KITの気ままな旅日記

旅行の記録を公開していきます ≪過去・現在・未来≫

PT 大森貝塚に行こう!!(2017年12月03日)

日本史で誰もが学んだであろう、縄文時代

その中でモース博士が発見した大森貝塚を憶えている人も多くいるだろう。

考古学の父を呼ばれ、ダーウィンの進化論を日本に紹介したアメリカ人博士、

エドワード・シルヴェスター・モースである。

 

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 貝塚とは、古代人が捨てた貝殻が積み重なったものであり、獣の歯・角、魚の骨など

の残骸、そして土器・石器類などが捨てられているゴミ捨て場である。

 

貝塚というと大森貝塚が有名であるが、

日本では2500もの貝塚が発見されている、それは千葉や東京湾岸周辺に集中している。

 

モース博士は新橋から横浜に向かう列車の車窓から、

貝の堆積に気づき、貝塚を発見したという。

それが、明治10年(1877年)である。

 

日本初の鉄道開通は明治5年の新橋・横浜間で開業した、

その5年後にモース博士が大森貝塚を発見する、

 

「日本人よ、何をしていたのか???」

そして開業には工夫達による工事が行われた、その時に貝が出てきたはずである、

「工夫よ、何をしていた??」

 

そう、知識が無ければ、価値がわからなければ、だたの無価値なゴミである。

 

そういうことで、

本日は大森貝塚を見に行く!!

横浜駅から京浜東北線に乗り大森駅に向かう、6駅目であり所要時間は約23分である。

10時近くの為、大森駅にはかなりの人がいた、

しかしこれから大森貝塚に向かう人はは極々少数であろう。

0に近い数字になるであろうか・・・。

 

 大森駅から大森貝塚まで徒歩4分である。

東京都大田区山王1丁目3−3番

JR大森駅・西口から出て大井町駅方面に向かう。

 

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4分ほど歩くと、国史跡・大森貝塚の案内柱がある。

 

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案内柱以上に目に付くのは、これである。

大森貝墟の石板が存在感を示していた。

 

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案内がしっかりとしているので、見逃すことは無いだろう。

 

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ゲートである、

見学時間は9時から5時である。

 

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看板のみならず、フェンスの土台にも刻まれている。

「史跡 大森貝塚

 

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 ゲートを抜けて、砂利道を通り、階段を降りていく。

目の前には電車が横切っていく、

テンションが上がっていく!!(そっちかよ!!) 

 

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休憩スペースのような場所がある、

ゴミ箱があるのだが、自動販売機はない、

貝塚は古代人のゴミ捨て場である、それにかけているのか。

やるな!!ここの管理者。

 

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次に通過するのは京浜東北線である、

今朝、一時運転見合わせとなった時は肝を冷やしたが、今は通常運転をしている。

 

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休憩スペース?には、「モース博士と大森貝塚という説明板がある。

 

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そして線路脇には「大森貝墟」の石碑がある。

我が国最初の発見とも書かれている。

※「墟」とは荒れた地・大きな丘という意味であり、

大森貝墟(おおもりかいきょ)とは大森の捨てられた貝の大きな丘ということか。

 

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次に下りの京浜東北線が通過していく、

「モースと大森貝塚に対して、「大森貝墟と京浜東北である。

 

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こちらは、「大森貝墟と東海道である。

※しつこい。

 

大森貝塚のある大田区は、アメリカのマサチューセッツセーラム姉妹都市である、

モース博士が館長を務めたピーボディー科学アカデミーと大田区立郷土博物館は姉妹館の提携をした(そんな提携があるとは初耳)

そのような繋がりがから、大田区とマサチューセッツセーラム市は姉妹都市となったという、モース博士が結んだ縁である。

 

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1877年9月16日から2017年9月17日がメモリアルデーであり、

大森貝塚・発見発掘140周年である。 

 

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ここで歴史的発見があった、しかしここに寄る人は少ない、大森貝塚

「ん、待てよ・・・」

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先ほどの案内柱に「300M先に大森貝塚がある」と書かれていた。

そう、大森貝塚は2つあるのだ!!

 

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この貝塚は、NTTデーターセンターにあるのだ。

大森貝塚大田区)はNTTが管理をしている、

「素晴らしい!!NTTデーターセンター!!」と言っておこう。 

 

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では、もう1つの大森貝塚に行こう!!

さらに大井町駅方面に歩いて行く。

 

 徒歩4分ほど、300m先にある。

大森貝塚から大森貝塚に向かう(なんだこれは・・・)

 

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途中から品川区に入る、大田区から品川区へ。

 

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 大森貝塚遺跡庭園に到着。

大仰な名称だ。

 

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公園入口である。

 

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「品川区立 大森貝塚遺跡庭園」

遺跡、縄文時代を意識した公園の造り。

こんな公園が小さい時に、近くにあったら楽しいだろうな~。

 

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品川区にある遺跡、貝塚が10か所ほど、紹介されている。

 

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庭園の案内図。

この力の入れようはスゴイ、まさに遺跡庭園の見本だ!!

 

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さらに、こちらの大森貝塚には自動販売機がある!(笑) 

 

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では古代の階段を登って行こう。 

 

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これが、案内板⑩の便所である(笑)

縄文風便所か・・・・・。

 

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「地層の回廊」である。

縄文土器と地層をイメージしたものである。

 

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その左端には地層のゲートがあり、奥には彼の御仁がおられる。

では、モースの広場に行こう。

 

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そう、モース博士である。

発掘された土器を見分している場面である。

モース博士はいまでいう「親日家」である、

この表現も少し違うか・・・、日本が大好きなのだ。

モース博士著「日本その日その日」では、

在りし日の日本の姿が描かれている、スケッチも挿し込まれており、

モース博士の日本見聞録の本である。

これを読めばモース博士が日本をどのように思っていたかがわかる、

そして当時の日本人もわかるのだ。

 

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姉妹都市記念碑

モース博士の生誕の地であるアメリカのメイン州ポートランド

品川区とポートランド姉妹都市である。

ここでもモース博士から生まれた絆があった。

 

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地層の回廊に登ることができる。

 

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回廊の裏にはこのような発掘場跡が記されている。

この地点から貝塚が発掘されたという。

 

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ここにも発掘の印がある。

 

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「波のオブジェ」である、

縄文時代はここが海岸線であったという、

これから大森海岸に向かうのだが、あのビルの遥か向こうである・・・。

 

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 では大森貝塚の碑」を見に行こう。

周り込み、庭園の端に向かう。

 

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ゆるやかに下っていく。

 

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東海道線が通過していく・・・・、「いいね!」

ではなく、大森貝塚の碑in品川区である。

 

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京浜東北線も通過!! 「いいね!」

ではなく! 大森貝塚の碑である!!

 

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大森貝塚

縄文土器が乗っている。

 

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良い迫力だ、良い場所だ。

 

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紅葉もキレイだ、「いい公園だな~」

 

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少しだけ線路沿いに移動してみよう。

 

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道とはあやしい獣道を来たが、ここで行き止まりだ。

この地層ななんだろうか・・、説明板には書いていないので、これは訪問者に対して、

「考えてみろ!」ということか・・・。

深い、深いぞ、品川区!! (勝手に妄想)

 

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貝塚展示ブースに行こう。

 

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庭園の雨宿り場としても機能する(笑)

雨が降ると子供達はここに一時的に避難する、そして貝塚を学ぶのだ・・。

 

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実際の貝塚の発掘場を利用して造られている。

 

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 とてもイメージがしやすい。

 

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 「貝塚縄文時代のタイムカプセルだ。」

まさにその通りである。

 

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鳩が何かをしていた。

 

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貝塚学習広場への階段。

 

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ここで貝塚縄文時代を学ぼう。

 

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こちらでも学ぼう。

奥で霧が発生している・・・。

 

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ここでは、貝塚そして縄文時代を学ぶことができる、

まさに遊びながら学ぶことを体現した公園だ。

 

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「へぇ~、昔はこうだったんだ~!!」

子どもの頃に帰ろう!

 

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縄文の広場では、霧が発生している、

30分毎に霧が発生するという、力の入れようが違う。

 

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霧向こうのモース博士

 

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では「大森貝塚遺跡庭園」を出よう。

 

これで2つの大森貝塚を訪問したが、「とても楽しかった!!」

日本の歴史の最初にくる「縄文時代」、その1ページを楽しく学ぶことができた。

 

大森貝塚に行こう!!」 完

 

ではなく!!

大森貝塚は2つある、大田区と品川区である。

しかしながら、実際に大森貝塚は1つしかない、そうなると起きるのが論争である。

 

大田区の大森貝墟、品川区の大森貝塚

同じ区内であれば、このような争いにはならない、しかし異なる区であれば

話しはそう単純ではない、利害関係の対立である。

 

昭和30年に国史跡の指定がされる際、

どちらが「本物」であるか、判明していなかった為、

大森貝墟、大森貝塚の2つとも「国史跡」に指定された。

 

その後の調査において、

発掘の際の地主との契約書、モース博士の書類等から、

大森貝塚(品川区)」が実際の発掘の舞台であることがわかった。

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◆モース博士が列車から発見した場所・大森貝塚

 

しかし、2つあっても良いではないかと思ってしまう、

このような本家争いがあり、今の大森貝塚がある、

この「考える・検証する・論争する」

これがモース博士の宿題であったのだろうか!!(妄想・・・・)

 

2つで1つ、それが「大森貝塚」である!!

 

大森貝塚に行こう!!」 完

 

 

ちょっと待った~!!

 本家となった大森貝塚(国指定史跡 大森貝塚遺跡公園)」の住所は、

品川区大井6丁目である!!!

 

「大井貝塚」ではないか!!??

 

まさに、大森貝墟大森貝塚(=大井の貝塚が融合した、

それが「大森貝塚」である。

 

セーラム市、ポートランド市との姉妹都市

それをつなぐ品川区と大田区

この貝塚論争で真の姉妹都市となった品川区と大田区

 

モース博士が残した宿題とは・・・・、

 

日本人以上に日本人を見てきたモース博士、

私たち日本人は、そのモース博士を忘れてはならない、

日本の古代史の1ページを開いたのがアメリカ人のモース博士、

彼の知識と興味と観察眼があり、世紀の発見をしたのだ。

 

そこから学ぶことが多くあるだろう!

そんなことを感じた「大森貝塚とモース博士」であった。

 

「学ぶことの大切さ」

これがモース博士が現代の我々に出した宿題の答えである。

 

大森貝塚に行こう!!

今度こそ、完。