鶴見線の旅・8部作目、ようやく終わろうとしている、いや違うな・・。
次への始りにすぎない、鶴見線の旅よ永久へ!!(笑)
ここは浅野駅、海芝浦方面のホーム、これから向かうのは「新芝浦駅」だ!
次の駅なので・・・あっさりと新芝浦に到着。
歩いても10分ほどの距離なので、当然の結果だけど。
私以外に一人だけ下車した人がいた、私とは同類ではなかった、おそらくはいづれかの会社員の方だったのだろう。
出ていった鶴見線はすぐに終点・海芝浦駅に着いてしまう、それほどに距離は近い、しかし新芝浦駅から海芝浦駅には歩いてはいけない、絶対に。
こちらは浅野駅方面、2車線となっている。
こちらは旭運河、その奥には小さく鶴見線本線の鉄橋が見える、その辺りに浅野駅があるので浅野・新芝浦間は歩くことができる。
※徒歩10分ほど
石油の貯蔵タンクらしきものがみえる、おそらくはコスモ石油かと思われる。
底まで見ることができる、一見キレイそうに見えるだが・・どうなのだろう。
風景を眺めていると、この駅には私以外にいなくなっていた・・。
ここより先は1車線(単線)となり海芝浦へと向かう、右へ伸びしている線路は東芝事業所方面に引き込まれているのがわかる。
下り線から下車した人は踏切りを渡り、改札に向かうことになる。
この周辺には人の気配が全くしない、本当に静かな駅なのだ。
これより先は単線、あの突き当りを右へ曲がると、そこには海芝浦駅がある、
いつも海芝浦まで乗ってしまい、新芝浦は車窓からの見るだけの駅だった、ようやくこうして来れたことは、よかった・・・。
駅舎はガランとしていた、周りは古いのにSuicaの出札機だけは新しく異質に感じる。
雑然としており、感想を書きずらいな・・・。
お知らせコーナーには浅野駅・バス停の案内が貼られていた、本数が少ないので必要に応じてバスを使って・・ということだろうか。
1時間には最低1本は通っているように思えるが、10時・14時台は0だった・・気を付けよう。
新芝浦駅は鶴見臨港鉄道時代の1932年に開業した駅であり、当時は終着駅だった、1940年、海芝浦駅が開業、晴れて海芝浦駅の1つ前の駅となった。
この建物を見ると、当時からそのまま受け継がれてきたのだろう、そしていずれは新しいものに建て替えられると思われる。1971年に駅は無人化となったが、それまでは活気があったのかもしれない・・・。
古びた駅舎に新しい駅名標、ミスマッチだ、
駅の真向いには東芝京浜事業所があるのだが、そこは撮影禁止となっており、カメラを向けることはできない、近くには守衛の詰め所があり、そこからジッと見ているのだ、だから常に東芝を背後にして撮影をする必要がある。
東芝の前身は「芝浦製作所」という名であり、その最寄り駅であることから『新芝浦』となった、当時はすでに芝浦という駅があったため、『新』を付けたという。
守衛さんも『この人はルールを守る人だな・・。』分かったはず、特に何事もなく終わった(笑)
『無理な乗車は危険ですからおやめください』
たしかにその通り、駆け込み乗車はやめましょうね!!
でも、鶴見線の運行本数を考えれば、目の前の列車に乗らねば!!と考えてしまう気持ちはよくわかる。
相変わらず、人の気配はしない。
運河は流れていないかのように流れを感じることができず、ただ静かにしている。
新芝浦は相対ホーム2面2線となっている、旭運河を背景に立っている駅名標が寂しげで
とても鶴見線らしく、郷愁をさそう。
30分ほど待って海芝浦に行こうかと迷ったが、今日の主役はあくまで『新芝浦』であり、浮気することなく、このまま帰ることを選択した(強い意志!!)
先程乗ってきた列車が海芝浦駅から戻ってきた、海芝浦ではだいだい10分~20分ほどで折り返してくるので、見学の時間としてはピッタリといえるかもしれない。
鶴見線の車庫を通過、ここでも工場群など鶴見線らしい車窓が目を楽しませてくれる
鶴見線が鶴見川を渡河した、鶴見川が鶴見区をつくり、鶴見線が走るようになった。
国道駅、この駅も鶴見線を語る上で欠かせない駅である、ここは何度も訪問しているので今回は通過する。
鶴見駅に到着、鶴見線だけは高架上にあり、窓からは京浜東北線のホームが見える、それ以外の路線は全て鶴見駅を通過する。
鶴見線・・・また来ます!
一人でも・・・
今週末、鶴見線の旅に行こっかな!と思ってくれれば、うれしいな!