横浜駅、これからリムジンバスに乗ろうとしている。
向かう先は羽田空港である。
ニュースで騒がれているが、関東平野部でも本格的な雪が降るという。
これから、飛行機で向かう先も当然ながら雪が降る予報だ。
バスが出発して、しばらくするとドライバーの運行案内が行われる、
その話し方はとても軽快であった。
鉛色の空の下、バスは高速道路をこれまた軽快に走っていく・・・。
私の旅は今始まる。
完
【 おいおい、終わるなよ。】
羽田空港第2ターミナルで下車する、
私はANA派なのだ、まあ、そんなにこだわりはないけどね。
もっぱら、旅は列車が多いので、マイルとは 無縁のKITなのだ。
羽田空港8時55分発の能登空港行きに乗る予定だ。(NH747便)
7時30分段階では、東京は雪は降っておらず、小雨程度だ、
欠航の心配もないだろう、能登も大丈夫だろうと楽観的に考えていた。
行ってしまえば、あとはどうとでもなれだ。
(もう、割り切るしかない。)
帰り便が欠航しようとも、北陸新幹線で帰れるはずだ、
明日・2/10の金沢駅発の遅い出発便であれば、空席もあるのだ。
(そのへんはしっかりと考えています!!)
バスの車窓から見える外は白い、いや灰色の世界である、
『白』であれば綺麗な光景であろうが、外の景色はそうは思えない。
ただの旅なら、このような日に北陸・能登には行かない、
さらに雪の心配もあるからなおさらだ。
初めは、愛知の鳥羽の火祭り、奈良の砂かけ祭りに行く予定であった、
チケット予約(列車もホテル)も済んでいたのだ。
しかし、連休3日前に急遽、進路を能登へ変更した。
ずーと気になっており、いつかは行きたいと考えていた場所、
厳冬期には無理と諦めていた場所、
心の片隅で、『行こうかな・・・。』という思いが芽生えて、急に花開いたのだ。
【飛行機の空席があれば行こう】と自分ルール(笑)を決めて予約検索すると、
なんと空席があった。
行きの北陸新幹線は満席であり、飛行機も難しいと勝手に考えていた。
そして帰りの飛行機は難なく取れた。
ここまでは、空港行きのリムジンバスの中で書いた。■■■■■■■■■■■■■■■■
能登空港行きは、バスによる搭乗となった。
(能登便は優遇されない・・・)
搭乗手続きは、8時25分予定であったが、全く行われない、
送迎のリムジンバスが来たのは、20分経過した後であった。
3台のバスで乗客が乗り込んだ後、空港職員が客室乗務員に話していた内容が聞こえた。
「バスが来ないという理由でご案内してます。」
まるで、他に理由があるかのような言い方だ。
当然ながら、出発も20分遅れた、でもまだ挽回できると思っていた。
(この時は。)
能登空港への着陸態勢に入る頃、機長より本日初めてのアナウンスが入る。
耳にしたのは意外な言葉であった・・・・・・。
「天候が急変して、降りることができない」という。
そして、「見通しが甘く、申し訳ない。」と謝罪の言葉であった。
これから、旋回をして着陸のタイミングを待つとのことだ。
何度、旋回したかは憶えてない、一度試みたが、急上昇して再度旋回となる。
窓からは、能登空港が視認できる、窓からは穏やかに見えるが、
地上では相当荒れていたのだろう。
なんだか、嫌な予感がした・・・、その予感が現実となる。
(これが結末だ、グッバイ能登空港。)
1時間の予定が2時間30分のフライトとなった。
あえのことに行こう! 完
しかし!!
明日10日に輪島市三井地区にて、
あえのこと(この地区では、『田の神様まつり』というらしい)があるのだ。
まだ、この旅は終わらんよ。
ここまでは、ホテル(夕方)で書いた。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ほんと、この時はそう思っていた、今考えると、なんと虚しいことか。
しかし、旅日記はテンションを下げて続けていこう。
小松空港、初着陸となったがあまり嬉しくない。
機内に空港職員が入っていて、説明が行われる。
内容は、『能登空港行きのチャーターバスが取れた、能登空港まで2時間後かかる』ということだ。
空港ロビーで待つが、バスは来ない。
手配ができただけで、いつ来るかわからないということか?!
『また、ここでも待つのか・・・。』と内心うんざりしていた。
「ようこそ小松空港へ」か・・・。
そして、私の携帯が鳴った、トヨタレンタカー能登空港店からだ。
(能登空港で、レンタカーを1泊2日で借りていた。)
当然事情は知っており、「どうしますか?」と聞かれ、小松空港から能登空港への乗り捨てに変更、返却日は予定通り明日の16時とした。
小松空港って、石川県だよね・・・。
私の知識・記憶が間違っているのかと調べてしまったよ。
いつ来るか、わからないバスを待つより、
高速料金を払ってでも、自走したほうが、気持ちが紛れるというものだ。
送迎バスでレンタカー受付所に移動した、これが面倒なんだよね。
ようやく、旅らしくなり、能登空港を出発した。
北陸道を走り、金沢を通過していく。
一時は『金沢観光でもいいかな・・・。』と投げやりにもなったが、
ホテルを予約しているので、そうもいかない。
わたしには、輪島に行くしか選択肢は無い、
それに明日は『輪島のあえのこと(田の神様まつり)』が待っている!
のと里山海道・高松SAに寄る。
天候は曇りだ、このまま続けばいいな~。
のと里山海道の途中までは順調であった、
内陸部に入り、柳田辺りだろうか、走行中から雪が舞ってきた。
『まあ風情があるよね・・・。』とまだ余裕があった。
『 ん?! 』
雪に勢いが出てきた、でもまだ大丈夫だ。
雪の中の運転は初めてであり、少しばかり不安ではあるが問題はない。
金沢から輪島は車で約2時間ほど、そんなに遠いわけではない。
到着予定は14時過ぎの予定だ。
輪島地区に入り、本日宿泊するホテル(こうしゅうえん)を横目に海岸線沿いへと進路をとる、予定通りに曽々木海岸まで行く為だ。
白米千枚田へ。
輪島からとっても近い、行きやすい場所だろう。
14時45分頃、白米千枚田に到着。
閑散としているが、それでも輪島から近いこともあり、それなりに観光客はいた。
季節が季節なら、サイコーの景色となるだろう。
ここから下に降りれるのだが、雪がさらに強くなったきた。
ここからの景色で十分だ。
晴れてれば、楽しい散策となるだろうが、雪が顔をうつ。
少し強くなってきた・・・。
白米千枚田⇒御陣乗太鼓の碑へ。
白米千枚田から近い、車で4分ほどだ。
『寄り道パーキング・名舟』と看板にある。
ここに来る人はいない・・・。
ここは御陣乗太鼓之地(発祥の地)である。
(これは、「ごじんじょ」と読む)
7月31日21:00から名舟大祭が行われる。
名舟の案内板。
雪が先ほどより激しさを増してきた、ゆっくり読んでいる暇はない。
とっとと車に戻りたい。
1576年、上杉謙信が能登地方に攻め込んできた時、武器を持たない名舟村の村人は、樹の皮で仮面をつくり、海藻で頭髪をつくり、太鼓を打ち鳴らしながら、上杉軍に夜襲をかけて撃退させたのが「御陣乗太鼓」 の始まりとされている。
道路向こうには、御陣乗太鼓の壁面図がある。
夜の公演が楽しみだ。
『初・御陣乗太鼓!!!』
名舟港の碑、さっさと車へ避難する、ここまで来ると車は減ってくる。
御陣乗太鼓之碑⇒窓岩へ。
曽々木に到着する、窓岩が見える、わかるだろうか?
岩の穴が窓のように空いている様を。
ここは、『窓岩ポケットパーク』と呼ばれている場所だ。
『能登平家の郷』とある。
景色がモノクロになりつつある世界にこの赤色は異彩だ。
穏やかな日なら砂浜まで近づき、波と戯れることもできるだろうが、
今は身に危険しか感じられない。
窓岩⇒垂水の滝へ。
15時17分、垂水の滝まで来た。
車が5・6台停まっていたが、1組しか散策(!)をしてない・・・。
他は何をしているのだろう。
もう傘をさすことに意味はないほど、フードを被り歩くしかないのだ。
『垂水の滝』の看板。
折角なので行くしかない、頑張れば温泉が待っているんだ!!
波の花道遊歩道が海岸線に続くが絶対に無理だ。
この頃にはさらに雪が強くなった。
滝がそのまま日本海に注いでいる珍しい場所ということだ。
滝の飛沫か雪か波か・・・もうよくわからない状態だ。
能登半島はまだまだ先へ続く。
これ以上進めば、本当にやばいと心が警鐘を鳴らす。
『撤退するぞ!!!』
輪島まで約20Km、道路には雪が積もっておりアップダウンもかなりある。
車もあまり走っていないので積もりが早い。
塩田村、時国家など寄りたい場所もあったのだが、今は輪島に戻ることを最優先とする。
無事に輪島中心部に戻ってきた。
16時00分、2015年にリニューアルしたキリコ会館に来た。
閉館は17時である。
車を降りると雪が顔・体に打ち付けてくる、駆け足でキリコ会館に逃げ込む。
自動ドアが開き、進むと・・。
多くのキリコが目に飛び込んでくる。
大キリコとキリコが所狭しと並んでいる。
奥には巨大なキリコが並ぶ。
能登國のキリコが最も大きい、能登国とは能登地方の古い呼び方だ。
夏の空に浮かぶキリコの灯り・・・・。
『キリコの謎。 祭りに恋。』
見てみたい!
キリコとは、『 切子灯籠(きりことうろう)』が正式名称である。
人が担ぐものとしては、日本最大級の高さだ。
前には漢字三文字が書かれ、後ろには迫力ある絵が描かれていることが多い。
こちらは家紋に龍だ。
こちらは2Fの空中回廊から見た光景だ、キリコ会館では横から上からとキリコを見ることができる。
町名が書かれた灯篭が空中に浮かぶ。
空中回廊では、この目線で見ることができる、祭りでは見れないアングルだ。
『いいね!!』
能登だけで800基以上あるという。
『何という数、圧倒的じゃないか!!』
映像コーナーもある、では、3Fへ上がろう。
3階フロアは狭い、まず目に飛び込んでくるのは能登の海女コーナーだ。
そして外の光景は雪一色だ。
奥は全面ガラス張りとなっており、寒々しい日本海が見える。
『外に行きたいくない・・・。 』
ど真ん中には、輪島大祭の大松明がある。
2階を突き抜け1階の売店まで伸びている。
これから雪は朝まで続く・・・。
右に見えるのは、輪島ルートイン(輪島の合わせてシックな造り)だ。
キリコ会館⇒輪島温泉ホテル・こうしゅうえん。
ようやく1日の大半が終わった、無事に戻って来れたしよかった、よかった。
温泉に入り、露天風呂サイコー!!!
目の前に雪の降る日本海、そして波!
エレベーターのポスターには、御陣乗太鼓の案内がある!!
これが『こうしゅうえん』を選択した理由だ。
フロントでは、御陣乗太鼓の割引券をもらった。
1,500円⇒1,000円へ。
地下1階お祭り広場 21:10開始(20:30開場だ)
20:30にはお祭り広場に行く、40分待つが良い席を獲らないとね。
『石川県指定無形文化財 御陣乗太鼓』
会場は満席となる。
21:10、ついに御陣乗太鼓が始まる。
私が御陣乗太鼓を意識したのは、
そごう美術館の松尾敏男展の『能登の太鼓』という絵を見てからだ。
その絵からは、御陣乗太鼓の妖しさ、怖さが伝わってくる。
松尾さんが魅了されたのもうなづける。
中央は、夜叉面。
(夜叉は人を害する鬼神の半面、財宝神ともされ、仏法護持の神とも言われる。憤怒の形相から「神の怒り」と形容される。髪は海藻のものと付け毛のものがある。 :HPより抜粋)
左は、幽霊面。
幽霊には、男幽霊面・2面、女幽霊面・1面がある、
この幽霊面が男か女かわからない、おそらく女幽霊面だ。
右は、爺面、こちらは3面あるという。
輪島市名舟町が御陣乗太鼓の発祥の地であり、現在70戸・人口250人ほど集落だ。
(現在はもっと少ないかもしれないが・・・。)
そのうち20名が御陣乗太鼓の打ち手として活躍しているという。
太鼓のリズムは、はじめはゆっくり、次いで早くなり、最後は最も早く打ち切る。
序・破・急の三段で打ち、これらが続く。
打ち手は自由な形でミエを切り、
面に応じた身振り・身のこなしなど、個性的な芸が入る。
赤の装束は達磨だ。
(「仏」の位置づけにあり、坊主だけに剃髪の態で、畏敬の中に親しみがただよう。頬かぶりに、インド僧の袈裟を表すオレンジ色の衣装を着ける。:HPより抜粋)
www.gojinjodaiko.jp
30分ほどで終わった。
体感時間は5分、圧倒されて時間がたつのを忘れてしまうほど。
動画でアップしているが、その迫力・魅力は伝えることはできない。
日本海の前で行われる御陣乗太鼓を見てみたい!!
本日の能登旅だが、最大の目的である『あえのこと』は見ることができなかったが、
『御陣乗太鼓』が私のモヤモヤ感を吹き飛ばしてくれた。
能登旅・あえのことに行こう! 1日目 (ほんとうに・・)完