連休2日目は、長野県小諸に行った。
紅葉の季節の連休に関越道に行くのは、渋滞に嵌りにいくようなものだ。
しかし、渋滞が発生する時間はおおよそ決まっており、渋滞の先を走ればよいだけだ。
ということで、3時30分に起床、5時には出発した。
その為か、車はそれなりに多かったが、
東名道も圏央道も関越道も上信越道路も渋滞なく、走ることができた。
7:50、上信越道路・横川SA到着。
さすが連休だ、人が多い。
碓氷峠を越え、小諸御影インターで降りる、
そこからは一般道を使い、小諸・懐古園に向かう。
懐古園に着いたのは良いが、8時50分である。
開園時刻は、9時であり、少しだけ早い。
駐車場の隣りには、ひっそりとSL機関車:C56-144号機が佇んでいる。
かつて小海線区で働いていたが、昭和48年に小諸市に貸与されたものだ。
常に雨ざらしなので車両は年々、傷んでいくだろう・・・。
SLの隣りには、そばや・草笛本店がある。
小諸に来たら草笛でくるみそばを食べよう。
※少し歩くが、丁子庵のそばもいい!!
三の門は、小諸の代表的な建造物だ。
小諸藩主・仙石忠政により、1615年に創建された。
今の扁額は、16代徳川家達の筆によるものである。
そして、小諸といえば、島崎藤村が有名だ。
文豪として有名だが、小諸に居を構えた時は、教師であった、小諸義塾の国語・英語の教師として赴任してきたのだ。
翌年の明治33年に『千曲川旅情の歌』を発表した。
藤村一家は6年間、小諸に住み、そこで教師から小説家への道を歩むことになる、
その転機が小諸の地であり、小諸時代と呼ばれる。
三の門の後ろには地下道があり、小諸駅・大手門につながっている。
せせらぎの丘(というらしい)
この辺りは近年整備され、カフェやギャラリーなどができている。
以前の小諸を知っている人からすれば、大きな変化だろう。
こちらは小諸駅側だ。
以前は特急あさまの停車駅であったが、今は走っていない。
せせらぎの丘を抜けると、大手門公園がある。
そこにあるのが、小諸城の表門(大手門)である。
これは復元されたものであるが、余計な装飾が一切無い質実剛健の門として有名だ。
復元前は、小諸義塾の仮教室、料亭して使われていた時期があった。
表門には、小諸大手門資料展示室がある、10時から入ることができる。
その石垣の上に猫様を発見。
寒い中、強く生きぬいてくれ、それにしても小諸の朝は寒い・・・。
小諸の街歩き案内がある。
本町・商家の街並みなど、地味かもしれないが楽しい散策ができる。
また、高浜虚子ゆかりの場所もある、虚子は近代俳句界の巨匠であるが、
昭和19年に小諸に疎開した、その3年1か月の間に『小諸百句』を詠んだ。
では小諸駅に行ってみよう。
昭和レトロな建物の間を抜けていく・・・もう営業していないようだが。
小諸駅遠景。
しなの鉄道・小諸駅だ。
かつてはJR小諸駅であったが、現在では第三セクターとなっている。
なんだか少し寂しげな感じがする小諸駅前である。
長野新幹線の建設の明暗を分けた町でもある、明が佐久市であり、暗が小諸市である。
小諸には歴史があり、北国街道の要所、小諸城・城下町であり、島崎藤村や高浜虚子のゆかりある地である、そして高峰高原の玄関口でもある。
江戸中期には大いに栄え、東信濃最大の経済圏を誇った。
一方、かつて田畑が広がる佐久には、
今では幹線道路が通り、大型商業施設が建ち並ぶようになった。
当初は小諸に新幹線を通すことも考えられていたが、様々な要因で小諸を通さず、
軽井沢から小諸を避けるように佐久へ迂回して、上田に戻るルートをとっている。
佐久平駅から小諸駅へは小海線で使うのだが、乗り継ぎを全く考えられていないダイヤである・・・なぜだろう・・・。
小諸駅構内に入ってみよう。
地方都市の駅って感じだな。
しなの鉄道は1時間に1本~3本の運行である。
布引観音の案内がある、
『牛に引かれて善光寺参り』とあるように、おばあさんはここから善光寺に行ったのだ。
小諸駅から布引観音へは、車で約10分、そこから登山が始まるのだ・・・。
昭和なつくりでノスタルジーを感じさせる。
向こうに少し見えるのは、小諸を舞台にしたアニメ『あの夏で待ってる』のポスターだ。
では、9時も過ぎたので、懐古園に行こう。
この歩道橋を渡れば、懐古園だ。
以前小淵沢駅から小諸駅まで小海線で走破したが、長かった・・・、
夏の良い思い出だ。
懐古園は直進。
小諸義塾記念館、島崎藤村惜別の歌・歌碑は左にある。
徳川秀忠公の憩石。
1600年、関ケ原の戦いの出陣の途中、上田城・真田氏の攻略の為、小諸城を本陣とした、その際腰かけた石がこれだというが・・・・・。
憩石から三の門が見える、この角度から見る三の門はいいね!!
料金所が正面にあり、左には徴古館がある。
徴古館には、小諸城主歴代ゆかりの史料・遺品などが展示されている。
懐古園の入場料は、
散策券は300円/大人であり、資料館込みは500円/大人となる。
石垣に紅葉がよく合う。
三の門があるので二の門跡がある。
紅葉谷にさしかかる。
紅い! きれいだな~。
橋を渡った後、分かれ道となる。
左にいけば、懐古神社、右にいけば藤村詩碑・島崎藤村記念館・展望台だ。
懐古園は桜が有名だが、紅葉の時期も素晴らしい。
大きな欅がある、
関ケ原の戦い以前からこの地に根を下ろしていたのだろう。
こちらが島崎藤村だ。
天主台の野面積み。
一角には、草笛演奏機がある、ボタンがあるとつい押してしまう・・・。
小山敬三美術館はこの橋の向こうだ。
千曲川旅情の歌・歌碑がある。
『小諸なる古城なるほとり・・・・』から始まる。
歌碑の先には、水の手展望台がある。
展望台からの遠景だ。
すこしばかり赤く染まり、千曲川も見える、この景色をみて藤村は千曲川旅情の歌を
詠んだのだろうか。
こちら側には西浦ダムが見えるのだが・・・・。
こう見ると断崖絶壁となっており、天然の要害である。
ダムを壊している・・?!(建て替えか・・?!)
高浜虚子の句がある。
崖の向こうにみえるのは、小諸動物園だ。
(ここにはいかなかったが・・・)
風林火山の看板が!!!
『なんて懐かしい・・・大河ドラマ・風林火山、よかった~!』
※最後のエイエイオー・・は賛否ありそうだが・・。
今は殺風景だが、4月には桜が咲き誇り、花見客ではなやぐ。
これは2年前の懐古園・桜まつりだ。
これだけ人が集まる・・・・・。
(過去の画像終わり・・・)
懐古神社の前には池があり、大きな錦鯉が泳いでいる。
『ここの鯉はいくらの値がつくのか? 』などと先日みたテレビが頭をよぎる。
今、外国人が錦鯉にまかり、高額の値がつくという・・・。
『 鏡石』勘助が愛用したといわれる鏡石・・・。
懐古神社に参拝だ。
これで一応、懐古園を一周した感じだ。
人力車もあるよ・・。
最後に二の丸跡に寄る、徳川秀忠本陣だ。
駐車場が見える、その背後には山が見える。
この二の丸からは、真田軍の上田城方面を見渡すことができる。
秀忠は、上田合戦で10日間の足止めをくらい、関ケ原に遅刻するのだ。
こちらからも山がよく見える。
二の丸跡の石碑。
最後、坂を下れば出口だ。
三の門裏側、門の手前を左にいけば駐車場だ。
SL広場まで戻ってきた。
1600年・・・(関ケ原の戦いの年)
徳川秀忠の軍は上杉軍をけん制するために、宇都宮に残ることになる。
しかし家康の命により、中山道を西上することになる、上田城の真田軍を討つためである、そして小諸城・二の丸に本陣をおくことになる。
私も昨日は、宇都宮・羽黒山神社の梵天まつりに行き、今日は小諸城に来た、
徳川秀忠の足跡をたどるためだ・・・・。(大嘘)
明日、関ケ原にいけば、完璧だったんだけどね・・・。
帰り、上信越道路・ハイウェイオアシス・ららん藤岡に寄る。
ここで群馬のお土産をゲット!!
磯部煎餅と旅がらすだ・・・・。
関越道・寄居PAに寄る。
『寄居 星の王子さまPA』だ、ここは癒されるぞー!!
外国のお菓子を物色する・・・・。
ショカコーラ(ビター)を購入。
ドイツ・ベルリンで生まれたお菓子であり、第二次世界大戦時には、ドイツ軍のレーションとして採用された。
カフェインの含有量が多いので、眠気覚ましと集中力アップの効果あり!!
これが中身である、硬いチョコであり、硬派な印象だ。
夜に2つを食べてしまった・・・2時間近く眠れなかった・・・・。
これは、見た目で買ってしまったもの・・・・。
紅茶だろうか、それすらわかっていない・・・・。
最後に東名高速道路の海老名SAに寄る、
道頓堀・くくるのたこ焼きを買うためだ!!!
ららん藤岡⇒寄居星の王子さまPA⇒海老名SA
これが最強のコンボや!!!
小諸・懐古園に行こう! 完