初の善光寺御開帳、画像としては見たことはあるけど、実際に見ることができる!
では行こう、善光寺詣り
これから信州善光寺に向かいます!
信州と書いたのは数時前には甲斐善光寺に参拝したため、そのように記載することにした・・・。
長野電鉄の市役所駅から電車で行こうかとおもったけど、徒歩25分ほどだったので、のんびりと行くことにした。
途中、秋葉神社に参拝、その脇を抜けてさらに北へ向かいます。
次に飯縄神社に参拝。
さらに武井神社に参拝、善光寺へ向かう道には多くの神社がある。
夕方の旧北國街道を歩き、善光寺へ、周りには人の気配は無い。
ここが参道への入口、
境内は広大にて、参拝客はまばらに見えたが、その人数はそれなりにいたと思う。
といいながらも、平日の夕方なので参拝客は少ない、この時はご開帳ながらも、こんなものかと思ってしまった・・・。
祝・善光寺御開帳の看板が山門に掛けられている、この山門には上ることができるので、あとで行ってみよう。
この日は風が強く、少し肌寒かった、東京の感覚で半袖で来たしまったことを今になって後悔をした。
二層入母屋造りの山門、これは江戸中期の建築という、その存在感は大きい。
この額には五羽の鳩が隠れている。4匹まではすぐに見つけられると思う、そして善という文字は牛に見えるともいわれている。
山門から振り返ると、向こうには仁王門が見え、吹き流しがきれいになびいていた。
では山門をくぐり、回向柱へ行こう!
このためにここに来たのだから、さすがに平日の夕方とあってか、列などはなく、容易に柱に触れることができた。
しかし、この状態は脳裏に刻まれ、明日の「あの大混雑」を予見することを怠った・・。
本堂前のこの柱は「回向柱(えこうばしら)」といい、高さは約10mほど、重さは約1トンにもなるという。
こちらの回向柱の役割とは、前立本尊と参拝者をつなぐことであり、この柱を触ることで、前立本尊に触れたことと同じ御利益があるという。本堂で手を合わすことも大事だけど、この柱に触れることも大事なことなのだ。
回向柱には布(糸)が巻かれており、それが本堂に向けて伸びている。
それをたどってみよう。
これは本堂前から回向柱を眺めている、布がしっかりと伸びている。
そしてそれは金糸となり、前立本尊の右手中指につながっている。今日は閉門になってしまったので、本尊にご参拝・お戒壇巡りはできないので、ここで終わりとなる、残りは明日の参拝で成したい。
善光寺の境内は広く、多くの参拝客はいるが、混みあっている感じは全くない、でも明日の参拝時はそれが一転した・・。
御朱印所こちら、人はあまり並んでおらず、短時間でいただくことができる状態だった、御開帳の特別な御朱印は品切れだったのは、それは残念だった。
境内を周っていると、このようなものもあった、「善光寺御開帳限定ペヤングやきそば」、この中で売っていたのだろうか。
参拝券案内
・前立本尊/お戒壇巡り 600円
・山門参拝券 500円
・経蔵参拝券 300円
私としては、「前立本尊参拝・お戒壇巡り」と「山門見学」ができれば満足、なので費用は1,100円となる。
こちらが山門、遅くまで上ることができるので、ライトアップや長野市街の夜景をみることができそう、では行ってみよう。ここでは券売機で購入する、しかもスイカ(交通系電子決済)もできる、時代だね~と感じる、私は普段からスイカ使用が多いので、とても助かる。
入口でビニール袋をもらい、それに靴を入れて持ち歩く方式、その袋は各自持ち帰ることになる、これはお戒壇巡りなども同じだった、次いでいえば甲斐善光寺でも同じだった。
こちらは仁王門・長野市街方面となる、見える山並みがなんともいい。
山門から見える善光寺本堂、そして回向柱、左下には御朱印所、右には社務所がある、今の時間帯は特にすいていた、まさか十二時間後には一変するとは・・。
境内の隅には、歴代の回向柱がおかれていた、なんだか物悲しさを感じなくもない。
札にはいずれ柱は土に返っていくという、不思議にも感じたが、そういうものなのか。
山門には全国の善光寺会についての案内板がある、これだけの善光寺会員がいることに驚き、また善光寺と名を冠するものも意外に多かった、飯田市の元善光寺、甲府の甲斐善光寺しか知らなかった。そもそも善光寺のことをよく知らなかったというのが真実だが。
19時少し過ぎ、空はまだ明るい、でも寒くはなってきた。
本日は三日月も出ており、明日もいい天気となりそう。
そして時刻は19時30分となった、疲れてきたので長野のホテルへ帰ろうか、残りは明日だ。
仲見世通りを歩く、提灯には灯がともり、静かな雰囲気となっていた。
私が来た頃は17時を過ぎていたため、お店はすでに閉じていた、地方あるあるで、意外に地方の閉店は早い・・・。
仁王門にも明かりがともり、迫力ある感じとなっていた、夜の善光寺もいいね。
これは長野宿泊あってのこと、まだ新幹線は走っているけど、これから横浜へ帰ろうとは思えない。
しかも長野市街に地下鉄があるとは思っていなかったので、かなりの驚きがあった。
このレトロな感じのタイル・・・これが一般的な長野電鉄のイメージだった。
年季がものすごく入った駅舎、そしてホーム、もちろん長野行きのホームへ降りる。
長野県でのんびりと余生を送っていた。
このようなものが長野にあるとは思わなかった、まるで東成田かと思ってしまった、そして意外にも車内には人が乗っていた、明日も善光寺へ長野電鉄を使い、行ってみようと思う!