遠山郷・中郷の遠山霜月祭に来ているが、日付が変わり12月2日となった。
時刻は、0時10分、夜食の時間も終わり、神事の再開だ。
昨日の昼の12時過ぎに飯田に入り、レンタカーをかりて遠山郷にきている、
とうとう念願叶ったという思いである。
この遠山霜月祭に行こう!!《3-3》が最終章である。
ではスタートッ!!!
遠山霜月祭は、始まりは、
平安時代後期、鎌倉時代ともいわれ、正確にはわかっていない、しかしはるか昔からこの山々の奥地で霜月祭りが執り行われてきた、500年前の霜月祭はどのようなものであったのか、今と変わらないかなどと考えてみると、歴史の面白さを感じざるを得ない。
遠山郷といわれるこの地は、かつて遠山氏が治めていた、しかし相続争いを理由に幕府から改易になる、その後疫病が流行ると、遠山氏の祟りでないかと人々は恐れ、従来の祭りに遠山氏の鎮魂の儀礼を加えたといわれている。
そのためか、霜月祭には、遠山八社神といわれる遠山氏をかたちどった御霊面が登場する。
こちらの正八幡宮もそうであるが、霜月祭を執り行う神社には、八幡社が多い、これは鎌倉の鶴岡八幡宮の神料地であったことと関係があるのではないかともいわれている、神奈川県人で鎌倉によく行く私としては、さらに興味を惹かれる。
日をまたぐことは毎日経験しているが、年越しの『日またぎ』は特別であるが、
この遠山霜月祭の『日またぎ』もそのように感じられた。
そして祭はこれからが本番、佳境を迎えていく、まだ私は眠くないぞ・・・・。
心なしか、疲労が顔にでているか・・・。
それも祭の1つに過ぎないのだろう。
『扇の舞』が始まる、鈴を右手に、扇を左手に持ち、四人で舞う。
『扇の舞』
時刻 1時00分。
湯木を持ち、竈を中心として円を組む。
時刻 1時30分。
『つるぎの舞』
扇の舞が終わると、帳元一人から刀を受け取り、左手に持って舞う。
時刻 1時50分。
紅い鉢巻を付け、姿は袴に襷、扇を持ち舞う。
『襷の舞』
時刻 2時25分。
女装をした男性が登場する!
『羽揃えの舞』へと移る。
時刻 3時30分。
このような構図は、昨日から何回も見てきた気がする、
これで見納めになりそうだ、なんだか寂しい思いだ。
時刻 4時00分。
『鎮めの湯』だろうか。
時刻 4時15分。
時刻 4時30分。
時刻 4時45分。
『日月の舞』
烏帽子をかぶり、手には鈴と扇子を持ち、竈を右周りに回る間、『日月の舞』を歌い、
一回転して飛びながら進む。
『日月の舞』
御日月のへまよましますな ヤンヤーハーハ 大空や
大空へ柏毛の駒にな ヤンヤーハーハ 手綱よりかけ
時刻 5時少し過ぎ、とうとう始まろうとしている。
『御面』
中郷の面は、十六面ある、他の神社では三十・四十の面を持つところもある。
まず姿を現したのは、神太夫(日神)である。
この時間になると、見物客は一気に増える、
皆のお目当は湯切りであり、最後のクライマックスシーンだ。
しかしこれでは、2時間のサスペンスドラマで例えれば、22時35分の犯人の説得シーンであり、これまでの過程が飛ばされて、ドラマチックさに欠けるのだ。
と勝手に解釈するKITだ。
今日出会った浜松の御大は、湯釜を洗うところから見せてもらったとのことだ、さぞかし感慨深いことだろう、私も15時からの参加だが、昼の静かな神楽歌から、この湯切りまで同じ時間を過ごさせて頂いたことは、本当に感謝しかない、
暖かい中郷正八幡宮の方には、感謝だ。
さあ、心して見よう!
次の拝殿から出てきたのは、姥(月神)である、
頭には綿帽子を被り、赤い手甲に持っているのは榊の枝である。
姥は見物客に対して、榊でしばく!!、いやはたく!! いや祓うのだ。
『飯田の人間、昼から何しとんねん!!』早朝であるが笑いをとる芸人魂・・・。
神大夫の名言きた!!!
※私もトランス状態になっているのか・・。
この老夫婦は、伊勢参りの途中に村に立ち寄り、村人と問答をして、村の息災などを祈り、帰るという筋書きである。
さて、無事にお伊勢参りはできたのだろうか・・・それは誰も知らない。
時刻 5時18分、八社登場。
八社は、男神七面、女神一面からなり、一般には百姓一揆で滅んだ遠山氏一族であるといわれている。
こちらは、源王大神と政王大神である。
源王大神は、遠山土佐守、政王大神は、遠山遠江守といわれている。
遠山氏の家紋『丸に二引』の裃(かみしも)を着けている。
時刻 5時30分、両八幡一、両八幡二が登場。
両八幡一は、先祀八幡とも呼ばれ、石清水八幡を象り、
両八幡二は、後祀八幡とも呼ばれ、鶴岡八幡を象るといわれている。
住吉明神、日吉明神が舞殿へ。
先ほどと同じように竈を周りながら舞う。
唯一の女神・一之宮が登場。
淀之明神が登場、竈の周りには男神三面、女神2面が舞う。
そして津島天王が飛び回る。
津島天王、真顔でダイブ!!
見物者は笑顔、中には眠そうな顔がちらほらと・・・。
時刻 6時10分、ついに水王登場。
土王も加わり、湯たすきで袖もまくり上げる。
水王・土王の登場。
周囲の村人は、「 ヨーッセー ヨーッセー 」とはやしたてる。
そして、一の釜を湯切る!!
霜月祭の最大の見せ場だ。
水王にかかったお湯を氏子が中折紙で拭き取っている、
わたしはカメラに若干の湯を受けた、カメラの魂の再生が始まる!!!
次の土王の二の釜の湯切りが始まる。
「 ヨーッセー ヨーッセー 」「 ヨーッセー ヨーッセー 」
湯ッ切り!!!!
前の氏子のおかげで直撃は避けられた。
ありがとう、君の犠牲は無駄にしないよ。
湯気が舞い上がる!!!
すかさず、氏子が拭き取る!!
大惨事後の竈だ・・・。
時刻は6時20分である。
木王の登場、続いて火王が登場する。
まずは、水王・土王が二辺を飛び跳ねながらまわる。
掛け声はもちろん・・「 ヨーッセー ヨーッセー 」だ!!!
こちらでは土王が飛ぶ。
水王・土王のダイブ!
水王・土王は途中で拝殿に下がる。
ここで主役交代、木王が飛び跳ねる。
木王が飛び跳ねる!!
こちらは少し距離が長いのでさらに勢いがつくのだ。
こちらでは、火王が跳ねている。
氏子たちも盛り上げる。
火王・・・ものすごいダイブだ!!
時刻 6時52分、最後のダイブが終わる・・・・。
「ホッホホ・・・そろそろわしの出番かな・・」という感じで登場。
時刻 6時54分、最後の面が登場する。
宮天伯、武内宿禰を象った老人面である。
宮天伯、特殊な足取りで竈の正面まで半周する。
『道行き』というらしい。
宮天伯は矢を放つ。
それを拾う氏子。
水が足され、湯気がたつ竈。
竈も疲れているようにも見えるが、逞しくも見える。
もう少しで霜月祭りも終わろうとしている、
ここまでこれて『ホッ・・』としている自分もいる。
時刻 7時15分、これは『金山の舞』だろうか。
『遊びのさ』
神々の名を呼びながら「遊びそろまに夜がほけた」を繰り返す。
歌い終わると、遊び幣を天に向かって投げる。
湯の上飾りに引っかかると、その年は良いことがあるとされる。
ある矢は飾りに刺さっている。
時刻 7時30分 竈の周囲にゴザが敷かれる。
全員が座り、帳元が終了の挨拶と会計報告をして、おじや・焼きサンマ・漬物などを
食べながら御神酒を酌み交わす。
それを『直開』という。
その後、全員で片付けをして、火の番四人を残して帰宅する。
火の番は午後4時頃まで残り、消火を確認してから帰る。
まさに火が消えるまでが『遠山霜月祭り』だ。
翌日、氏子が神社に集まり片付けをおこなう、それを算日という。
夜は明け、朝の寒がつらい、眠気など起きるはずがない。
昨日の16時頃から入り、今は7時30分である、長かった・・・。
しかし、飽きることは全くなかったのは不思議である。
今に思えば、ずっと八幡宮の中にいた、夜に境内の散歩でもすればよかったと
少し後悔もしたが、それ以上に清々しい気分である。
では車に戻ろう。
フロントガラスには、びっちり霜がおりていた。
この神社での最後の作業となる、この祭の最後にはふさわしいとも思えるな~。
9時35分、飯田駅。
すげー派手な駅舎だ、リニア新幹線のお祝いだろうか、
飯田にリニア中央新幹線が開通すれば、東京から約40分で来ることができる、
そう、関東圏と遠山郷の距離が一気に縮まるのだ。
鎌倉時代、この辺境の地でひっそりと行われていた祭、
鎌倉からの距離は果てしなかったが、これからは劇的に変わる、
こんなことが想像できただろうか・・・。
近未来には、ワイドビュー伊那路で飯田に来ることも無くなるかもしれない・・・。
9時58分、定刻通りに飯田駅を出発。
伊那路の車内はガラガラだ、2時間以上の列車旅であるが、さすがに眠い。
12時46分、豊橋発新幹線ひかりに乗車、新横浜駅には13時51分に到着する。
車窓から見える富士山の頂きには雲がかかり見えない、
これから横浜に戻るにつれ、雲が多くなっていった・・・。
霜月祭りは、神社により流儀が異なる、また面も違えば、雰囲気も全く変わるだろう、
私はまだ霜月祭の入口に立ったに過ぎない、
このような素晴らしいお祭りに参加させて頂き、夕食、夜食と頂いた、次回は奉納金を持って行こう・・・とそんなことを考えながら、眠気を戦っていた・・・。
遠山霜月祭に行こう!《3-3》 完