今回は、近場にしたいと考え、目的地を修善寺とした。
昨日は、早く寝てしまい、3時に目が覚めてしまった、
早起きすぎて『これは健康的なのか?』と自問自答したが・・・。
『まぁ、いいや。』と思考停止した。
始発までには時間があるので、のんびりしながら、計画を考え、5時過ぎには自宅を出発した。
車窓は真っ暗であり、次の停車駅・戸塚ではホームの電光がとても眩しく感じた。
湘南の海を横目で見ながら、東海道線は西へ走る・・・少し雲は多いかな。
三島近くから少しづつ青空が見えてきた、熱海に到着すると、函南・三島と停車していく。
三島からは、伊豆箱根鉄道に乗り換えるのだが、PASMOやSuicaは使えない為、一旦JR線の改札を出なければならない。
そして、なにも考えずにSuicaをタッチすると、赤ランプが点灯、止められてしまう。
駅員に申し出て、運賃を引いてもらうことになる、駅員も慣れたものであった。
全国でSuicaを使用できれば良いと思うのだが、なかなかハードルは高い。
三島には、7時22分に到着する、伊豆箱根鉄道・三島発7時34分に乗り換える、
この路線には、もう十何年も乗っていない。
三島は始発駅だ、終点は修善寺である、距離としては短い部類だ。
伊豆箱根鉄道のこの路線は駿豆線というらしい(初めて知った。)
小田原を発着している大雄山線も同グループである(これも初めて知った。)
修善寺には、8時9分に到着。
隣りのホームには特急踊り子号が停車しており、よくわからないテンションとなる。
やはり休日の修善寺、それなりの人数が降りたのだが・・・。
両車両ともに昭和の製造だろうか、レトロさを感じざるを得ない。
バスのりば案内。
ここからは中伊豆・西伊豆・東伊豆とどこにでも行ける選択肢を持つ。
私は①修善寺温泉バスに乗る。
そして私は東海バスの修善寺行きのバスを探すのだが、一番手前に修善寺行き8時26分発が停車しており、迷うことは無かった。
3番乗り場には、修善寺経由のバス・20分発が停車していたが、無駄な経由の危険があり、26分の修善寺温泉行きに乗ることにした、
その判断が正しいかは、わからない。
バスには一人の客しかおらず、ガラガラ状態で発車する、いくら時間が早いとはいえ、観光地行きのバスがこれでよいのか、と空に疑問を投げかけるが、当然答えは帰ってこない。
出発直前に女性が一人乗ってきたのだが、たぶんホテルに勤務している人で
出勤のために乗ったのだろうと勝手に解釈した。(笑)
修善寺温泉は修善寺駅から徒歩では少し厳しい、その為バスで移動することになる、昨日まで修善寺駅から歩いていけるものと考えていた。
9時前なのでお店は開いていない、かろうじて開店準備をしている人がいるぐらいだ。
歩いていると右に日枝神社が見えた、もちろん計画に入っているので参拝実行!!
やはり未明まで雨が降っていたのか、参拝道は湿っている。
『日枝神社(ひえじんじゃ)』
『信功院跡(しんこういんあと)』
1193年、源範頼は兄の頼朝の誤解により、この地にあった信功院に幽閉された。
昔は、誤解を解くのは難しい・・・・。
滔々と水がでている。
拝殿。
御祭神は大山咋神(おおやまくひ)である、弘法大師の建立といわれている。
境内には誰もいない、休日の観光地は・・・さ。
『こう、もっと人がいるのではないかい・・・』
『子宝の杉』と境内。
かなり広い、ここで行われる例大祭も気になる。
では次の場所へ。
修善寺らしい赤い橋が見えてきた、
修善寺には過去2回ほど来ているが、あまり記憶がない。
そして修禅寺に到着。
ここに来ないのは、カレーライスのカレーを抜くようなものだ。
弘法大師の石柱が見える、
『福知山 修禅寺』という。
ここで注意をしておこう、
『禅』と『善』だ。
簡単にいうと、紛らわしいので書き分けているという。
『しゅうぜんじに行こうぜ!』と言えば、『修禅寺に行こうぜ』の意味だ。
桂谷霊泉 ・大師の湯
修善寺温泉らしく、源泉かけ流しの温泉だ、冬場にはとても心地よい・・・。
見えるだろうか・・・屋根にいるのを。
唐獅子だ。
『修禅寺』
書聖といわれる政治家の副島種臣の筆によるもの。
立ち入り禁止前に番犬が!
かわいい、御犬様だ。
『修禅寺 寒桜』
修善寺は桜の季節、または紅葉の季節には全く異なる姿を見せる、
でも混むんだよね・・・・。
参拝客は5・6人ほどいて、さすが修善寺の中心地だ・・・。
こちらは『百度石』。
お百度参りはここをくぐり、参拝を百回繰り返すのだ。
御朱印を頂く、その横にも御犬様がいる、修禅寺には2匹の犬がいた。
観光案内板でわかるようにこの町はそれほど大きくない。
修禅寺前には北又川が流れている。
修善寺と言えば、 独鈷の湯(とっこのゆ)だ。
今では入浴することはできず足湯となっている。
修禅寺前の虎渓橋を渡ったところだ。
町中には看板があり、あまり迷うことはないだろう。
温泉街の定番だ、射的!!
スマートボールもあるだろう。
少し坂を上がる、この先にも源氏ゆかりの地がある、
今日は源氏ゆかりの地を巡る旅である。
これから向かうのは指月殿と源頼家の墓。
そしてもう一つあるのだが、それは後程・・・。
『十三士の墓』
北条氏との確執で伊豆に配流になった源頼家は、1204年に暗殺された。
頼家の家来は謀反の企てたが、失敗に終わったという。
ここは本来の場所ではなく、移設された場所である。
『源頼家の墓』
1199年頼朝の跡を継ぎ、二代将軍になった源頼家は、北条氏との政争に敗れ、
伊豆に配流となり、この地で暗殺された。
『お伺い石』
これは持ち上げることができる、持ち出されないことを祈る。
社もあり・・・。
隣りにある指月殿へ。
『指月殿』
北条政子が息子である頼家の為に建立したもの、伊豆最古の木造建築だ。
中には釈迦如来坐像が安置されている、
こちらのお釈迦様は右手に蓮を持っており、珍しいお姿をしている。
そして、近くにはこの看板が!!!
『おしゃぶり婆さんの像』350mとある。
「気になるよね? 絶対に気になるよね??」
皆、この名前に興味を持ち、好奇心にかられ、旅立つのだ。(笑)
こちらがおしゃぶり婆さんの像の場所だ。
では行動開始だ!!
同じ後悔なら、行って後悔しようぜ。
奥へ、奥へ・・・。
途中、石板も出てくる。
まだまだ先だ・・・。
まだ登っていく・・・。
また石板がでてきた。
ものすごく長く感じる、そしてかなりの階段がキツイ・・・。
見えた!!
看板から約7分ほどで到達した、心が逸るため体感時間はもっと長く感じた・・・。
こちらが『おしゃぶり婆さん』か・・・・。
『おそらくは中央手前の像がおしゃぶり婆さんだろう』と考えていた。
※皆もそう思うだろう!!
しかし近くの看板を見ると、どうも違うらしい。
こちらが『おしゃぶり婆さんの像』と思われる。
※違っていたら教えてください。
子宝子育ての神として祀られていると近くの看板に書かれていた。
赤ちゃんが口にするオシャブリが語源という、この形が似ているからかな・・・。
中央の方は違うのね・・・。
こちらの石仏は母乳に恵まれるように豊かな胸をしている。
『桂谷八十八か所・四十番の石碑』が正面にある。
こちらが案内看板である。
『岩谷観音とおしゃぶり婆さん』
『まいったぜ・・・。』
さらに上へと続く、『源義経像60m』とある、
少し悩んだが、ここまで来たからには行くしかない、
『なんかの義務感が私を上へと誘う・・・(笑)』
最後のひと踏ん張りだ。
到着だ・・・・。
獅子に跨った義経像。
案内看板には、義経の像ともチンギスハン像ともいわれていると書かれていた。
では戻ろう、やはり行きも帰りも誰ともすれ違うことはなかった・・・。
この階段、間隔が一定ではないのでとても疲れる、しかも雨で湿っているので、
普段より注意が必要となり、気を遣うことになる。
途中、木々の間からは修禅寺が見える。
おしゃぶり婆さんの像⇒竹林の小径へ。
修善寺でここの場所も有名だ、竹林の小径。
思っていたより短い・・・。
竹林の小径から少し歩けば、修善寺の老舗旅館・あさばがある。
高校生の頃かな、ここに宿泊したことがあり、能舞台が見える二階建ての部屋であった、その時はカメラを持っておらず1枚も写真が無いのが残念だ・・・。
こんな旅館で泊まりたい!!
そしてふつうのそばやでカレーライスを食べるんだ・・・。
(おいおい・・・。)
修禅寺前の橋まで戻ってきた、本当にコンパクトな町で助かる、
散策だけなら、それほど時間はかからない。
ではバス停に向かおう。
時刻は9時40分、修善寺温泉駅(バス停)に着くとちょうどバスが到着がした。
修善寺の滞在時間は、1時間10分ほどであった。
今回の旅は修善寺が本命ではなく別にあるのだ。
これから修善寺駅に戻り、次の散策路へ!!
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