第7章、そして「JR線を使わず、太平洋から日本海へ行こう」の終章です。
ようやく、終わる、いろんな意味で!
11時25分、ついに直江津駅に到着したKIT
直江津の空も晴れ渡っていた、しかし感傷に浸っている場合ではない、
直江津駅の改札はここだけ、しっかりと自動改札になっている、
『よってこっさ! 湊町 直江津』
そう、歴史ある駅なのだ。
直江津は北国街道の終点だ、長野県・信濃追分から新潟県・直江津間からなり、今回の旅で通ってきたルートとほぼ同じだ、ここより北陸道へとつながる。
以前は信越本線と北陸本線が交わる駅であり、直江津港から佐渡にも行ける、
そのような交通の要衝であり、中世では国府、国分寺が置かれ、上杉謙信の時代には、外港として大きな意味を持っていた町だ。
駅のコンコースは広く長く、丸窓が連なっており、あまり見かけない特異な造りだ。
まるで、船のよう!?
駅構内には水槽があり、クマノミが泳いでいた、
さすがに直江津の海にはいないよね?!
「潮騒」という名の像が駅前に立っている、直江津駅はここが印象的だった。
まるで波音が聴こえてくるかのようだ・・・。
《直江津周辺マップ》
見ての通り、駅から海は近い、約15分ほどで行くことができる、
また、地図・右側には大きな川が流れており、日本海へと注いでいる、
そうだな、最短ルートではなく、川沿いを歩き海を向かおう!
駅から渡ったところに、観光案内の柱が立っていた、
そこには「親鸞聖人上陸の地」とかかれていた。
1207年、承元の法として、浄土真宗・宗祖である親鸞聖人は越後に流された、
その越後が直江津だったという、なるほど歴史で学んだけど、それが直江津とはね。
その親鸞聖人に関連する居多神社の案内もされていた。
その隣りにあった「放浪記の記念碑」
森光子の直筆サインが刻まれている。
放浪記は林芙美子の小説であり、その舞台を森光子が行い、その公演は2000回を超えたという。
記念碑前には、ホテル・センチュリーイカヤがあり、林芙美子も宿泊したことがあるという。
隣りには駅弁などで有名なホテル・ハイマートがある。
直江津駅舎
この駅舎は、豪華客船・飛鳥を模しているという、
言われてみても、わかるような、わからないような感じであるが・・・。
本物の飛鳥は昨日のスタート地点・横浜港に停泊していた、それは2代目飛鳥だけど。
先程書いた「放浪記」の続きだけど・・・
大正初期、林芙美子は疲れた心を癒すために、ここ直江津に来たという、
その放浪記にも直江津の町が記されている、私も少しだけ興味が出てきた・・・。
では、直江津の町を歩こう。
ではゴールの日本海へ行こう!!
駅を出て右方向へと進む、その先には関川がある、まずはそれを目指して歩いている、
直江津南小学校を通過中。
正面には道が無い、そう川があるに違いない。
川があれば、必ずそれは海に流れ出る、
着実にゴールに進んでいるという実感を得ることができる。
川へ降りられる階段があった、
「これは川沿いを歩いていいってことだね!」
川は茶色かった、一昨日まで雨が降っていたはず、
その影響と思われる。
無機質な道路を歩くより、こっちの道のほうが気分がいい!!
堤防にはこの地域をテーマにしたレリーフが目を楽しませてくれる、
それは数枚にも及んでおり、川沿いを歩く人向けての造られているのだ。
こちらのレリーフは「関川河口」
まさに、ここのこと!!
道路標識には「船見公園」の文字が見えた、
この公園がこの旅のゴールとなる、もう近い!!
少し雰囲気が変わった・・。
アルモリックスの工場が見える、その後ろには佐渡汽船・直江津港が見える、
今回はここから眺めるだけとする。
船見公園0.4Km
横浜・山下公園から362kmほど移動してきた、400mなどは微々たる距離だけど、
もっとも考え深い400mとなるだろう。
なんだ、あの体育館は?(絶対違う!)
どこからが川で、どこからが海かわからない、でも明らかに青い海と茶色の川が分かれてみえる。
これ以上は先に進めず、近くの階段から地上(?)へ上がった、
多くの車が見えているが、あれは船見公園の駐車場だろう。
このゆるやかなカーブの向こう側に、神社と石塔を見つけてしまった、
ゴールがもう目と鼻の先であるが、これは寄るしかない。
「安寿姫と厨子王丸の供養塔」
謡曲「婆相天」、近松門左衛門の浄瑠璃、それを物語にした森鴎外の「山椒大夫」が有名、安寿姫と厨子王丸が人買いに騙され、母と離れ離れになってしまった地がこの直江津ということらしい、ここにきて初めて知った。
『なるほど!』
舞台は丹後地方と思っていたが、それは間違いではなく、母は佐渡へ、2人は丹後・宮津へ連れていかれた。
安寿と厨子王の供養塔
供養塔のお隣りにあるのは「琴平神社」
鳥居は海へ向かってたっており、社殿は曲がったところにあるという珍しい造り。
では、ルートに戻ろう。
「関川 SEKIKAWA」
この看板のくたびれ具合が今の私と同じだ、親近感わくな~(笑)
鮮やかな青の部分が日本海だ、
ここで「日本海に到達!!」・・・とはいかないな~。
(どちらかというと関川の河口だ)
もっと、近づいてみよう。
砂が入り乱れている感じだ、風が強い日が多く、砂浜が巻き上げられているのだろう。
ここからはまだ海は遠い、もう少し先へ移動してみよう。
日本海らしい景色・・・・・。
なぜ、そう思うかは説明できないけど、そう感じるのだから仕方がない。
無造作に放置されたボート
さらに歩いていくと、砂浜で遊ぶ人、海を眺ている人はほとんどいなくなり、
静かな直江津の海という雰囲気に変わる。
もうフィナーレは近い!
遂に見えてきた、日本海ゴール!
船見公園といえば、この像だろう。
「人魚の像」
船見公園の中央には人魚像がひっそりと佇んでいる、それに雰囲気に寂しく感じる。
蝋燭にきれいに筆をはしらすことができなかった人魚の娘、
その心情を考えると、なんともやるせない、悲しい気持ちになってしまう、
この話を読むと、やはり物語はハッピーエンドで終わってほしいと思う。
人間のエゴ、欲望と金、様々なことを考えさせられる。
「赤い蝋燭と人魚」
小川未明(おがわみめい)作、
そして・・・その先には。
日本海だ、ゴールしたぞ!!
すかさず、腕時計と携帯電話の時刻を確認する、
「11時59分」
ゴール地点:船見公園(人魚像)
昨日の朝6時に横浜・山下公園(赤い靴はいてた女の子像)を出発して、
JR線を使わずに、私鉄とバスと歩きのみで
11時59分に直江津・船見公園(赤い蝋燭と人魚像)に到着した。
かかった時間は・・・
「17時間59分」
出発時、空はどんよりと曇っていた、
今、日本海は真っ青に晴れ渡っていた、この景色がこれまでの労苦を癒してくれる。
とはいえ、何かすごいことをやったわけでもなく、誰からも褒められるものでもない、
自分による、自分のためだけの旅、だから自分だけで喜び、自分で自分を褒めてあげる、
そんな独りよがりの旅であった。
目的は達成し、この旅は幕を閉じる。
あとは直江津の町を駅に向かいながら散策するのみ・・・。
いや!
「JR線だけを使い、横浜へ帰る」旅が残っている
これで全てが完成、これはセットであり、表裏一体の企画でもある。
おそらく、再びJR線の偉大さを感じる旅となるのだろう、
では、残り2つほど、記事はありますので、
よろしければ、最後までお付き合いください。
JR線を使わずに太平洋から日本海へ行こう!
(第7章 フィナーレ、悲しみと喜びの直江津) 完