以前から行きたいと思っていた鎌原観音堂、ついに行く日がやってきました
「あさまのいぶき」という道の駅の駐車場に車を停めて、鎌原観音堂の入口前に来ています
(嬬恋村・あさまのいぶき)
『日本のポンペイ鎌原村へ』とかかれている、
ポンペイは火山により、一夜にして消滅したイタリアのナポリ近郊にあった古代都市であり、ここ鎌原村はその日本版であると言っています
鎌原観音堂には行ってみたいとずっと考えていた場所であり、ようやく本日来ることができました、歴史上決して楽しい場所ではないけど、とても興味ある場所です
階段を下っていくと、左には聖観音様がおりました、鎌原観音堂は右下にあります
湧水だろうか、とても暑い日に涼し気な景色に出会えた
看板にはお土産屋とあったけど、もう営業をしていないようにみえた
こちらのお店は営業をされていた、『よこざわ土産店』とかかれていた
ここではトウモロコシなどを購入、明日からのおやつとなるだろう
順序が逆になってしまったが、こちらが鎌原観音堂です
1783年浅間山大噴火は火口より12kmほど離れた、ここ鎌原村を襲った
鎌原村には土石流が流れ込み、477名の村民が犠牲となってしまった、この観音堂の階段を上がり避難をした93名は生き延びることができたという。
「運命の分けた50段」
赤い橋が架けらているが、当時の階段はさらに下まで伸びており、50段の階段であったという、浅間山の土石流は35段・約6mの高さに達し鎌原村を襲った、大地震にしても大噴火にしても、高い場所に避難するのことは同じだ、これは我々も教訓にしなければならない
赤い橋の下をのぞくと、その下に発掘された階段を見ることができた
1979年の発掘調査により、35段下に女性の白骨化した2体のご遺体が折り重なって発見された、これは女性が母親を背負い、観音堂の階段を上がる途中に土石流に巻き込まれたものと推測される、このエピソードを聞いてなんとも悲しい気持ちになった
「かんのんさま」
小さいながらも、大きな存在感がある観音堂、それはその歴史がなせるものか
ご本尊は十一面観音様、鎌原の厄除け観音様です
ブラタモリの集合写真が飾らています
この回は今でも私のHDDレコーダーに入っています、
『そこからかな~、鎌原に行きたいと強く思うようになったのは・・・・。』
ここ観音堂を守らている方々は天明の浅間山大噴火で命からがら逃げ伸びた子孫たちだという
こちらにはお地蔵様が多数並ぶ、上に見えるのは道の駅「あさまのいぶき」です
私は御朱印を頂き、そして今回だけと思うが、小さな畳の置物を頂いた、今も私のデスクの上に置かれており、PC、スピーカーなどの無機質物の中において、よいアクセントとなってくれている
この下を土石流が流れていってから数百年が流れた、そして今、私はここに来ている、これは遠い世界の話しではなく、またいつ起きても不思議では出来事でもある
さいごに道の駅「あさまのいぶき」で買い物をします、
もちろん、キャベツは必須、そしてブルーベリーも安く買うことができました!!
隣りには嬬恋郷土資料館があります、行ってみよう!
ポンペイと嬬恋は友好協定を締結している・・・
入館料を支払い館内へ、
しかしながら館内は撮影禁止となっており、こちらは展望室です
外に出て、鎌原村を見渡すことができます、
鎌原村の辿った歴史を知ってからみると、また違って見える
最後に緑あふれる観音堂をみて、終わりにしましょうか
運命を分けた15段・・鎌原観音堂に行こう! 完