東京から新幹線に乗れば越後湯沢はすぐそこ!
今回は川端康成『雪国』をめぐる旅へ出かけている、
高半旅館、宿泊の2日目、静かにスタート・・・。
旅館「高半」はここ!
5時40分過ぎ、夜の闇は次第に上がっていき、空が白み始めてきた。
ようやく、越後湯沢の町を見ることができる、昨日この宿に到着した時は暗闇だった。
あの高い山々が関東と新潟を分断している、それにしても壮観な光景だ。
時折、小説『雪国』を開いて読んでみる・・・。
やはり旅に出ていると、朝早く目が覚めてしまう、いつものテレビを見ても趣きが無い
ので日本文学に浸る、そんな時間がたまにあってもいいだろう。
6時11分頃だろうか、ガーラ湯沢方面から新幹線が本線へと入っていく。
恥ずかしながら、ガーラ湯沢駅は越後湯沢からの分岐線上にある駅なのだ・・・。
高半からは新幹線を見ることができる、トイレインビュー旅館ともいえる、
全ての客室から見えるわけではないので客室選択は要注意だ。
あの山々の向こうには関東平野が広がっている、あれが雪国と関東を分断する国境なの
だろう、そして空が明るんでいる、これは確実に晴天となる予兆だ。
天気予報では新潟は曇りのち晴れとなっている、
しかしここは新潟市からほど遠い、関東に最も近い新潟・越後湯沢だ、その為この予報
では適格な情報は得られない。
朝食の前に旅館の周りを散策してみようと思う。
散策、温泉、朝食、この3つの順番は時として迷うこともある。
旅の多くは、朝食⇒散策⇒温泉だろうか。
2階から1階へ、エレベーターで下る。
正面には昨日、映画『雪国』上映で入れなかった部屋が開放されていた。
すっかり、休憩室になっている。
この老舗旅館の野暮ったさがうれしいし、楽しい。
壁には『雪国』映画版のポスターが掛けられている、
岩下志麻、岸恵子などが駒子役を演じていた、映画化はこの2作品ということかな。
やはり『伊豆の踊子』のほうが映画化は多い。
旅館の外に出てみた・・。
冷たい外気により目が覚める、やはり関東とは違うのだ。
ブルゾンを着て来なかったことを少しだけ後悔したが、耐えられる寒さだ、新潟を肌で
感じるのも悪くはないだろう。
玄関を出ると、先ほどの引き込み線の先が見えた、
あればガーラ湯沢駅だろう、これまで全く興味がなかったので知らなかったのだが、
ガーラ湯沢駅は通常の駅とは異なり、スキーシーズンのみ臨時で停車する駅なのだろ
う。
『GALA SNOW RESORT』
ホームには新幹線が停まっている様子が見えた。
本線の上越新幹線はこの中を通っている、これをなんと呼ぶかはわからない、
少なくともトンネルではないだろう。
少しいびつな形をしている高半旅館、
手前の2階部分が川端康成の文学資料館になっているのだろう、なんとなく増改築をし
てきたように思える。
これは越後湯沢駅方面を見ているのだが、新幹線が旅館の下を通過していることがわか
る、私の立っている足元だ・・なんともいえず不思議なことだ。
高架は上越新幹線の線路であるが、左下にも線路が見える、これは上越線の線路になっ
ている。
こう見ると分かり易い、高半の真下を上越新幹線が通過している。
旅館の外周を歩いてみよう。
一周ぐらいすると、外湯『山の湯』という温泉施設がある。
おそらくは多くの地元民が入りにくるような場所なのだろう、
このような時期なので、外モノは遠慮しておくべきだね・・・。
では旅館に帰ろう。
2階に戻ってみると、
資料館の門が開放されたので、さっそく入ってみよう!
絵画、甲冑や欄干など、様々な品が展示されている。
どちらかといえば、こちらがメイン。
小説『雪国』、高半旅館、川端康成関連の資料が並ぶ。
「SNOW COUNTRY」
なんか、あれだな・・・。
雪国は世界中で翻訳されている、川端康成の文章は翻訳するには苦労が多そうだ。
この写真はノーベル文学賞の授賞式だろうか。
「消えゆく湯の里の風情」という記事に目がとまる、これは上越新幹線のことを指して
いる、たしかに一見、無粋にも見るのだが、妙に融合してなくもない・・・。
ではメインのメインへ入ろう!
ここからが本当の『雪国』の世界だ。
写真展示が並ぶ。
こちらは昭和10年、右の芸者が駒子のモデルになった松栄(まつえ)
19歳ごろの松栄さんの写真
本人も小説のモデルとなってしまい、当初は当惑したらしい・・・。
松栄(本名:小高キク)さんと雪国撮影スタッフとの打ち合わ風景。
川端先生らしい眼光・・。
かつての木造建ての高半旅館、今の鉄筋コンクリートは二代目なのだろう。
一角にあった「川端康成 伊藤初代との恋」という文書は興味深かった。
『かすみの間』へ
館内に白砂で敷かれている!
この襖の向こうが『かすみの間』だ。
ここがかつて川端康成が執筆活動をした高半の一室・かすみの間だ、
今は現代風に改築されているが、この部屋だけは移築されて今に至る、
川端康成は昭和9年~12年の3年間、こちらに逗留して『雪国』を執筆した。
この景色を眺めていたのだろうか、
高速道路が走り、新幹線が地下を貫き、民家も多く建ってはいるが、あの山並みは同じ
だったに違いない。
とても奇抜な机だ、個人的にはチョイスしないが、この部屋には妙にマッチする。
当時は火鉢を使っていたのだろう、まさに時代劇の風景だ。
こちらは松栄さん寄贈の着物だ。
当時の間取りが図解されている、こういう展示はとてもうれしい。
音がすると外を見てしまう、そして新幹線が通過していった。
当時は新幹線などはあるわけもなく、その下の上越本線はあったのだろうか。
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客室(自室)に戻ると、雲の隙間には青空が見えてきた、
これは良い兆候だ。
あちらの山では紅葉が少しづつ進んでいた。
おっと、走行音がすると思っていると、現美新幹線が通過していく、越後湯沢駅に向か
っているとことだ。
乗ってみたい思うし、どうでもよいとも思ってしまう・・。
しばらくすると、先ほどの現美新幹線が新潟に向けて走り去っていった。
これは越後湯沢~新潟間を走行する、関東人にはやっかいな乗り物なのだ。
次にMAXときが通過していく、これは二階建て車両であり、世界最大の輸送量を誇る
列車だ。
この北陸新幹線として使用されている車両も、走っているんだな~と気づく。
こちらは少し古いタイプの車両だ。
窓の外には大きな木がたっているのだが、これがけっこう眺望の邪魔をしているのだ
が、一方では風情の良さに寄与していないわけではない・・・・・。
客室から見える森の下には神社がある、
それは小説『雪国』にも描写がされている場所だ、その神社から高半旅館への獣道が
あったのだが、それは新幹線ができる前の話だ。
目を凝らしてみたが、やはり獣道は当たり前だが、見えない。
S字を描いているのが関越自動車道、全体的に山間の町であることがよくわかる。
あの妙に高い、場違いな高層ビルは何?
越後湯沢付近の関越自動車道は直線状、
ここは走った記憶がないな・・・藤岡で曲がってしまう。
窓を全開にして風を感じてみた、
もう夜ではないので、虫が入ってくる心配はない。
ベランダ(バルコニーとの違いって??)があるっていいね!!
臨場感が違う! 感動が違う!
では退館の時!
また来たい、温泉目的だけもいいと思うよ。
こちらは1階のお土産コーナー、その一角には『雪国』らしいものもある。
「雪国』のモデル考
もちろん買いました・・・。
では私も行こうか・・雪国の町へ。
多くの人は車で来るのだろう、
でもここは駅からもそれほど遠くなく、観光しながら駅へ歩くことができる。
けっこうバランスがいい観光地だと思う。
美しい文章だ、これは川端康成にしか表現できないもの。
今日は散策日和だ、期待に胸膨らむ!
旅館前には「雪国」文学散歩道 高半旅館と。
薬師堂なんてあったのか・・・。
これから向かう先は諏訪神社、笹の道はもうないので新幹線高架下を通り、向かうこと
になる。
高半地下を貫く丸いトンネル、無粋にも見えるが、妙に馴染んでいるようにも感じた、
これが無ければ、横浜から気軽に高半にはやってこれない。
さあて、あの木の向こうには諏訪神社がある、行こうじゃないか。
小説『雪国』ゆかりの宿・高半に泊まろう!《その2》 完