今回の旅の目的地は小諸だ、「信州・小諸!!」
小諸城跡、島崎藤村などで有名な町だ、昔は首都圏からは特急あさまで直接来ることができたが、長野新幹線が開業してからは、転落人生の始りとなった。
まさに小諸を迂回するように新幹線が走っているのだ、今では佐久平は大型の商業施設が建ち並び、町の状況は一変した、一方小諸は衰退の一途をたどることになった。
小諸は素晴らしい町であるのに、特急廃止・新幹線の迂回により、観光客は減ってい
く、そして商業施設の撤退、しかし小諸の魅力が無くなったわけではない。
今、私は群馬県・横川におり、これから軽井沢を経由して小諸に向かう。
東京から小諸に行く場合、大きくわけてに2通りがある。
①東京⇒軽井沢(新幹線) ⇒ 軽井沢⇒小諸(信濃鉄道)
※新宿から高速バスという手段もある(最も安価)
ここは横川、正面に見える施設は横川鉄道文化むら、先ほどまで雨が降っていた。
横川から先、軽井沢方面に走る列車はない、
長野新幹線の開業により分断されてしまった、かつては特急あさまが繋いでいた。
その特急は鉄道文化むらに展示されているので、是非見て欲しいと思う。
これからJRバスを使い、軽井沢に行き、しなの鉄道に乗り換え、小諸へ向かうことに
する、かなりの面倒だ。
バスはぐんぐんと碓氷峠を駆け上がっていく。
軽井沢はその高台にあると考えていいだろう、さらに小諸に行く際は
そこから下っていくようなイメージでいいと思う。
軽井沢駅到着、ここはもう長野県だ。
北陸新幹線が通過していく、はくたかやかがやきなどは軽井沢を通過していく、
あさまは各駅に停車する、
駅から目と鼻の先には軽井沢アウトレットが広がり、その向こうにはスキーのゲレンデ
を見ることができた、あれば人工雪に違いない。
軽井沢駅のコンコース、
おぎのやの峠の釜めしが売られており、イートインスペースでは、立ちながら釜めし
を食べることができる。
私は釜めしはあまり好みではないので、買うことはほぼない。
器の処分にも困ってしまうしね。
ここからはしなの鉄道に乗ることになる、
これは旧横須賀線の車両では?!
『あんた、ここにいたのね・・。』
隣りが一段上がって北陸・長野新幹線のホームとなっており、次の停車駅は佐久平だ、
佐久平からも小海線で小諸にアクセスできるが、軽井沢発でそんなルートをとる人は
いるはずはない。
小海線の乙女駅手前から小海線の線路と並走することになる、もう小諸は近い。
小諸駅に到着した、
隣りのホームには小海線が停車している、これは高原列車ともいわれており、
野辺山や清里などを通り、終点・小淵沢と結んでいる、小淵沢からは中央線への乗り換
えが可能となり、特急あずさで新宿アクセスもできる。
(とても非効率だけど)
田舎の特急列車の停車駅といったイメージだ、
過去はその通りなのだが・・・。
ホームは三面もっており、大きな駅であることも、そう思える要因だろう。
こちらはアニメのキャラクターだ、
小諸の町を舞台としたアニメ『あの夏で待ってる』が以前放映されていた、名前は『りのん』という。
駅構内では地元の野菜なども販売されていた。
待合室には『あの夏で待ってる』のPOPが置かれている、
この旅の前にあるブロガーさんの聖地巡礼を見せて頂いたが、小諸の町を忠実に描写してい
るアニメだった。
この景色も実際にありそうだ、小諸はいい場所だ、このアニメの制作者も『わかってる~!!』
妙な風貌の駅にように思える、2階・3階とありそうな造りなのだが、宿直室にでも
なっているのだろう。
タクシーはかなりの台数が停まっており、ただの小さな田舎駅という感じではない。
高速バスも運行しており、小諸と新宿・池袋を結んでいる、1日に2~3便が往復しているが、本当に採算が合っているのか、ふしぎに思う。
この絵が気になったので、併せて撮ってみた。
駅に隣接して観光案内所があるので絶対に寄っておこう。
私がここに寄った理由は散策MAPをもらうこと、それに明日のレンタルサイクルの確認
のためであった。
散策マップには割引クーポンも付いており、使い方により、とってもお得となる。
小諸の観光の手引きを簡単にしておこう。
マップを見てもらうと駅の裏手に懐古園がある、その園内に小諸城跡がある。
石垣に良い趣きがあり、千曲川を眺望できる展望台、島崎藤村の資料館など、
そして春の桜、秋の紅葉はその5倍増しの光景を見せてくれる。
その他としては、
反対側には、大手門を見つつ、本町・商家の町並みを楽しみ、そばを食す。
そのルート中には藤村の井戸や島崎藤村居住地跡、少し足を伸ばして、旧本陣問屋などを見れば、小諸観光の約70%を終えたことになる。
では話しを戻そう、ここは小諸駅前のロータリー、正面の建物は小諸ロイヤルホテル、こういう鄙びたホテルも嫌いではないが、今日のお宿はここではない。
また、近くには小諸キャッスルホテルという、少しだけ良いホテルがあるのだが、ここも違う。
ココに泊ることが今回の旅の最大も目的といってもいい。
そして気になる標語(?)を発見してしまった。
『スケッチ文化都市こもろ』
今にも雨が降ってきそうな天気、
そしてすぐに本降りとなってしまった・・・・。
駅を出て、左方面へ向かって歩いていく。
小諸城址 大手門公園
駅から徒歩1分ほどの距離にある、最初の観光地点だ。
紅葉の最盛期は過ぎてしまったが、鮮やかな紅が目を楽しませてくれる。
小諸城の正門(四之門)
1612年に小諸城は築城された、そのころの建築となる、二層入母屋造りの楼門、二階は居城様式をとっているなどの特徴を持つ。
この質実剛健の造りは青森県の弘前城とともに大手門の双璧をいわれている。
では遅い昼めしとしよう!
それに雨が降ってきて、さらに寒い・・。
屋根がある場所に早くいきたい、これから行くのは丁子庵だ。
大手門公園から至近だ、徒歩2分の距離だ。
『そば蔵 丁子庵』 長野県小諸市本町2-1-3
歴史ある建物に、粋な暖簾、ここは人気店ではあるが、今日は平日、それに雨が激し
い・・・。
それでも2組ほど、そばを食していた。
外にベンチもあり、普段であれば、待ち客もいるのだろう。
やっぱり平日サイコーだな!!
店内もとても雰囲気があり、期待が膨らむ。
やはり、くるみそばをいってしまおう!!
それに大盛を追加で!
あまり関東では見ない、くるみそば。
好みで擦り具合を調整する。
そばも美味いし、店の雰囲気も最高!
やはり人気店だけあり、様々なものが置かれている、少しだけ紹介しよう。
小諸を舞台とした映画があった、「サラダ記念日」だ。
こちらはアニメ界のアニキ・水木一郎だ。
アニキと小諸の繋がりは深い、水木一郎が若かりし頃、小諸市民祭りの「小諸ドカンシ
ョ」の歌唱を依頼、その後も小諸市とは親交が続いているという。
こちらが先ほど、観光案内所でもらった懐古園の割引券だ、
100円違えば、うれしいよね!
最後の締めに特製ブレンドコーヒーを注文、
お店は空いていたので、少しだけ長居をさせて頂いた、
外は相変わらず、土砂降りの雨であり、今後のスケジュールを確認した。
今日泊まる旅館も15時チェックインとなるので、まだまだ早いのだ。
町の要所には、このような観光案内板が置かれており、見所と現在地を確認することができる、これは分かり易いし有難い。
「ほんまち町屋敷」
建物内には入らないが、脇から見晴らし台に行くことができる。
「みはらし庭」へ
雲がかかっており、残念な景色となってしまっていた、もちろん浅間山は見えない。
ポスターも色あせてしまっているのは、悲しい。
こちらが「そば七」
ここも小諸そばの人気店だ、でも私的には丁子庵にどうしても行きたかった、
また「草笛」というお店も超人気店であり、必ずガイドブックなどでお目にかかる。
先程、食べたばかりなので、さすがにダブルヘッダーは無理だった。
この曲がり道を進むと、次の名所にいくことができる。
「島崎藤村ゆかりの井戸」
かつて藤村も使っていた井戸ということらしい・・・。
藤村が7年過ごした小諸時代、まっさきに思い出すのはこの井戸端と書いている。
「島崎藤村旧栖の地」
藤村が居住した跡地に今では石碑が建てられている。
このような標識も多くあり、町全体で観光を推している姿勢がとってもいい。
「酢久商店」
長野県小諸市荒町1-7-12
江戸時代創業、340年以上の歴史ある老舗の味噌蔵。
ここは見なかったことにしよう(笑)
「ここは与良町 北國街道 」
「北國街道」
中山道の追分宿から、小諸宿・上田宿を通り、直江津に繋がる 、さらに佐渡へと続く脇街道。
「高浜虚子記念館」
長野県小諸市与良町2-3-24
高浜虚子とは近代俳句の巨匠と呼ばれている、松山伊予に生まれ、鎌倉で没した。
太平洋戦争の戦禍を逃れ、小諸に疎開した、それは昭和19年9月~22年10月の三年ほど
の期間であった。
『柴を負ひそれにしめじの篭をさげ』
俳句に学がないので、よくわからない・・・心で感じよう!!
高浜清(本名)であり、キヨシから「キョシ」となったという。
「虚子庵」 小諸疎開時の旧住居
硝子戸で造られ、廊下が伸びている、こういう家屋は憧れるが、憧れるだけで
実際には防犯上などで不安を感じてしまう、時代も変わってしまった。
お隣りには記念館がある、今日は入るのをやめておいた。
なんだか、気軽に入るのが躊躇われる、いやな時代になったものだ。
入館料:300円
記念館から10分ほど歩くと東小諸駅に着く、
ここはJR小海線の駅であり、次は終点・小諸だ。
無人駅であり、小諸駅の改札で、乗った駅を申告してお金を払った。
隣りの駅に「乙女(おとめ)」とある、変わった名前だ。
小諸駅を跨ぐ陸橋、この時間になると学生が多く、
『平日なんだな~。』と当たり前のことに感心する(笑)
「小諸義塾跡」
1893年、木村熊二により開設された私塾
最初は大手門を教室として使用していたが、この地に二階建ての校舎を建てた、
その教師陣の一人に島崎藤村がいた。
では旅館に行こう!
かなりの距離を下っていくことになる、帰りが不安にある。
こういう巨大構造物には興味がいく。
歩いていくと、看板に目がついた。
ガードレールがキレており、ここから行け・・ということなのか?!
「水明楼」
(藤村ゆかりの水明楼・・とかかれている)
校長の別荘の門があり、楼の名を水明楼としている・・・・。
藤村の住宅からほどよい距離にあり、崖にたち眺望がいいともかかれている。
紅葉かおる落ち葉の絨毯の先には、小さい楼があった。
藤村も何度も通った場所でもあった、
また「中棚の鉱泉」という言葉も同時にかかれている、この楼からその鉱泉が見える。
眼下には「中棚荘」が見える、
本日の宿である、ここに泊ることが今回の旅の最大の目的でもある。
すべらないように歩いて行こう、濡れた落ち葉はとても危険だ。
きれいな紅葉、しかしもう終わりの時期を迎えている。
そしてついに到着、中棚荘。
この記事はここで終わり、次の記事に託そう。
歴史ある高原都市・小諸の町を歩こう!! 完
【夜の小諸徘徊編・・スタート】
時刻は17時30分過ぎ、外はもう真っ暗、
メインの道路ではないので、周りに電灯は少なく心もとない。
外出の理由は夕食を食べるため・・。
懐古園に寄ってみた、当然ながら誰もいない。
駅前の広場、奥に見えるのは小諸駅だ。
駅前の商店街通り、開いているお店はあるが、閑散としている。
もう閉店準備をしているような状況だ。
週間少年チャンピオンで掲載されていた、小山田いく先生は小諸出身であり、舞台は小
諸の中学校ということらしい。
そして「こもろすみれ姫」というキャラクターがおり、専用のサイトもあった。
飲み屋街もひっそりと開いていた。
飲食店はほぼ開いていなかったので、コンビニで買うことにした、
しかも駅前にはコンビニは無く、10分ほど歩くことになった。
そしてようやく小諸駅前まで戻ってくることができた。
地方の店舗の閉店時間は早い・・・・。
雨は止んでいるが、とてもとても寒かった。
ただ、安堵の気持ちしかない(笑)
夜の小諸徘徊編 完