2度目の訪問となる旅館「福田屋」
静岡県賀茂郡河津町の湯ケ野温泉にそれはある、そして小説「伊豆の踊子」ゆかりの宿
とも呼ばれている、今回はこの福田家を紹介したい。
先程、185系特急踊り子ラストランを見送りしたところだ。
3月12日をもって、国鉄型車両185系の特急踊り子号は引退となる、
今日はそのラストラン車両に乗る為に伊豆急下田へ行き、伊豆急下田駅~河津間の1区
間を乗車した、そして今見送ったところだ。
この特急踊り子の「踊り子」は川端康成の小説「伊豆の踊子」からとられている、
それが関東と伊豆をつなぐ特急列車の名前となり、40年間走り続けてきた、そしてその
歴史はこれからも引き継がれていく、その転換期の一つだ。
駅前の「踊子と私(学生)」の像
小説・伊豆の踊子は修善寺・湯ヶ島から話しが始まり、天城峠、湯ケ野を下り、下田に
至る物語、その道中にある旅館が小説に登場する、それは小説最大の見せ場といっても
いいかもしれないほど印象深いものになっている、
その旅館は「福田家」という。
そして河津駅バス停から東海バスに乗り、湯ケ野バス停を目指した。
バスの乗車時間は13分ほど、お客様は2人ほどの落ち着いたものだった。
バス停から坂を少し下れば、すぐにアクセスできる場所にある。
宿の手前、「伊豆の踊子ハイキングコース」と書かれているが、ここ湯ケ野が終点とな
っている。
さらに坂を下ると足湯が見え、橋を渡れば福田家はもう目の前だ。
よく雑誌などで見る構図、
始めてみた時は気持ちが高揚した、それは去年の夏だった。
2回目の今回は雨に降られてしまった、
残念ではあるが、それで福田家の価値が変わるわけではない、そのクオリティーは雨な
ど関係ないものだ。
■でも晴れがいいに決まっている!!
旅館の目の前には河津川が流れている、この川上には河津七滝がある、
そして源流はそのさらに上にある。
こちらは川下、しばらく進むと東伊豆の海へと流れ込む。
川岸に見える共同湯も小説「伊豆の踊子」に出てきた舞台の一つ、
ここで裸の踊子が「私」に向かって手を振っていた場所、多くの読者に強い印象を持た
せた場面だ。
橋を渡り終え、右へ曲がり川沿いを歩いてみよう、宿は少しばかりお預けだ。
灯りも立っているので夕暮れ、夜でも散策できそうだ。
川に下りれる階段があるのだが、川が濁り、傘をさしている今日は下りたいとは思えな
かった。
「伊豆の踊子」文学碑
この文学碑は唯一の川端康成公認の文学碑だ、ここ大事!!
序幕式にもご本人が参加しており、その時の写真は館内に飾られている。
今でもしっかりと読めることは地味に驚きだ、
これは、お手入れをしっかりとやっている証拠なのだ。
本日泊まる私の客室がすでに見えている、
正直なところ、空が晴れ渡った日に、この最高の部屋に泊まりたかった、
しかし今日は特別な日、雨が降ろうとも、この日に泊ることにも意味があると思い、泊
まることにした。
「伊豆の踊子」ゆかりの宿、そして日本秘湯を守る会会員
湯ケ野温泉「福田家」の玄関前に到着。
今日はJR東日本のダイヤ改正前日、国鉄型185系特急踊り子が定期運行を終える日、
ラストランの車両に乗り、東京駅でお別れをするというのが当初の計画だった、
しかしながら、今の御時世、人が多い場所は可能な限り避けたい。
そこで、東京駅を見下ろすことができるホテル、メトロポリタン丸の内で最後の雄姿を
見届けようと考えていた、
しかし直前になり、福田家の「伊豆の踊子の客室」がキャンセルされた、
これは『ここに泊れ!』との天命であると思い(笑)、福田家への旅にシフトチェンジ
した、特急踊り子号のラストランに乗り、伊豆の踊子ゆかりの宿に泊まる・・・
これはKITらしい旅だ。
背後には踊子が座っている、それもとても自然に座っている、
そして苔が妙にあっているのだ。
これから、珠玉の温泉三昧、豪華な食事をいただき、疲れを癒しながら、伊豆の踊子の
旅へ浸ろうではないか。
伊豆の踊子ゆかりの宿「福田家」に泊ろう!(その1) 完