甲斐、信州、関、岐阜と・・善光寺詣でもそろそろ佳境へと入ってきた、本日の最後の参拝先の祖父江善光寺・東海別院へ向かっているのだが・・・。
ここは善光寺東海別院の最寄り駅・森上駅、名鉄線尾西線の駅となる、見ての通り、人はおらずたまに1人・2人が通過するぐらいだった、善光寺最寄り駅としては少し寂しいと感じなくもない。
さて・・・どうしたものか。
駅前にはタクシーは停まっておらず、電話で呼ぶしかない、歩くと30分~40分ほどかかってしまうので、もうタクシー一択とした。
前日はろくに睡眠をとっておらず、朝からの散策に疲労も出てきており、はやくホテルでゆっくりしたいのが本音。
タクシーが来るまで10分ぐらい待つこととなった、その間に名鉄線がやってきた。
『赤いな・・・。』
5本の幟がはためく、風はそれなりにあったけど、寒いことはなく、むしろ蒸し暑い。
「日本一銀杏の郷」
文字が安倍晋三元首相・・・なんか関係あるの?
(これ以上考えるのをやめた。)
その後ろには恐竜のモニュメントがある、そこには恐竜は銀杏を食べていたと書かれたいた、う~んそうなんだ。
このバスターミナルには稲沢市コミュニティバスが運行されている、善光寺近くへ行く便もあったけど、少し時間が合わなかった。もし、次に善光寺を周るとしたら、ここ東海別院行きのバスを最大限利用するプランを練り上げることだろう。
ちなみに、タクシーでは約1,000円と考えておこう、往復では2,000円だ。
(タクシー所要時間:6分前後)
15時45分、
祖父江善光寺東海別院到着
(所要時間:名鉄森上駅からタクシー利用にて約5分)
御開帳:令和4年4月3日~6月29日
もっとも静かな参拝となった、とはいえ誰もいない時間帯はなく、常に1人~3人は参拝されていた。こちらの本堂は信州善光寺の3分の2ほどの大きさとなる大伽藍。
回向柱から布(糸)が本堂の御本尊へとのびている。
吹き流しは見たことあったけど、このような旗は初めてかもしれない。
1582年、織田信長・信雄により、善光寺如来が岐阜から尾張へ移される途中、祖父江付近に寄ることがあり、蓮田があった境内地から1本の茎から2本の花が咲くという縁を通じて、建てられたのがこの善光寺東海別院という。
(説明文より要約)
時刻は16時近くとなり、陽はもう傾きかけている、
堂内参拝時間は9時~17時となっており、この時間に遅れるわけにはいかない、多くの善光寺は17時で堂内参拝は終わってしまう、回向柱はいつでも触れることができるので、それだけを目的にするのでれば、24時間参拝できるだろう。
では本堂へ
文字がでる線香(¥100)
今回の六善光寺詣でで2つほど、このような線香を目にした、もしかして流行り?!
お~私がさしたお線香に文字が出てきた!
もう時刻は16時を回っていた、明日土曜日は絶対混むに違いない、信州善光寺は絶対に平時に行くべきと思うが、ここは休日に来たほうが雰囲気はいいかもしれない、ある意味では。
善の綱が中へと伸びている、では行こう。
令和4年春
御本尊御開帳・六善光寺同時御開帳
甲斐善光寺⇒信州善光寺⇒関善光寺⇒岐阜善光寺⇒善光寺東海別院へと来た、最後に「飯田善光寺」への参拝が待っている、それは明日だ!
そして「極楽戒壇めぐり」へ!
こちらの戒壇めぐりは蛍光ブレスレットをつけて入ることになった、そして他とは全く異なる戒壇巡りでもあった、他は全くの暗闇を歩くことになるが、こちらは明るい、そして、錠前も容易に触ることができる、そして阿弥陀如来などが並ぶ煌びやかな極楽浄土の世界が広がっていた・・。
『とても安全な戒壇巡り』だった、
こういうのもあるのか・・・と思いました。(まる!)
御開帳特別御朱印を購入
祖父江善光寺東海別院の御開帳パンフ
少し、シックな感じにまとめられている、こちらの善光寺だけ『東海別院』と付いているのは、何かわけがあるのだろうか。
※他は〇〇善光寺となっている。
今日一日で周った岐阜と愛知の善光寺御開帳となる。
こちらには、かわいらしいお地蔵様が並ぶ。
ここ善光寺東海別院は福禄寿となる、こういう「巡り」旅も楽しいもの、その中でちょっといい景色や珍しいスポットに出会えるかもしれないのだから。
黄金の釣り鐘がある、この画像では見づらいが金色なのだ・・・。
そしてタクシーが到着した、行きと帰りも同じ車だった、帰りは行きよりも多少料金が高かったが、どうしてかな? (少しの違いで、そうなのだろうか、まぁいいや。)
少し寂しげな御開帳の赤い幟が並ぶ、ちょうど学生の帰宅時間帯とぶつかった。
大都会・名古屋に到着、ここはいつ来ても人の多さの辟易する。
そして新幹線側へと出た、では今回宿泊するホテルへ行こう!