六善光寺御開帳への旅日記、甲斐善光寺・信州善光寺・関善光寺の参拝を終えて、次に4社目の岐阜善光寺へ向かっている、ではスタート!
関善光寺の最寄りの関ターミナルシティからバスに乗り、JR岐阜駅に到着、これからさらにバスへ乗り換えます。
こちらは中央北口の黄金の信長像、岐阜らしい光景だ。
今日はとても暑い、頭をかかえているサラリーマンの気持ちがよくわかる。
岐阜善光寺の最寄りのバス停は「伊奈波通り」バス停という、乗車時間は10分ほどとなる、徒歩では35分ほどの距離だけど、それはやめておこう。伊奈波通りバス停は、数系統のバスが通る場所であり、かなりの本数が走っているので、アクセスは抜群にいい、しかし県外からの来訪者はどの系統に乗るのかはすぐにわからないのが難点だ。
伊奈波バス停にて下車、この信号を渡ると参道がある、その先が善光寺だ、とてもわかりやすい!
沿道にはひらすら「御開帳」の幟がたっている。
その幟も色鮮やかであり、4種類ほどあるのかな、もしかして5種類あったかも、回向柱からは五色の糸が伸びており、それを善の綱という、それにちなんでいたのかも・・。
バス停からは約500mほど歩くことになる、迷うことは無いが、それなりに歩く。
そして道の突き当りは開けており、大きな広場のようになっていた、ここは駐車場も兼ねているよう、そして正面のあの建物はどうみても善光寺だ!
岐阜・伊奈波善光寺到着
岐阜県岐阜市伊奈波通1-8(JR岐阜駅からバス利用にて所要時間約20分)
これで善光寺御開帳四社目となった、残りは二社となる。
(注:ちなみに、周ればいいというものではない)
御開帳
令和4年4月3日~6月29日の期間となる。
時刻は13時少し前、ぎりぎりに間に合った!
1日に3度、「法話・内陣参拝」があり、住職のお話しをきくことできる、なりたち、歴史、裏話と・・とても興味あるお話しを聞くことができた。
法話の後は、ご本尊の近くまで行くことができる、それも本当に近くまで、6社参拝を終えて、最も近くまでいくことができたのが、こちらの岐阜善光寺だった、それに回向柱からの伸びる善の綱、それは金糸となり本尊の中指に結ばれている、それをしっかりと見ることができた、貴重な体験だった。
「法話・内陣参拝」①9時~②11時~③13時~ 計3回
平日ではあるが、その「法話・内陣参拝」では約50人ほどの参拝客がいた、私も少しでも遅れていれば、この機会がなかった、自分の幸運に感謝だ(笑)
岐阜といえば、戦国時代の織田信長を思い浮かべるが、こちらの善光寺も信長と関係がある、武田信玄により善光寺如来が甲府に移されていたが、信長により岐阜のこの地にお招きしていた時期があったという、そんなご縁があった。
実際にこの地に善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)がきていた時期があった、たしかに立派な縁だ、信長の嫡孫・秀信公は立派な堂宇を建て、御分身がお祀りされるようになったという。
回向柱に結ばれた布が糸となり、そして本尊へとつながる。
こちらは頂いた御朱印、
今思えば、善光寺6社周り、なぜか信州善光寺だけ、何も手に入れていないという。
ここで驚愕の事実が・・・全国で行われている善光寺御開帳は33か所にも及ぶという、
『そんなに、あるの???』
こんなにも、御開帳が行われている・・・。
では、そろそろ行こうか!
次は愛知県にある善光寺東海別院へと向かう。
善光寺隣りには参道がさらに伸びており、伊奈波神社がある、行ってみたかったが、時間がないのでここはスッパリと諦めることにした、さらに近くには岐阜城や古い町並みなどもあるのだが・・今回ばかりは仕方がない。
同じに敷地内には池に囲まれた社があった、まだ散策をすれば新しい発見がありそうな地ではあるが、それは次の機会に。
こう見ると、山に囲まれた場所ということがよくわかる、少し歩けば大きな道路があるような場所ではあるが、一歩入れば、このように自然に囲まれた場所もある、バランスがとれているかもしれない。
見ていると大多数は車で来ている、たしかに公共交通機関では非効率なことが多い、大都会ならそのデメリットは少ないが、地方となるとマイナス要素しかないのも事実、でもそれは「急がない旅」としては大いにアリだとは思う。
上りの伊奈波通りバス停、ここから再びJR岐阜駅へ向かうこととする。
(バス乗車時間:約10分)
次の善光寺の最寄り駅は名鉄線の森上駅となる、その為名鉄岐阜で降りてもよかったけど、なんとなくJR岐阜駅へと来てしまった。ここからはJR東海道本線・新快速に乗り尾張一宮へ、そこから名鉄尾西線の乗り換え、森上駅へと向かう。
JR尾張一宮駅と名鉄一宮駅は名前は違うが、隣りにホームがある「ほぼ同じ駅」となる。
そして森上(もりかみ)駅に到着した・・・。
そこは寂しい駅だった、本当に善光寺御開帳の最寄り駅なのだろうか?