桜前線は関東地方で満開となっている、
来週の週末には散っているだろう・・・、最近は仕事が忙しく桜を見る時間はなかった、
この日曜日で見なければ、今年桜を見ることができなくなる。
「よし、4月9日に行くしかあるまい!!」
天気が良い場所はどこか?、
水戸は、日立は、高崎は、どこも雨の予報であった、
先週、諏訪大社の旅にでかけ、車窓から見えた甲府の城跡が記憶にあった、
「そうだ、甲府へ行こう!!」こうして、旅先が決まった。
前回と同じく、
「特急はまかいじ」で行く、
AM7:51発 横浜駅発。
先週と全く同じ光景だな・・・。
6号車は先頭車両である、
乗客は2・3名ほどしか乗っていない、
「はまかいじ」とはいつもこんな感じなのか、廃止されてないことを祈る。
このレトロさがたまらん、癖になるな~。
新横浜の日産スタジアム、
この天候は止む気配がないように感じる、しかしもう後戻りはできない。
車窓から中央自動車道の八王子ジャンクションが見える。
巨大構造物に畏怖する瞬間だ。
八王子ジャンクションから、数十分後、別の異様な巨大構造物が現れる。
そして四方津駅(しおつ)を通過していく。
この漢字で「しおつ」とは読めない!
「四方津、巨大構造物よ、また会おう!」
AM9:58 甲府着。
「はまかいじ」さらば!!
そして甲府駅、初上陸だ。
どのような品揃えをしているのだろうか、地方の百貨店には是非頑張ってほしい。
東京側に少し歩くと城壁が見えてくる。
桜がキレイだ。
舞鶴公園、かなり規模が大きい。
かつて甲府城があった場所の一部が舞鶴城公園として整備されている。
東国の徳川家康に対抗するための戦略的要衝であった。
高い城跡である、のぼる前に裏側に周ってみる。
きれいな石積みである。
裏門をでると、下で何かのイベントを行っていた。
信玄公祭りのイベントの1つであろうか。
先ほどの城跡に登る、高度がそれなりにあり、甲府の町を一望することができる。
もちろん、案内板にあるような山はこの天候では見ることはできない。
真新しいように見えるが、最近建造されたものなのか。
この方向の先にこれから行く武田神社がある、
バスで8分ほどの距離だから、そんなに遠くない。
雨が降っていなければ、桜並木を歩くのだが・・。
甲府駅に戻ってきた。
信玄公祭り、4/7~4/9の3日間開催されている、
本日は3日目、最終日である。
昨日は武者行列もあったという、見たかったな~。
駅のコンコースを通り、反対の北口に出る。
武田神社へは桜並木を通りゆっくり行くのが良いのだが、この雨の為今回はバスで行くことにする。
バスは2番乗り場となる、
隣では太白桜祭りというものが開催されており、賑わっていた。
うーん、そんなに賑わっていないな・・・。
バスの終点:武田神社に到着。
このバス、料金の電光掲示板の表記が特殊だ、
金額の下1桁が省略されているのだ、甲府駅から武田神社までの料金は、
190円であるが、電光掲示板には「19」と表記されているのだ。
紛らわしいからやめてほしい・・・。
バス停前の桜、
甲府の桜は今が満開である。
武田神社は躑躅ケ崎館の跡地に建てられている、そのため神社の周りは石垣で囲まれている。
祭神は武田信玄であり、勝負事の神として、参拝客が絶えない。
こう見るとかなり広い武田神社、左方向が広く展開されている、
ただの神社ではことがわかる。
正面が拝殿であり、右側に御朱印等をもらういことができる建物がある。
さざれ石がある。
名水「姫の井戸」にも行きましょう。
その前に「武田水琴窟」(すいきんくつ)を見よう。
土の中にかめを埋め込み、そのに水を流す、流れた水は水滴となり落ちる、
その音が琴の音に似ていることから水琴窟という。
そしてこちらが姫の井戸である。
自由にお持ち帰ることができる、ペットボトルを購入して持ち帰ろう!
この水は信玄公の娘が誕生した際、産湯として使われたという、
そして客人にもこの水を使い、お茶が振舞われたという。
雨が降っていても参拝客が続々と来る。
赤い橋を渡り、桜並木を真っ直ぐに歩いていくと甲府駅に着く。
AM11:00発のバスに乗る。
8分ほどで甲府駅に到着。
こじゃれた感じの駅舎であり、あまり旅情を感じることができない感じだ。
反対の南側に行き、信玄公の銅像を見る。
甲府駅構内に入る、
隣のホームには特急かいじが停車している。
次の目的地は隣駅の酒折(さかおり)である。
はい、4分後の酒折駅に到着しました。
そしてお隣は山梨屈指の温泉地・石和温泉である。
さて、酒折には何があるのか?、行ってみましょう。
線路下を通り反対側にでる。
両脇には観光地の紹介がされている。
これが目的である、さてどのようなところか。
鳥居が見えてきた、駅から5分のかからず着いた。
桜がキレイだ、人の気配は全く感じられないが、この神社の奥深さは感じることができた。
これが「酒折宮」である。
ちなみに正面ではない。
酒折宮の拝殿である。
この酒折宮は日本書紀や古事記に記述がある歴史ある古い神社である。
祭神は大和武尊であり、大和武尊が東夷征伐の帰りに立ち寄った先がこの酒折宮である、大和武尊は、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌を歌ったところ、
「かがなべて夜には九夜日には十日を」と火番役が片歌を返したという。
これが日本の連歌の発祥とされている。
参拝を済ませ、社務所に向かう、
参拝記念として御朱印を頂く、待つ間お茶を頂いた。
御朱印でお茶をふるまっていただいたのは初めてである。
境内には歌碑が置かれている。
連歌の碑。
正面鳥居、
この頃には雨が再び降ってきた。
酒折駅ホームに戻ってきた、
カメラの先に先ほど参拝した酒折宮がある。
スーパーあずさが猛スピードで通過していく。
先週の諏訪の旅を思い出す。
1週間前、私はこのスーパーあずさに乗っていたのだな~と。
取るに足らない事であるが、感慨深いものがある。
「さらば、1週間前の私よ」
・・さて、気を取り直して。
12:20発、各駅停車で次の目的地に向かう。
鈍行の旅の良いものだと少し思ってしまった。
13:27、四方津駅に到着、「約束通り、戻ってきた!」
※四方津は「しおつ」と読みます。
この四方津が本日の旅の最終地となる。
少し緊張をしながら改札へ向かう、ちなみに四方津に降りたのは一人であった・・。
最後の目的地、斜行エレベーターを見上げる。
ここは知る人ぞ知る、B級スポットである。
日本には天上の楽園を呼ばれてところがあるが(本当か!?)
四方津もその1つかもしれない・・・。
駅舎を出て、
「なぜ、客待ちタクシーがいるのか」と疑問に思いながら、陸橋を登る。
そして陸橋に直結する形で「コモアブリッジ」の入口が現れる。
「コモアブリッジ」の入口、
施設中に入り、エレベーターで上階に上がる。
コンクリートの打ちっぱなしである、
人もおらず、そしてこの建物からはなぜか「寂しさ」を感じてしまう。
そして駅から見えた謎のチューブ状の構造物の正体がこれである。
エレベーターの先が見えないほど、はるかかなたに長いエスカレーターである、
ただ驚愕するしかない。
しかしながら、この長大なエスカレーターは現在その役割を果たしていない、
時間限定で稼働しているらしい。
この時間帯は両隣に設置されているエレベーターを使い昇ることになる、
本来エレベーターとは真上に登るものである、しかしながらこのコモアブリッジのエレベーターはエレベーターの概念から外れている。
「斜めに上がるのだ」
そのスピードたるや、遅い、とても遅い。
遅く、初めての斜行エレベーターの為、とても落ち着かない気持ちになる。
箱内には液晶画面が設置されており、「名曲?」の映像が流れていた。
まだ、半分以上ある・・・、
でも必ず終わりはくるものだ、それにしても遅い。
そして天上界に到着した、
真正面の施設がコモアブリッジの入口である。
上がった先には一応スーパーが1軒だけある、そして銀行のようなものも確認できる。
あとは住宅街を形成している、
そして大通りでは子供4・5人が大通りで遊んでいた。
子供がいたが、人の気配を感じない町であった、
物語中の過去の町に来ているような感覚である、私の住んでいる町と同じ大地にある町なのかと・・・。
この巨大なエレベーターはタイムスリップをさせることができるのか、
エレベーターの乗車前と乗車後の私は同じなのか・・・。
私の思考も鈍らせる。
※スイマセン、適当に書きました。
毎日通勤でこの施設を使う、
「私には無理だな」と思う。
夢の施設:コモスブリッジの模型である。
バブル期、人間の最先端技術で造成した天上の楽園、それがコモア四方津である。
私が上がって来た後、女性1名、男性1名がそれぞれエレベーターで降りて行った為、
今、斜行エレベーターは地上にある。
「呼ぶ」ボタンを押してから、上がってくるまでが異様に長く感じる・・。
それもそのはず、200m強あり、時間にして4分ほどかかるのだ、
フライングをすればカップラーメンを食べきることができる時間なのだから。
コモスブリッジから出て、陸橋に向かう。
四方津駅はその先にある。
地上が見えた、なぜか妙に落ち着いた気持ちになった。
やはり天上より馴れている地上のほうが良い。
あの巨大構造物は私にとり「非日常なのだ」
この四方津駅の地味さに「ほっ」としてしまう。
さぁ、横浜に帰ろう、今日の目的はすべて果たしたのだ。
四方津駅ホームから、コモアブリッジの斜行エレベーターを見上げる、
「現実に帰ろう!」
甲府に行こう 完。