KITの気ままな旅日記

旅行の記録を公開していきます ≪過去・現在・未来≫

(東松山)岩殿観音・正法寺御開帳に行こう!

善光寺、御開帳が各地でおこなわれている、六善光寺の参拝を終えて、令和4年最後の御開帳として向かった先は埼玉県東松山市にある正法寺、では旅日記スタート!

 

巌殿観音参道が見えている、この遥か先に仁王門があり階段が上へと伸びている、では行こう!

 

『巌殿観音参道絵図』があり、当時の門前町の様子が描かれている。

 

それぞれの家の前にはかつての屋号がかかれた札が掛けてあった、町全体の取り組み、いいよね!

 

多くはないけど、要所には方向看板が設置されている。

 

惣門橋を渡り、巌殿観音参道へ!

ここで気づいてほしいのが、止まれの先からアスファルトではなく、石畳に変わっている、ここからがかつての門前町、参道の両側には約五十戸ほどの宿屋・商店などが軒を連ねていた。

 

看板はもう色褪せており、何が書いてあったかわからない、更新を!

 

途中無人販売所があった、野菜はよく見るけど、こちらは小物などが販売されていた。

 

このようにかつての屋号などの立て札が掛けられている。

 

物見やぐら、とてもレトロな感じのものだった、これを上るのはかなり勇気と体力がいる。

 

いい感じの参道ではあるけど、暑い・・・とても暑いのだ、でもアジサイがきれい。

この参道では男性1人と女性3人組とすれ違った。

 

ようやく見えてきた仁王門、そして左には駐車場があった。

 

埼玉県東松山市大字岩殿1229

 

『仁王門』

ここにも鎌倉殿の13人の幟がたっていた『比企氏ゆかりの地・東松山

 

漆保護の為にカットガラス仕様となっている、かつての仁王像は運慶の作といわれていたが、江戸時代に焼失してしまったとのこと。

 

仁王門を右へいけば、本堂と納経所がある、御朱印を頂く場合はこちらへ行こう。

 

何段あるかわからないが、かなりきつい階段が待っている、疲れないように上がっていけばいいのだけど、今は立っているだけでも暑く体力が削られてくる、そんな感じがする。

 

階段を上がりきると、正面には『坂東十番霊場 巌殿山正法寺』と刻まれていた。

『緑がきれいな場所だな~!!』と初めに感じた。

 

正法寺・・・源頼朝の命により、比企能員が復興した古刹とかかれている、また観音堂には千手観音が祀られ北条正子の守本尊として信仰が厚かったという・・。

まさに鎌倉殿の13人の時代ゆかりの古刹だった。

 

登り切り振り返ってみると、岩殿の参道の町並みが見えた、

『この景色は素晴らしい!!』※実際は景色の数倍いい!!

 

正法寺の鐘楼』

階段を上がり右へ、それは崖の上にあり、ここからの景色もまた素晴らしいものだった。

 

埼玉県に、こんないいスポットがあるとは、これは鐘楼からの眺めです、目を霞めると当時の景色を想像できる。

 

境内を囲むように石崖には数多の石仏が安置されている。

 

ここでは、四国八十八カ所にお参りしたのと同じご利益があるという。

 

では、今回の旅の発端ともなった善光寺如来の御開帳へと行こう!!

その薬師堂は手水舎の正面にあります・・・。

 

「薬師堂」

【寅年結縁 疫病退散 薬師如来寅年御開帳】とかかれている。

画像ではわからないと思いますが、薬師如来善光寺如来が並んでおり、それぞれに綱が結ばれている、薬師如来は寅年御開帳、善光寺如来信州善光寺に合わせて7年に1度の御開帳、それが重なったのが本年・令和4年となります。

 

善光寺においてあったパンフが貼られていた私は「全国善光寺如来同時御開帳」より正法寺を知ることになり、今ここにいる。

 

善の綱が2つ下がっている。

 

しっかりと2つの綱をとり、縁を結ぶことができました!

明治20年信州善光寺三尊阿弥陀如来を分身安置されたとのご説明。

 

境内の落ち着いた感じがとてもにいい!

 

こちらは観音堂、中には千手観音が祀られている。

 

よい感じに年を経ている雰囲気だった。

 

源頼朝の妻 北条政子の守本尊「千手観世音菩薩」とあった。

 

観音堂の隣りには大銀杏があった。

(推定樹齢700年越え)

 

こちらも年季を感じさせるものだった、すごい生えかただ。

 

境内の奥には、さらに上へと続く階段があったが、ここはやめることにした。

 

物見山公園トイレの表示があった、ここから徒歩3分ほどの距離とのこと、犬の散歩できていた女性はこの方向へと消えていった。

では、御開帳を終えたので、高坂駅へ帰ろう、いや横浜へ帰ろう。

 

仁王門下の階段を降りると、左には旅館丁字屋があり、その名残を感じることができる。

 

来た時はこの看板を見逃してしまった、こんなにも目立つのに・・・。

比企能員ゆかりの半官塚」とある、行ってみよう!

 

階段を上がり、さらにゆるやかな坂を上がっていく、けっこう高い場所にあるのだ。

 

比企能員鎌倉時代源頼朝御家人であり、頼朝の死後、北条時政の謀略により暗殺された、そしていつしか比企太神と崇拝されるようになったという。

 

参道は終わり、普段の道へと変わる、このまま直進していけば、高坂駅方面だ。

 

この辺りの風景も素朴で心が和む。

 

あんな感じの橋も趣きがあるね。

 

「まなびのみち」コースマップ

 

関越自動道を渡る、この道を歩いているとスクールバスと多くすれ違う、この辺りには大東文化大学東京電機大学がある、学園都市かな?

 

ここは高坂彫刻プロムナードという、歩いていると多くの彫刻と出会う。

 

両側の歩道には32体ほどの彫刻が並ぶという、深夜に自転車がぶつからないか少し心配になる。

 

そして東武東上線・高坂駅に到着、ここから川越市駅まで出よう,駅前にはマクドナルドがあり、時間潰しと涼をとるには最適な場所だった。

 

高坂からは池袋へ出ることができるが、それではつまらない(?)

 

川越市駅から本川越駅まで歩き、西武線レッドアロー号で高田馬場経由で帰ることにした。

 

東松山)岩殿観音・正法寺御開帳に行こう! 完