この旅の最後の行程、小諸の懐古園を散策しよう!
こちらが懐古園の顔・三ノ門だ、質実剛健、実に力強い造り、その存在感に目を奪われる。私の背後にはしなの鉄道が走っており、小諸駅から約2分ほどの距離にある。ちなみに扁額は江戸幕府16代当主・徳川家達の筆という。
三ノ門をくぐり、右へいけば、信州そばの名店「草笛」がある、お腹を満たしてから散策しようと思ったが、予想以上に混んでいた、10分、20分では済まなそうだったので、諦めることにした。
「小諸旅行、2杯目のくるみそば、食べたかった!! 少し甘くみていたな~」と反省をした。
右の看板には「仙石秀久が築いた穴城」と大きく書かれている、ここにはかつて小諸城があった、今では石垣だけとなり、当時を偲ばせる。懐古園は小諸城址を中心とした公園と考えてくれればいい、そこには島崎藤村の資料館、美術館・動物園・展望台などがある。なぜ穴城なのか、それは城下町より低い場所にお城が築城されているためだ、これはとても珍しいことなのだ。
近くのベンチの壁にはポスターが2枚貼られていた、紅葉まつりと桜まつりのポスターだ、私は断然、桜まつりがいい!
2回ほど来たことがあるが、石垣と桜が素晴らしい景観を見せてくれるのだ。関東圏からは2時間弱で来ることができるアクセスのよさ、また関東で桜を楽しみ、その2週間から3週間後には懐古園の桜が満開となる、二度桜を楽しむには小諸・懐古園は最適といえる(これは個人的意見です(笑))
漫画「センゴク」とのコラボらしいが、私は知らない。
マイナーなような気がするが、盛り上げることができるだろうか?!
仙石秀久は地味すぎる、一般的には馴染みがない、私は嫌いじゃないけど。
受付で昨日、観光協会でもらった割引チケットを出す、散策だけのチケットと資料館などに入れるチケットの2通りがある、私は後者のチケットをだした、園内に入ると分岐がある、一般的には右ルートを行こう!
「二の丸跡」
上田合戦時の徳川本陣跡
第一次上田合戦:1585年
第二次上田合戦:1600年
これは徳川軍と真田軍との合戦であり、沼田領をめぐる戦いが発端であった、結果としては二度も真田軍は徳川軍を退けた、後世に語り継がれるものとなった、これは有名だよね。
二の丸跡、何かがあるわけではないが素晴らしい景色が待っているので、是非上ってほしい。
青空を背景に浅間山をしっかりと見ることができる。
浅間山は今でも活火山、いつ噴火してもおかしくない山、その関連する場所として「鬼押し出し」という場所がある、ここからは遠いが、かつての噴火の凄まじさを感じることができる。
紅葉まつりの最終日の今日、それでも多くの人が最後の紅葉を見る為に集まっている。
この辺りは一際、紅い場所、あの橋の名前も紅葉橋という。
これは「南の丸」からの眺め、赤が一際あでやかでついつい見惚れてしまう。
高さ3Mほどの野面石積みの石垣は400年以上前の当時のままだ、歴史を感じることができる力強さだ。
紅葉橋からの眺め、このように大きな谷になっており、天然の要害となっている。
「藤村記念館」
散策券だけで入園している場合は入館料200円が必要、館内は撮影禁止となっており紹介はできないが、藤村の小諸時代の作品・遺品・資料が展示されている。
一般的にはあまりおもしろくない場所と思います。
こちらが島崎藤村像
明治32年、英語・国語の教師として小諸義塾に赴任した、小諸時代は7年におよび、その頃に執筆した「破戒」の原稿を携え上京した。
右に伸びる階段を下ると小山敬三美術館がある、こちらはスルーして、その先にある展望台にいってみよう!
「水の手展望台」
2つあるうちの1つ目の展望台、ここには有名な歌碑がある。是非ここで記念撮影をしておこう!
「島崎藤村の歌碑」
藤村の自筆で『千曲川旅情の歌』が刻まれている、小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・・・(と続く)
では展望台からの眺めを見よう!
千曲川にダムがかかっている、あれは西浦ダムといい東京電力が管理する施設だ。
こちらでは千曲川が静かに流れていく様子をみることができる、その先には先程参拝した布引観音がある。
こちらには立派な石垣がある、高さは約6Mにもおよび、その上には天主台がそびえたっていた、実に立派な野面石積みだ。
石垣が続く光景、右には枯れてはいるが桜の木が多く見て取れた、これが4月中旬ともなると、なんとも華やかな光景となる、来年は来てみたいと思う。これから2つ目の展望台に行き、その後はこの石垣の上を歩いてみようと思う。
「富士見展望台」
もう一つの展望台だ、名前の通り富士山を見ることができるのだろうか?
ここは長野県だ、ということは山梨側の富士山ということだね。
正面には野辺山高原、右には八ヶ岳連峰、左には奥秩父山塊がある、そしてその先には・・・。
これは富士山??!
これは面白かった!!
私が大河ドラマを見るキッカケになった作品だった。武田信玄はこの地を重視、城を築城したという、これが小諸城の原型となり、それには重臣・山本勘助がかかわったという。
ここから城壁を歩くことができる。
かなりの高さがあるので、気を付けて歩こう、左に見えているのは全て桜の木だ。
その先には「天守台跡」がある。
どれがどの山とはわからないが、北アルプスの名だたる山々であることに違いはない。
小諸市街の高台からは、さらに北アルプスを一望できるパノラマビューもあるという。
「懐古神社」
明治維新による廃藩置県にて、小諸城は廃城となり、本丸跡には「懐古神社」が祀られることとなった、そして『懐古園』が生まれた。
「鏡石」
神社の横には山本勘助が愛用したといわれる鏡石が置いてあった。
懐古園をほぼ一周して、出口に到着。ほぼと書いたのは動物園には寄っていないから・・・。
そして最後に入るのは「徴古館」
ここには甲冑・武器・古文書などが展示されていた、申し訳ないが流し見するような場所だった。
「あの夏で待ってる」
これは展望台から西浦ダムを見た景色に似ている、たぶんそうだろう。
正面の坂を上がると徳川秀忠の腰掛け石が置かれている、上田合戦時に腰掛けたといわれている。
そば屋「草笛」を横目に道路まで上がってきた、駐車場の一角には古びたSL機関車が展示されていた、展示というより置かれているといったほうがいいかもしれない。目の前が小諸駅だが、まだ列車まで時間がある、少しだけ小諸の町を歩いてみよう。
地方はどこでも同じかもしれないけど、人があまり歩いていない、地方は車社会であり、ほとんどの人が車で移動している・・・。
「一ぜんめし揚羽屋」
島崎藤村も通った定食屋、おそらく閉店したものと思われる、小諸駅から徒歩2分ほどの場所だ。
昨日も来たのだが再び来てしまった「大手門」
平成の大修理を終えて、当時(徳川秀忠時代)の姿を見せてくれている。
実はここに上ることができる・・・日もある。
ということで上がってみた。
展示品は地味ながらも、とても勉強になった。
この図はとてもわかりやすい、これ見てから懐古園にいったほうがよかったかもね。
「仙石秀久の姿」
そして最後に寄ったのが「本陣主屋」ここは駅から2分ほどの場所にある。
小諸宿を通る参勤交代の大名が泊るなどした建物、これを忠実に基づき移築再現したもの。 中は歴史資料館らしいが、ここでタイムアップ、駅に引き返すことになった。
小諸駅のお隣りには「停車場ガーデン」という広場があり、その奥に本陣主屋がある。徒歩圏内に大手門、本町・商家の町並み、そして懐古園があり、小諸観光はコンパクトに実行することができる!
小諸駅の奥には、ひっそりとJR小海線のホームがある、国鉄時代は信越本線、特急あさまなどが発着していたが、今ではこのホームを残して、第三セクターしなの鉄道となった。
数駅乗り、佐久平で下車、この駅も昔はなく、長野新幹線の開業にともない造られてた駅だ、そしてなぜか北斗の拳のキャラクターが並んでいる。
時間帯によっては、小海線と新幹線の接続が非常に悪い、乗り継ぎに時間が空いてしまったので、強制お土産タイムとなった。
この建物自体、かなり立派であり、お土産屋もそれなりに充実していた、佐久といえば鯉!
といっても鯉料理は好きではないのでパス、佐久鯉サブレと鯉最中を購入、それで佐久気分を楽しむことにした。
新幹線であれば東京など近い、
以前、何かの番組で、佐久から東京のオフィスに通勤しているという人を見た記憶がある、新幹線ならそれが可能、佐久駅に車を停めて、そのまま新幹線で東京へ!
私の通勤時間と同じぐらいでいけるかもしれない、でも距離の壁はあるし、私の意見としては大変だな~と思う。
やっぱり新幹線は旅行で使いたいと思う。
信州小諸 懐古園を周ろう! 完