表題の通り、海南神社と叶神社に行く、至ってシンプルだ。
ともに京急線でアクセスすることになる。
なぜ、この2つに行くかって?
「空が晴れているからさ。」
快速特急・三崎口行きに乗車する、快速と特急を合わせて快速特急!
普通単独で使うものを京急は合体させたのだ!
横浜発10:45発に乗る、乗車率は100%であり、ドアから景色を眺める、
最初のうちは、景色が遅かったのだが、
徐々に景色が早く流れていく、快速特急の名に恥ないスピードだ。
それでも三崎口駅には10:34到着、約50分かかってしまう、それなりに三浦は遠いのだ。
車両内は途中駅で下車していき、人はまばらであったが、
三崎口駅ホームには多数の人が改札に向かい歩いていく・・・、
「これはまずい!!」と思った。
三崎口駅から京急バスに乗り、三崎港に行くのだが、バスに乗れなくなってしまう。
・・・・・、案の定バスは去っていった・・・・。
と落胆した刹那、次のバスが来た!!そのバスは10分後には出発した。
そう、ここはバス帝国であり、かなりの本数が発着しているのだ!!
鶴見線とは違うのだよ!!(笑)
そして第二の誤算が発生、
道路が渋滞している、さすが休日の三浦半島ということか・・・。
しかし、のろのろ運転であるが着実に海に近づいていく、
それでも通常20分のところ、30分ほどで着いただろうか。
車窓からは富士山と海が見え、それなりにテンションが上がる、
あとで写真を撮ろう!!
終点・三崎港バス停で下車。
降車バス停前からは海が見える。
まずは案内板を見よう!
と言っても海南神社しか行かないのだが・・・・。
ここはバス停の裏である、帰りもここからバスに乗ることになる。
海南神社の案内が設置されている、
「食の神様 海南神社」
店と店の間の細い小路を抜けていく。
漁港は賑わっていたが、こちらは大変閑散としている。
三崎港と言えば、もちろんマグロである!
しかし、昨夜すしざんまいでマグロを食べているのだ!!
今日はお呼びではないぜ!!
公式タイムで3分だ。
海南神社の入口に到着。
バス停から5分もかからず到着する。
住所は、神奈川県三浦市三崎4丁目12-11となる。
狛犬たち、どっしりしている。
龍神社が後ろに見える。
左の後ろには神楽殿が見える。
手水舎。
入口は狭いが、境内はそれなりの広さがある。
まずは参拝である。
三崎に漂着した藤原資盈はこの土地の長として推挙され、房総の海賊を平定して、
漁業や福祉などにも力を入れ、人々からの信頼を受けたという、
藤原資盈没後に祠が建てられ祀られたのが海南神社の始まりである。
982年にこの地に建立され、三浦郡の総社となる。
歴史が長い神社である。
そして1719年には三浦半島の総鎮守となった。
海南高家神社。
拝殿の横には大きな存在感をしめすものがある。
祭神、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)は「食の神」として料理人の信仰を集める。
参拝を終えたら、御朱印を頂く。
社務所は入口近くにある。
ピンポンを押し御朱印をお願いする、
そして猫発見!!
おとなしくかわいい猫だ!!
プリチーだ!!
なんと!!
玄関前にはさらに4匹の猫が!!!
全てのネコがおしとやかだ!!(笑)
見ているだけで穏やかになる~。
私のお気に入りのネコ、黒猫くんだ!!
猫に夢中になっている間に御朱印が出来上がる。
そうです、この海南神社ではあのチャッキラコが奉納されているのだ!!!
重要無形文化財であり、ユネスコの世界遺産にも登録がされているのだ。
その始まりは諸説あり、明らかにされてはいない。
1月15日に奉納されるため、2ヶ月弱でみることができる。
豊漁や豊作、商売繁盛を祈り、5歳~12歳までの少女たち約20人が踊りを奉納する。
20cmほどの竹の両端に五色の短冊と鈴をつけたチャッキラコと呼ばれる道具を使い踊る曲目があり、これが名前の由来となっている。
階段を登っていくと・・・。
金毘羅宮。
神楽殿には日本武尊の絵が掛けられている。
御神木の銀杏の木。
これが源頼朝が手植えをした銀杏である。
福徳稲荷。
周りには様々な祠がある。
真後ろにある祠の奥には、玉がはめこめられていた。
「ぎょ、ぎょっ!!」
「魚」!!
御霊神社。
ではバス停に戻ろう。
振り出しに戻る、バス停の裏に到着。
少しだけ、「うらり」に寄ってみよう。
うらりの裏口は遊覧船の発着場となっている。
うらりは魚介類を販売している館の総称である、主にマグロが中心に売られている。
買いたいのだが、これからまだ行くところがある・・・断念だ。
おれは昨日マグロを食べたのだ・・・・・。
清々しい海。
では三崎口駅に戻ろう。
帰りのバスは行きとは違い、ガラガラであった。
こんな時間に戻る人はあまりいないのだ。
13:00、三崎口駅に到着。
バスから見えた富士山と海を見に寄り道をします。
駅から3分ほど歩き・・。
京急バスが2台連なる・・・、バス大国三浦。
すでに道から富士山が見える。
相模湾の向こうにある富士山、いい景色だ。
すこしだけ移動して、畑と海と富士山と。
鉄塔が邪魔なような感じもするが、これはこれでよいと考えよう。
バス停にはこれから三崎港に向かう人達で混んでいる。
三崎マグ口駅
なかなかシャレた駅名だ、京急にもセンスが良い人がいる!
観光案内所もあり、ここは神奈川県の一大観光地だ。
では次の目的地に向かう、あと3分ほどで出発するので急ごう。
こちらもシャレた駅名看板が。
始発駅であり時間も早いこともあり、車内はガラガラ状態。
三崎口駅13:17発。
浦賀駅13:52着、35分ほどで来た。
浦賀に行くには乗り換えが必要となる、堀内駅で浦賀行きの支線に乗車。
浦賀駅、ここも終点駅である。
意外に人が降りる、寂れている様子は全くない。
バス停を探そう。
ここには一路線の乗り場しかなく、行先に寄っては横断歩道の先にあるバス停へ行くことになる。
駅真下の1番乗り場は、東浦賀の東叶神社へ行くためのバス停である、
その時の降車バス停は新町バス停である。
今回は、西叶神社神社に行き、小船で東浦賀へ渡り、東叶神社に行くプランだ。
西叶神社へのバスは、真下のバス停ではなく、横断歩道を渡り少し歩いた先にある。
これは分かりずらい、5分ほど迷ってしまった・・・。
浦賀といえば黒船来航であるが、この時期では一切でてきません。
正面が浦賀駅であるが、
県道208号線と209号線が分岐している、209号線は東叶神社につながり、208号線は西叶神社につながっている。
県道 208号線上に西浦賀方面のバス停がある、
久里浜行きに乗り、紺屋町バス停で降りる、
それほどの距離が無く、約1.1km・徒歩13分ほどで行くことができる、バスに乗る必要はないと思った・・・。
距離も近いので紺屋町で降りたのは私一人である。
県道208号線に面して叶神社の鳥居がある。
写っているバス停は反対方面・浦賀駅行のバス停である。
叶神社。
こちらは西浦賀にあるので通称・西叶神社と言われる。
そう言わないと紛らわしい!!
民家を通り、少し小高い場所に西叶神社がある。
右に写る浦賀ペリー歯科がいいな~。
この周辺住人は、「14時にペリーの予約が入っているんだ。」などと会話をするのだろうか・・・、日常であってもペリーが会話に入る、それが浦賀だ!(笑)
鳥居の眼前には浦賀湾が細く広がっている。
北面の武士出身の僧・文覚が、源氏再興の為に1181年、石清水八幡宮を勧請して創建した、そして源氏を再興させた頼朝が1186年に叶大明神と尊称したと伝わっている。
だから、願いが叶う神社、叶神社である。
鳥居前には駐車スペースがあるのでご安心を。
中段には手水舎がある。
拝殿がある上段に上がる。
参拝者は2組しかいなかった、もっと多くの女性がいるのでは思ったのだが・・・、
それほどメジャーではないということかな・・・。
絵馬には「叶」の一文字、パワーを感じますな。
境内からは鳥居の向こうに浦賀湾、さらにその先には浦賀東岸が見える。
どこかに繋っているであろう階段があるのだが、立ち入り禁止のポールが置いてある。
境内社を参拝しよう。
海が近いこともあり船の錨が奉納されている。
叶神社(西叶)の御朱印、
こちらは書置きとなる。
神社横には「ええじゃないか」の看板があった、
幕末の行き詰った世の中に憂い、多くの人が半狂乱したというが、どれほどのものだったのか想像ができない、三浦半島においても浦賀から「ええじゃないか」が発祥(発症)した。
では反対岸の東叶神社に行こう。
叶神社から2分ほど先に歩いていくと船乗場が見える。
就航中と看板ができている。
西叶神社と東叶神社とは、このポンポン船で行くことができる。
こちらは西渡船場である、
普段から利用があるのだろう、いまだに現役というのが珍しいしスゴイ。
船賃は大人200円。
湾に沿って行くより、もちろん船のほうが効率的だ。
船は湾中間でとどまっていた、インターフォンがあるので押す!
手を振っても見えるほど向こう岸も近い。
船が到着、
船頭をつけ、そこから乗船する、
操舵士は乗ったまま、マイクで乗船を促す、これも効率的だ。
船賃は操舵士前の入れ物に入れるだけ、これも効率的だ。
貸し切り状態だ、
「いいな~。」船旅最高! しかし5分もかからず対岸に。
浦賀湾の中心を通過中。
地元の方が待っていた。
ここが待合室だ!!
ポンポン船が去っていく・・、
無くならないでほしいな、収入はいくばかりか・・・、少し心配になる。
待合室には案内マップが貼ってある、とてもわかりやすのだが配布はされていない、
残念!!
浦賀駅を基点に半周してきた。
「浦賀の渡し」
たのしい5分であった、東叶神社に行こう!
ここからは普通の道を歩いていく。
東渡船場から徒歩4分ほどだ。
茶色の鳥居が見えてきた。
正面ではなく横口から入るが、
永井まさとさんに目が行ってしまう・・・。
叶神社。
もちろん西叶神社とはかかれていない、あくまで通称だ。
隣りには駐車スペースがある、道は2車線ではないので少しの注意が必要だ。
西叶神社は白の鳥居であったが、東叶神社は茶色である、
境内も茶色というより肌色で統一されており、とても落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「いい、神社だな~」
手水舎。
こちらも拝殿に上がる途中に蘇鉄がある。
その後ろの山は明神山といい、これから登っていく。
源頼朝が伊豆から移植した蘇鉄がある。
拝殿、叶神社2社の参拝をすませ満足!!
しかし、これで終わりではない。
拝殿の横には階段が伸びている。
拝殿から海を見る、
浦賀港が見える、日が傾きかけている、冬は早いな。
階段が伸びており、この直線だけではなく、さらに上に伸びている。
恵仁志坂と産霊坂という名前の坂(階段)を上っていくのだ。
中ほどに勝海舟の断食の碑がおかれている。
最後の階段をいく。
到着。
階段を登った先には奥之院がある。
東照宮。
勝海舟断食の跡と水垢離の井戸がある。
日本初の太平洋横断した咸臨丸の艦長格である勝海舟は航海の安全を祈願するために、
この地で断食と水垢離をしたという。
奥に進むと木々が開かれている場所がある。
戦国時代にて、北条氏が三浦半島を支配した時、房総里見氏からの攻撃にそなえ、
北条氏康が山頂付近に築城したとされる。
たしかに海が一望できる、少し草木があるのですこし見ずらいのではあるが、
それでも房総半島まで眺望することができる。
ここまで登ってくる人はいなかった、
こんなに景色がいいのにね。
すすきがいい感じにでている。
浦賀と房総は同じ雲でつながっている。
叶神社(東叶)の御朱印。
こちらは書いて頂いた。
そろそろ駅に戻るかな・・、浦賀駅と浦賀の渡しの案内看板がある。
寂れた、いや錆びたベンチがある、海風の影響か。
犬が興味を示す波打ち際・・。
そして興味を無くし歩き出す・・・、哀愁をさそう船と犬。
バスで帰る時は、東叶神社から7徒歩分ほどの場所にある新町バス停で乗ることになる。
西叶神社で浦賀駅から歩けることを学んだので、帰りは徒歩で帰る。
途中には神社があるので寄ろ道をしながら帰ろう。
東叶神社の新町バス停は場所がわかりずらいので、
浦賀駅からまず最初に東叶神社に参拝して、ポンポン船で西叶神社へ、
西叶神社前のバス停から浦賀駅に向かうというルートがわかりやすいと思う。
あくまでバスを使う場合であるが。
東叶神社から浦賀駅へは1.6km、20分ほどかかる。
まずは東耀稲荷大明神に寄り道。
格天井や欄間などの彫刻は見事であるという、
横須賀市指定市民文化資産である。
鳥居には、東耀稲荷大明神の扁額が、
拝殿には須賀神社の扁額が掛かっている、中をのぞこう!!
次に津守稲荷神社にも寄る。
そして最後に船守稲荷神社である。
姿勢の良い狐様。
深紅の拝殿。
あと8分ほどで浦賀駅だ。
三浦半島もまだまだ奥は深い、これは一端に過ぎないのだ、
これから、三浦半島の旅は続くだろう、横浜からは近いそうで遠い三浦。
楽しみだ!!
海南神社・叶神社に行こう!! 完