KITの気ままな旅日記

旅行の記録を公開していきます ≪過去・現在・未来≫

PT いざ鎌倉・畠山重忠の史跡に行こう!!(2017年11月19日)

「いざ鎌倉」この言葉を知っている人は多いだろう、

しかし会話の中で使う人には、あったことがない。

 

意味、使い方としては、

「一大事だ!!」

「今こそ、行動に移すときだ!!」として使われる。

 

これは謡曲「鉢の木」の中の物語で、

旅の僧であった当時の執権・北条時頼が落ちぶれた武士から、もてなしを受けた際、

「何か鎌倉で一大事があれば、すぐさま駆け付けます」と言い、その後時頼がその決意を試した、その武士は言葉通りに鎌倉に馳せ参じた、

その言葉に嘘偽りがないことに感銘して、多くの所領を与えられたという。

 

 

 そんな鎌倉時代、(どんなだ??)

もちろん真っ先に頭に浮かぶのは、鎌倉幕府であり、源頼朝であり執権政治の北条家であろう。

それ以外にも様々な人物が鎌倉時代を生き、歴史の1ページに軌跡を刻んだ。

 

その時代で好きな人物はいますか?

 

後白河天皇源頼朝源義経北条政子・・・、お!メジャーだね!!

北条時政北条義時・・・、お!執権だね!!

親鸞法然・一遍・・・、お!開祖だね!!

栄西道元・・・、お!これも開祖だね!!

 

畠山重忠!!・・・・「お!! 通だね!!」

「はたけやま しげただ」と読みます。 

 

私は、歴史上で好きな人物と聞かれたら、

上杉鷹山畠山重忠と答える。

 

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畠山重忠公史公園の銅像◆2012年撮影

 

今回の「行こう!!シリーズ」は畠山重忠である。

※そんなシリーズはないだろ!!!

 

畠山重忠は、もちろん鎌倉時代の武士である、

桓武平氏の流れを組み、今の埼玉県深谷に生まれた、

その後源氏である源頼朝の家来となり、数々の武勇をたて、頼朝に最も信頼される御家人となり、「坂東武士の鏡」とまで言われるようになった。

 

その畠山重忠の史跡を巡り、鎌倉時代に思いを馳せる旅である。 

 

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 ◆菅谷館跡(埼玉県比企郡)◆2012年撮影

 

畠山重忠の本拠地は、埼玉県比企郡嵐山町の菅谷館であった。

今ではその面影・痕跡は見つかっていないというが、鎌倉の歴史書である「吾妻鏡」の中では、「菅谷の館を出立する」と書かれている、それ以後、重忠が菅谷に戻ることはなかった。 

 

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 ◆畠山重忠公史跡公園◆2012年撮影

 

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 ◆畠山重忠公史跡公園内・重忠公の墓◆2012年撮影

 

埼玉県深谷市畠山510-2に畠山重忠公史跡公園がある、

ここはかつての館跡であり、重忠公とその家臣の墓と言われている五輪塔がある。 

 

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畠山重忠公史跡公園内・重忠公の銅像◆2012年撮影

 

こちらが、重忠公の銅像である、威風堂々!!

愛馬三日月を背で担いでいる御姿である。

一の谷の戦いにおける鵯越え(ひよどりごえ)の逆さ落としの際、三日月が怪我をしないように担いで降りたという伝説の場面である。

重忠公は、相当の腕力を持った怪力であったことがわかる。

理にすぐれ、義にあつく、豪傑である、すべてを兼ね備えた武士であった。 

 

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畠山重忠邸跡◆2016年11月23日撮影

※鎌倉・鶴岡八幡宮出口付近

 

しかし、主君の源頼朝が亡くなり、北条氏を実権を握ってくると、

重忠公の周りはきなくさくなってくる。

 

1204年、重忠公の息子である重保が酒の席で、北条時政の後妻である牧の方の娘婿の平賀朝雅と争った、それを恨みに思った牧の方は時政に重忠を討つように求めた。

時政は息子の義時・時房に重忠討伐の命を出すに至る。

 

 

重忠公の息子:重保は鎌倉で謀略をもって殺される。

この時、重忠公は「鎌倉に異常あり、すぐに参陣されたし」という虚偽の報を受け、

菅谷館を騎馬隊130騎を連れ出立する。

 

 

鎌倉に向かう途中、

武蔵国二俣川(今の横浜市旭区鶴ヶ峰)北条義時の大軍勢が待ち構えていることを知り、謀であるとわかるのだが、重忠公は覚悟を決め戦うことを決意する。

北条軍数万に対して、重忠軍は130騎であり、勝ち目の無い戦であったが大奮闘する。

しかし愛甲三郎季隆の矢に射られ、重忠は討ち死にをする、別の文献には自害とも書かれている、この鶴ヶ峰の地にて畠山重忠軍は全滅した。

これは、鶴ヶ峰の戦いとも、二俣川の戦いともいわれている。

 

 少し前置きは長くなったが、

今回は畠山重忠公の史跡巡りin鶴ヶ峰&石川牧をお送りする。

 

鶴ヶ峰とは、横浜市旭区の行政機関の中心地でもあり、旭区区役所がある。

アクセスとしては、相鉄線鶴ヶ峰駅となる、

都心からだと横浜駅からのアクセスが基本となる。

相鉄線鶴ヶ峰駅は、ズーラシアの最寄りの駅としても有名である、しかしながら、駅舎とバス停が離れており、とても残念な立地でもある、

町づくりを失敗した例であろう。

※今回はバスは使いませんが・・。

 

 畠山重忠公の終焉の地の史跡巡りは徒歩となる、

それほど広範囲に点在していないので、散歩気分で行くことができる。

 

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 相鉄線鶴ヶ峰駅

まずは、旭区役所を目指して歩いていく。

 

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 鶴ヶ峰商店街を歩いて行く、中間ほどの位置に鎧橋がある。

 

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 ここにはかつて帷子川(かたびらがわ)が流れていたが、今では埋め立てられており、遊歩道になっている。そこに案内板が設置されている。

 

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 「鎧橋」という橋であり、地域の名でもある。

その由来として有力なのが、これから向かう「鎧の渡し」からきたという説である。

 

 最初の目的地は。畠山重忠首塚である。

ファミリーマートを曲がり、生活道に入り、2回ほど角を曲がると首塚に着く。

 

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変哲の無い住宅街の中にそれはある。

 

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畠山重忠首塚
愛甲三郎季隆により首級をとられ、この地で祭られたという。
今ではお地蔵様が静かに見守っている。 

 

首塚から10秒ほど奥に進むと、区役所の駐車場が見えてくる。

マップには表記はされていないがここにある。

 

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②首洗い井戸(奥) ③鎧の渡し(手前)

かつてここには帷子川が流れており、その片隅には川原井戸(湧き水)があり、

そこで重忠公の首級を洗ったという。

今では川もなく、井戸は埋められており、跡形もなく、柱のみがひっそりと建っている。 

 

首洗い井戸の隣には、

「鎧の渡し」の柱も建てられている、かつて流れていた川は川幅が広く、武士たちは鎧を頭に乗せ渡ったという。 

 

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首洗い井戸の案内板

 

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その帷子川も今では埋められており、緑道として整備されている。

この遊歩道の形、正に川そのものである。

正面に向かえば、首洗い井戸があり、後ろに進めば先ほどの鎧橋に出る。

大きな白い建造物は旭区役所だ。

 

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遊歩道に畠山重忠の古戦場巡りの案内図がある!!

 

では 次の目的地に向かおう。

 首塚を通過してそのままゆるやかな坂を上ると鶴ヶ峰駅入口交差点にでる。

その一角に公碑がある。

 

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鶴ヶ峰駅入口交差点。 

 

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 小さいが案内板がある。

駕籠塚・六ッ塚・重忠公霊堂・鎧橋の方向指示が書かれている。

目的地はこの対角線上にある。

 

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 吾妻鏡 畠山重忠公終焉の地

 

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公碑とさかさ矢竹がある。 

 

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昔は区役所の裏に繁茂していたという。 

 

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③鶴ヶ峰・二俣川合戦の地・さかさ矢竹
重忠公が「わが心正かれば、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と2本の矢を突き刺し、
毎年2本づつ茂り続けたという。

 

 公碑もあり、これは近年造られたものであろう。
ここは厚木街道に面しており、交通量は多く、排ガスであまりよろしくない土地であった。

公碑の向こうには川が流れており、地下に流れていく。 

 

では次の史跡に向かおう。

厚木街道を進み、16号線上を陸橋で渡り、脇道に入っていく、9分ほどで到着。

 

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国道16号線上の陸橋を渡る。 

 

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 向こうには、先ほどのさかさ矢竹と古戦場跡が見える。

 

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お地蔵様と案内板、もうすぐだ。 

 

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④六ッ塚。

薬王寺境内には、討ちとられた重忠公を含む一族郎党134騎が六つの塚に分けられ葬られたという。

 

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薬師寺畠山重忠の霊堂である。

 

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六ッ塚の1つ。

 

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こちらもその内の1つであろう。

ここで同じ目的で来ている4人組がいた、「やはりいるんだな~、仲間が・・」と思いながら次の目的地に向けて出発。 

 

すすり石水は、グーグル様に重要視されていないのか・・、名前がでてこない。

 

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すすり石水の柱がここにある。

重忠がこの水を使い墨を擦ったという。

ここは柱のみ、住宅街に一角にあり、場所もわかりずらい、想いだけを馳せよう。

 

  

 鶴ヶ峰神社を通り、駕籠塚に向かう

 薬王寺から徒歩5分ほどである。

 

◆その前に鶴ケ峯神社に寄り道をする。

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木で造られていた、結構新鮮だ。

入口も狭く、こじんまりとした神社である。 

 

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 拝殿の隣には稲荷があるのだが・・・。

 

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拝殿がない・・・・・、なんだか寂しそうだ・・。 

 

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気になり、帰る間際振り返る・・。

 

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神社を出ると正面の景色が開けていることに気づく、

鶴ヶ峰の街が下に見える、それなりに登って来たのか・・・。

 

神社を左に出て、20秒ほどで駕籠塚に着く、後ろは浄水場となっている。 

 

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⑤駕籠塚(かごづか)

畠山重忠の内室と言われている菊の前の墓所である。

合戦場に向かう途中、重忠公の戦死を聞き、この地で自害した。

駕籠のまま埋葬されたため、駕籠塚と呼ばれる。

 

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武州鶴ヶ峰駕籠塚碑文 

 

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 お参りをする、

そして本日計画していた畠山重忠公の終焉の地・鶴ヶ峰の史跡巡りは終わりとなる。

 

 

これ以外にも、

清来寺という重忠公ゆかりのお寺があるのだが、こちらは見送りした、

ここから徒歩で20分ほどの場所であるが、特に見学等をするものはない、

重忠ゆかりの場所とだけ、とどめておけばよいだろう。

 

鶴ヶ峰の重忠公の史跡巡りは、

所要時間1時間30分から2時間あれば、問題なく周ることができるお手軽なルートであっりプチトリップには最適なプランであった。

 

 

◆番外編

鶴ヶ峰に到着する1時間30分前に、あざみ野駅にいた。

あざみ野とは横浜市青葉区の町名である。

あざみ野の神社と畠山重忠公に関係があると聞き、寄ってきた。

 

あざみ野駅は、東急田園都市線横浜市営地下鉄の駅である。

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あざみ野駅から6~7分で到着。

 

 

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「驚神社」である!!

「おどろきじんじゃ」とそのまま読みます。

 

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おどろきの神社だ!!

 

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では進もう!! 

 

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階段を登っていく・・・・。

 

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驚神社と重忠公の関係とは・・・?

 

漢字とはおもしろいもので、

ある文字とある文字と合わせて文字になっている漢字がある、

 

驚を解体しよう!!

驚⇒敬+馬=馬を敬う

⇒「馬を敬う」神社⇒驚神社となる。

 

はっきりとわかっていないのだが、創立は奈良時代と考えられており、石川牧の鎮守と言われている。

昔この地は、牧場が広がっており、名馬がよく出た場所であるということから、

馬を敬う神社⇒驚神社となったと言われている。

 

石川村(あざみ野)は、かつては名馬の生産地であった。

畠山重忠公の名馬・三日月はこの石川村から献上されたと言われている。

 

源頼朝の名馬・するすみ も石川村の馬であったと伝えられている。

 

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力石と牛込獅子舞 の案内板がある。

 

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牛込獅子舞

10月上旬の土・日の秋の例大祭にて奉納される。

獅子頭をつけ、胸に締太鼓を付けバチを打ちながら舞う。

是非この目で見てみたいものだ。

 

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驚神社・社殿。

 

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驚神社

 

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 では、紀文堂に寄ろう。

神社横には和菓子屋の紀文堂がある。

おやつを買い、鶴ヶ峰に向かう。

鶴ヶ峰編スタート!!(上に戻る)

 

 

いざ鎌倉・畠山重忠の史跡に行こう! 完