今日は【島根の旅】メインの鹿子原の虫送り踊りの日だ。
天気予報では午前中は雨・午後から曇り・深夜から雨というものだった。
『天気予報よ、当たってくれ!』と切に願うばかりだ。
ホテル玉泉から送迎して頂き、玉造温泉駅へ。
雨音が寒々しい、実際には蒸して暑いけど。
スーパーまつかぜという特急列車で浜田に向かう。
浜田駅からはレンタカーで現地・鹿子原に向かう、そんな感じのプランだ。
2両編成の特急、1両目が指定席、2両目が自由席というシンプルな特急だ。
雨の宍道湖・・・。
そして窓が汚い、汚すぎる!!
『お願いだから清掃して!!!』
屋根が黒い町、屋根が赤い町など、その土地により特徴がある(ような気がした)
それにしても窓が汚い。
波子の町並み、少しだけ空が明るくなってきている。
それにしても窓が汚い!!(3度言ったよ。)
浜田駅には10時14分少し過ぎに到着した。
さっそく駅構内に「石見神楽」のポスターを発見。
これは今日の夜のお楽しみだ。
まずは鹿子原の虫送りに集中!
浜田駅、うれしいことに雨はやんでいた。
これはいけるか?!
レンタカー会社は駅から徒歩5分、
町は閑散としている、地図で見ると反対側のほうが栄えているような感じだ、
本日泊まるホテルも反対側に位置する。
浜田駅からすぐに浜田自動車道に入れる、なんと、南下すれば広島まで行けるらしい、
距離にして約100㎞だ、向かいの2車線の地方に多い自動車専用道路、高架を走り強風により車体が揺れる、飛ばされそう。
私はかなり手前の瑞穂インターで降りる、そこからは一般道(県道327号・原山雲海
ロード)で約9㎞ほど、対抗車はほぼおらず快適な2車線道路であった。
目的の駐車場に到着、
鹿子原の現地には駐車場が無いので、自分で考えなければならない。
ここにバスやタクシーで行こうと思う人は少ないだろう・・・・・。
駐車場には、車5台ほど停まっていたが、同じ目的の人達かはわからない。
まずは三穂両神社を目指す、スマフォで確認しようとするが、詳細のマップが出てこない、なんでだろう?
自宅のパソコンにて、事前に見ていたのでおおよその場所はわかる、それを思い出して歩い
ていく、やはり事前の調査は重要であると感じた。
それにしても風が強い、周りには人の気配が全くしない、車は時折走っているがとても無機質だ、それに風の轟音に不安を感じてしまう。
さあ、行こうか!
これがスマフォでは表示されなかった・・・。
道路のこの脇道を下りていく。
(はじめは不安だった・・・。)
雨が降った後なので、とても蒸している。
細い道を降りていくと景色が開ける、
田んぼが広がり苗が風になびいている。
「きれいだな〜」と感動する。
感動している場合ではない、神社を探さないと!
曇りであっても新緑は美しい、海であれば灰色になってしまう、
『新緑っていいな~』としみじみと思う。
おそらく、正面の小高い丘に神社があるように思うのだが。
そして、下っていくと鹿子原公民館が見えてきた!
しかし誰もいないし、シャッターもしまっている、まだ時間が早いのだろう。
それにしても「石見やまんば祭り」って何?
少し歩くと道路脇に三脚が見えた、『例の場面はここだ!』と気づく。
道行きの場所はこれで把握できた。
次に気になるのは神社の場所だ。
先程の丘には小さな小道が見えた、きっと神社へ通じているはず、時間もあるし登ってみよう。
雨のせいで足元はぬかるんでいる、滑るので気をつけながら進む。
5分ほどで鳥居が見えてきた、こちらも時間が早く誰も来ていない。
『三穂両神社』
これで、『公民館・神社・道行き』の場所、三点セットを捉えた。
「いける!!」とよくわからない満足感を得たるKIT。
まだ時間が早いので、一旦車に戻ることにした、余計な荷物を置き、身軽になりたい。
車のクーラーで涼み、汗をかいたシャツを着替え、心機一転出発する。
12時30分駐車場を出発、ここから鹿子原会館には徒歩で8分ほど、13時から始まると考えていたので、妥当な時間だろう。
12時48分頃に三穂両神社に到着した。
カメラマンが10人ほどすでに待機していた、ホッとしたと同時に出遅れ感を少し感じた。
話しを聞くと13時30分開始らしいが。
(40分ほど待機となる・・・あめちゃんをもらいながらカメラマン11人ほどで待つ)
13時19分頃、「上がってきた!!」と誰かの声が聞こえてきた。
雨が降りぬかるんでいるため、神社での踊りには懸念の声も上がっていたが杞憂に終っ
た。
『ようやくこの時が来た!』という感じだ。
踊り手たちが脇を通過していく。
13時22分、聞いた時間より早く始まりそうだ。
誰かが、鹿子原時間といっていたな~。
「鹿子原の虫送り踊り」が始まる!
開催日は7月20日であり、土日関係なく行われる。
※通常勤務シフトのサラリーマンにはつらい民俗芸能となる。
多くの民俗芸能は五穀豊穣・子孫繁栄などを願う、
鹿子原の虫送りも五穀豊穣を願う一般的な伝統行事である。
農業では害虫は退治するもの、それを「送る」というところに日本らしさを感じてしまう。
この踊りには女性は登場しない、
踊り手の姿は、花笠を被り、浴衣を着て、紅たすきを締めて、腰に太鼓を付けている。
大太鼓6人・小太鼓3人の男衆だ。
『マクロス』というアニメで歌で戦うという描写があったが、鹿子原では踊って虫を退治する、武力を使わず平和的に解決しようとしているところに共通点がある(笑)
とても良い考えだと思いますよ!
花笠の赤い和紙の飾りは季節の花であるネムの花から赤にしている、
これがとても映えるのだ、雨が降ると溶けて着物を汚してしまう。
と地元の人に教えてもらった。
虫踊りは、大踊り6曲と小踊り3曲がある。
大踊りは大太鼓だけで踊り、小踊りは大太鼓・小太鼓が共に踊る。
大踊りは大太鼓が輪になって踊り、
その際、内側を向く踊りを「表」、外側を向いく踊りを「裏」という。
しかし私には違いがよくわからない・・・。
やっぱり神社前の踊りはいい!!
13時32分頃、踊りは終わり、神社を下りていく、
踊り手よりも先に下りて三脚が置かれている場所に向かう、先頭集団にて下る。
「虫送り」は五穀豊穣と害虫防除を願うものであり、全国各地で行われている行事だ。
害虫被害は西日本が多い傾向にあり、関東以北は比較的少ないといわれている。
全ての虫送りが同じ型ではなく、鹿子原は「実盛型(さねもり)」型に分類される。
斎藤別当実盛(平家の武将)の名前からとられており、源平合戦の敗走の折、
刈り田の稲株に足をとられ転び、敵方の兵士に捕らえられたという。
実盛は処刑される際、次に生まれてくるなら稲を食い荒らす虫になると言い残したという。
鹿子原では実盛の藁人形が登場する、実盛の慰霊と虫退散の願いが込められる。
※その虫は『ウンカ』または『サネモリムシ』と呼ぶ地域もあるという。
※一般的には「虫送り」と呼ぶが、
他には「虫追い」「虫祈祷」「実盛送り」実盛祭「ウンカ送り」など、地方により異なるという。
※その他の地域の「虫送り」というと、
鹿子原(島根)・相内(青森)・天理(奈良)・上川戸(広島)・越谷北川崎(埼玉)・南山田(横浜)・尾張(愛知)・横江(石川)・椿山(高知)などがある。
農業が盛んな時代には全国各地でおこなわれていたが、
害虫対策が江戸時代から考案されてからは減り続け、また農薬などが本格的に普及してからは衰退していった。そんな中、鹿子原の虫送りは原型をとどめる貴重なものだという。
旗持ち・実盛人形・音頭(2~3人)・笛・鉦が続き、その後ろに踊り手の男衆がつく。
三穂両神社を出発すると、すぐ近くの田んぼに向かう。
田んぼのあぜ道を踊り手一行が一列で歩いてくる、これを「道引き」といい、
田んぼの中を歩くことで害虫を招き寄せる意味があるという。
カメラマンはここの絵を撮りに来るのだ、たしかに良い場所だ。
畦道を歩き戻ってくる、景色は緑で溢れている。
小太鼓三人、大太鼓六人が続く・・・。
保存会の幟が先頭、実盛人形 、囃子方、踊り手がゆく。
実盛人形がトラックに乗せられる。
「 香木の森公園」に向かうらしい。
私が車を停めている駐車場の近くだ、踊り手たちは車で移動するのだ。
『急いでいかなくては!!』
早歩きで向かっていると、1台の車が目の前に停まった、
「歩いて行くのかい? 乗っていく?」
なんと素晴らしいご婦人だろうか!
そして一気に「香木の森公園」へ!!
香木の森公園へ。
この一段下には一面芝生の素晴らしい場所がある、
きっとそこで踊るのだろうとご婦人と雑談をしながら待っていると・・。
予想ははずれ、駐車場で踊りを披露するという。
ご婦人の夫も踊ったことがあり、また息子も踊っているという。
それで見に来たという。
周りには多くのカメラマン・見物人がいる。
しかし彼らもここまでだ、これが終われば解散となった。
次に向かったのはJAしまね矢上店前だ。
ここではカメラマンは0人、見物人はお店の店員1名と子供連れのおかあさん、
計3名ほどしかいなかった・・・。
これから踊り手たちは、18時頃まで15カ所ほどをまわるという、
なんという長丁場だろう。
踊りは三穂両神社をかわきりに13時20分頃から始まり、
最後は諏訪神社へ行き、拝殿前で踊りの打ち止めをする。
そして虫がついた短冊と花笠の飾りを境内で焼き、「虫送り」は終わる。
最後の踊りの間、神社では「除蝗祭(じょこうさい)」がおこなわれ、
農家の人たちは害虫駆除のお札を受け取りにくるという。
では私の「鹿子原の虫送り踊り」はここで終わりにしよう。
まだ浜田でやることが残っているのだ。
鹿子原の虫送り踊りを見よう! 完