日本史で誰もが学んだであろう、縄文時代。
その中でモース博士が発見した大森貝塚を憶えている人も多くいるだろう。
考古学の父を呼ばれ、ダーウィンの進化論を日本に紹介したアメリカ人博士、
エドワード・シルヴェスター・モースである。
貝塚とは、古代人が捨てた貝殻が積み重なったものであり、獣の歯・角、魚の骨など
の残骸、そして土器・石器類などが捨てられているゴミ捨て場である。
日本では2500もの貝塚が発見されている、それは千葉や東京湾岸周辺に集中している。
モース博士は新橋から横浜に向かう列車の車窓から、
貝の堆積に気づき、貝塚を発見したという。
それが、明治10年(1877年)である。
日本初の鉄道開通は明治5年の新橋・横浜間で開業した、
その5年後にモース博士が大森貝塚を発見する、
「日本人よ、何をしていたのか???」
そして開業には工夫達による工事が行われた、その時に貝が出てきたはずである、
「工夫よ、何をしていた??」
そう、知識が無ければ、価値がわからなければ、だたの無価値なゴミである。
そういうことで、
本日は大森貝塚を見に行く!!
横浜駅から京浜東北線に乗り大森駅に向かう、6駅目であり所要時間は約23分である。
10時近くの為、大森駅にはかなりの人がいた、
しかしこれから大森貝塚に向かう人はは極々少数であろう。
0に近い数字になるであろうか・・・。
東京都大田区山王1丁目3−3番
案内柱以上に目に付くのは、これである。
大森貝墟の石板が存在感を示していた。
案内がしっかりとしているので、見逃すことは無いだろう。
ゲートである、
見学時間は9時から5時である。
看板のみならず、フェンスの土台にも刻まれている。
「史跡 大森貝塚」
ゲートを抜けて、砂利道を通り、階段を降りていく。
目の前には電車が横切っていく、
テンションが上がっていく!!(そっちかよ!!)
休憩スペースのような場所がある、
ゴミ箱があるのだが、自動販売機はない、
貝塚は古代人のゴミ捨て場である、それにかけているのか。
やるな!!ここの管理者。
次に通過するのは京浜東北線である、
今朝、一時運転見合わせとなった時は肝を冷やしたが、今は通常運転をしている。
休憩スペース?には、「モース博士と大森貝塚」という説明板がある。
そして線路脇には「大森貝墟」の石碑がある。
我が国最初の発見とも書かれている。
※「墟」とは荒れた地・大きな丘という意味であり、
大森貝墟(おおもりかいきょ)とは大森の捨てられた貝の大きな丘ということか。
次に下りの京浜東北線が通過していく、
「モースと大森貝塚」に対して、「大森貝墟と京浜東北」である。
こちらは、「大森貝墟と東海道」である。
※しつこい。
大森貝塚のある大田区は、アメリカのマサチューセッツ・セーラム市と姉妹都市である、
モース博士が館長を務めたピーボディー科学アカデミーと大田区立郷土博物館は姉妹館の提携をした(そんな提携があるとは初耳)
そのような繋がりがから、大田区とマサチューセッツ・セーラム市は姉妹都市となったという、モース博士が結んだ縁である。
1877年9月16日から2017年9月17日がメモリアルデーであり、
大森貝塚・発見発掘140周年である。
ここで歴史的発見があった、しかしここに寄る人は少ない、大森貝塚。
「ん、待てよ・・・」
先ほどの案内柱に「300M先に大森貝塚がある」と書かれていた。
そう、大森貝塚は2つあるのだ!!
この貝塚は、NTTデーターセンターにあるのだ。
「素晴らしい!!NTTデーターセンター!!」と言っておこう。
では、もう1つの大森貝塚に行こう!!
さらに大井町駅方面に歩いて行く。
徒歩4分ほど、300m先にある。
途中から品川区に入る、大田区から品川区へ。
大森貝塚遺跡庭園に到着。
大仰な名称だ。
公園入口である。
「品川区立 大森貝塚遺跡庭園」
遺跡、縄文時代を意識した公園の造り。
こんな公園が小さい時に、近くにあったら楽しいだろうな~。
品川区にある遺跡、貝塚が10か所ほど、紹介されている。
庭園の案内図。
この力の入れようはスゴイ、まさに遺跡庭園の見本だ!!
では古代の階段を登って行こう。
これが、案内板⑩の便所である(笑)
縄文風便所か・・・・・。
「地層の回廊」である。
縄文土器と地層をイメージしたものである。
その左端には地層のゲートがあり、奥には彼の御仁がおられる。
では、モースの広場に行こう。
そう、モース博士である。
発掘された土器を見分している場面である。
モース博士はいまでいう「親日家」である、
この表現も少し違うか・・・、日本が大好きなのだ。
モース博士著「日本その日その日」では、
在りし日の日本の姿が描かれている、スケッチも挿し込まれており、
モース博士の日本見聞録の本である。
これを読めばモース博士が日本をどのように思っていたかがわかる、
そして当時の日本人もわかるのだ。
姉妹都市記念碑
ここでもモース博士から生まれた絆があった。
地層の回廊に登ることができる。
回廊の裏にはこのような発掘場跡が記されている。
この地点から貝塚が発掘されたという。
ここにも発掘の印がある。
「波のオブジェ」である、
縄文時代はここが海岸線であったという、
これから大森海岸に向かうのだが、あのビルの遥か向こうである・・・。
では「大森貝塚の碑」を見に行こう。
周り込み、庭園の端に向かう。
ゆるやかに下っていく。
東海道線が通過していく・・・・、「いいね!」
ではなく、大森貝塚の碑in品川区である。
京浜東北線も通過!! 「いいね!」
ではなく! 大森貝塚の碑である!!
「大森貝塚」
縄文土器が乗っている。
良い迫力だ、良い場所だ。
紅葉もキレイだ、「いい公園だな~」
少しだけ線路沿いに移動してみよう。
道とはあやしい獣道を来たが、ここで行き止まりだ。
この地層ななんだろうか・・、説明板には書いていないので、これは訪問者に対して、
「考えてみろ!」ということか・・・。
深い、深いぞ、品川区!! (勝手に妄想)
貝塚展示ブースに行こう。
庭園の雨宿り場としても機能する(笑)
雨が降ると子供達はここに一時的に避難する、そして貝塚を学ぶのだ・・。
実際の貝塚の発掘場を利用して造られている。
とてもイメージがしやすい。
まさにその通りである。
鳩が何かをしていた。
貝塚学習広場への階段。
こちらでも学ぼう。
奥で霧が発生している・・・。
まさに遊びながら学ぶことを体現した公園だ。
「へぇ~、昔はこうだったんだ~!!」
子どもの頃に帰ろう!
縄文の広場では、霧が発生している、
30分毎に霧が発生するという、力の入れようが違う。
霧向こうのモース博士
では「大森貝塚遺跡庭園」を出よう。
これで2つの大森貝塚を訪問したが、「とても楽しかった!!」
日本の歴史の最初にくる「縄文時代」、その1ページを楽しく学ぶことができた。
「大森貝塚に行こう!!」 完
ではなく!!
しかしながら、実際に大森貝塚は1つしかない、そうなると起きるのが論争である。
同じ区内であれば、このような争いにはならない、しかし異なる区であれば
話しはそう単純ではない、利害関係の対立である。
昭和30年に国史跡の指定がされる際、
どちらが「本物」であるか、判明していなかった為、
その後の調査において、
発掘の際の地主との契約書、モース博士の書類等から、
「大森貝塚(品川区)」が実際の発掘の舞台であることがわかった。
◆モース博士が列車から発見した場所・大森貝塚◆
しかし、2つあっても良いではないかと思ってしまう、
このような本家争いがあり、今の大森貝塚がある、
この「考える・検証する・論争する」
これがモース博士の宿題であったのだろうか!!(妄想・・・・)
2つで1つ、それが「大森貝塚」である!!
「大森貝塚に行こう!!」 完
ちょっと待った~!!
本家となった「大森貝塚(国指定史跡 大森貝塚遺跡公園)」の住所は、
品川区大井6丁目である!!!
「大井貝塚」ではないか!!??
それが「大森貝塚」である。
それをつなぐ品川区と大田区。
モース博士が残した宿題とは・・・・、
日本人以上に日本人を見てきたモース博士、
私たち日本人は、そのモース博士を忘れてはならない、
日本の古代史の1ページを開いたのがアメリカ人のモース博士、
彼の知識と興味と観察眼があり、世紀の発見をしたのだ。
そこから学ぶことが多くあるだろう!
そんなことを感じた「大森貝塚とモース博士」であった。
「学ぶことの大切さ」
これがモース博士が現代の我々に出した宿題の答えである。
大森貝塚に行こう!!
今度こそ、完。