・災難除け・ペットの健康祈願にご利益がある。
そして、「しっぺい」推し!!
御守りもたくさんあります。
こちらは、国指定重要無形民俗文化財・見付天神裸祭としっぺいである。
しっぺい、大活躍である、しかもそれだけではない。
社務所には、「しっぺい饅頭」の広告が貼ってある、
最中は先ほど確認したが、他にもある!
境内でネコを発見。
私が探しに来たのは、しっぺいたろうの銅像である。
入口の鳥居横にいた!
神社の後ろから入った為、最深部となってしまった。
悉平太郎をご覧ください。
悉平太郎。
凛々しいぞ、悉平太郎。
昔、遠州見付では、人身御供の習わしがあった、
祭が近づくと、1本の白羽の矢がどこからともなく、美しい娘のいる町屋の屋根に突き刺さった。
その娘を祭の当日、柩に入れ、神前に供えたという。
ある年、六部が祭の日に見付宿に入った、
神様が人身御供を要求することを不審に思い、境内に忍び込み、一部始終を目の当りにした、そこに現れてのは神様ではなく怪物の猿「狒狒」であった。
そしてその狒狒は信州の悉平太郎を畏れていることがわかった。
六部は悉平太郎を探す旅へ出る、
そして光前寺に飼われている犬であることがわかった、
六部は光前寺の住職に見付の話しを伝え、悉平太郎を借りて見付宿に戻った。
見付宿に戻ってきた時には1年が経過しており、再び祭の日をむかえる。
人身御供の娘の代わりに悉平太郎は柩に入り境内に運ばれた。
そして真夜中、狒狒が現れ柩を開けた瞬間、
中から悉平太郎が飛び出し、狒狒と大乱闘となった。
戦いの地響きに見付の人々は生きたここちがしなかったという。
ついに悉平太郎は狒狒を退治した。
人々は歓喜して、踊ったのが裸祭である。
見付天神裸祭。
その後の 悉平太郎はというと、
光前寺に辿り着き亡くなったとも、途中で息絶えたとも、
そして光前寺で暮らしたともいわれている。
皆さんはどの結末を支持しますか・・・。
磐田を救った救世主・悉平太郎の物語はこれでおしまい。
※「しっぺい饅頭」のオビより。
こちらが正面であり、ここから入るべきところ、裏から入ってしまう。
悉平太郎と鳥居。
住吉神社がある。
六ッ石。
昔、楼門があり、この石はその柱の礎石である。
1つの根から2つの木がはえている。
御池。
のぞくと多くの金魚がいた。
氷室神社、日本に数社しかない貴重な宮とのこと、
釣りの神様とのことだ、ノボリ旗が?!
霊犬神社がある、もちろん行ってみよう。
印塚があり。
筆塚がある。
見付天神の裏手に周り、駐車場を横目に通り、霊犬神社に向かう。
白亜の鳥居を抜ける。
つつじの参道を通る、GWには色鮮やかな参道となるだろう。
約3,500本のつつじがある。
小さい社の霊犬神社。
犬を祀るだけあって、かわいらしい社だ。
日本で唯一犬を祀る神社!
悉平太郎を祀る神社・霊犬神社。
御朱印は、見付天神社でもらうことができます。
霊犬神社の奥は公園になっており、池があり、滝的ななにかもある。
磐田の旅はこれでおしまいである。
次の場所・浜名湖で向かう。
悉平太郎(しっぺいたろう)は別名・早太郎(はやたろう)と言われている、
なんとなく繋がっているような感じはするが・・・。
磐田では悉平太郎といい、長野では早太郎という、どちらも同じ犬である。
長野県駒ケ根市・光前寺
ここには早太郎のお墓がある。
早太郎を借り受けた六部は早太郎の供養にと「大般若経」を写経し奉納したという。
この経本は今でも光前寺の宝物である。
光前寺には、早太郎の木像と銅像がある。
そしてもう1つ、浜松市の152号線秋葉街道からヒョー越峠に入り、
ほどなくすると早太郎のお墓がある。
駒ヶ根の光前寺に帰る途中にこの地で息絶えたともいわれている。
ここは以前、遠山郷に行く途中、通ったことがあるが、全く気付かなかった。
走るだけで精一杯だったからな~。
磐田市見付、水窪、駒ヶ根・・・と3か所に渡り残る 悉平太郎(早太郎)の伝説、
昔より、街道が開かれており交易があったという証明であろう、
昔で考えれば、かなり遠い地から越境して化け物退治に来る犬、
とても「おもしろいお話し」である。
三とは三河のことであり、それらを繋ぐ道ということである、
まさに酷道(こくどう)の難関な道であり、秘境感を味わうことができる、
途中には「月 3km」もある。
浜松から月まで3kmである、なかなかユーモラスである。
これは交通看板で月集落まで3kmという、シャレた人(?)が作った正式な看板である。
すこし話はそれたが、
これで早太郎ゆかりの地巡りはこれで終わりである。